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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

今日も同じことを

(2010年1月10日)

大変なお金持ちが、礼拝式で自分の信仰について語りました。

「私がこんなに裕福になったのは、神さまが私の人生を祝福してくださったからです。私は自分の信仰の転機がいつだったかをよく憶えています。それは、初めて1ドルを稼いだ日のことです。私はその夜、教会の集会に出席ました。説教していたのは宣教師でした。私は、1ドル紙幣1枚しか持っていなかったので、神さまの働きのためにすべてささげるか、あるいはまったくささげないかどちらかしかありませんでした。私は信仰をもって、1ドルをそっくりささげることにしました。その時、神さまが私の決心をきっと祝福してくださるだろうと信じました。その通り、こうして私は当時の何百万倍ものお金を手にする者となったのです」。

彼が語り終えて自分の席に帰ったとき、そばに座っていた老婦人が身を乗り出し、彼にこう尋ねました。「あなたは、今日も『同じこと』をなさるのでしょう?」

たくさん持っているか、少ししか持っていないかが問題なのではありません。もちろん、全財産をすべてささげるか、一部しかささげないかが問題なのでもありません。神さまは、誰よりも豊かであって、私たちが経済的に施しをしないと何もできないという方ではありませんし、神さまの祝福はただであって、何かと引き替えに手に入れるものではありませんからね。

神さまが欲しいのは、お金ではなくあなた自身です。

「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です」(ローマ12:1)。
  • 「霊的な」とは、「当然ささげるべき」という意味。
献金という「形」にとらわれると、本質が見えなくなります。献金や献品は、あなたがご自分を神さまにささげる、その表現方法の一つに過ぎません。

あなたは、あなたの人生を使って、神さまのために何をしていますか?

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