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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

神は私を見放した

(2018年1月14日)

日本の知的障がい者福祉の草分けであり、社会福祉法人「滝乃川学園」の創設者である石井亮一・筆子夫妻に関する記事を読みました。

後に亮一さんの妻となる筆子さんは、親が決めた許嫁と結婚して3人の娘をもうけます。しかし、上の2人は知的障がいがあり、三女は生まれて間もなく亡くなりました。そして、夫も病気で亡くし、虚弱だった次女も亡くなってしまいます。

そんな頃、死者7千人を出した濃尾大地震が起こります(1891年10月28日)。そして、孤児となった女の子たちをさらって女郎屋に売り飛ばす人たちが現れました。そこで、女子の孤児たちを保護して養育する働きを始めたのがクリスチャンの石井亮一さんでした。

そして、様々な悲しみを通してイエスさまと出会い、クリスチャンとなっていた筆子さんは、亮一さんの働きに共鳴して経済的な援助を始めます。亮一さんの運営する養育施設には知的障がい児もいたため、筆子さんはその施設に長女を預け、自分もその施設で働くようになりました。こうして、やがて二人は結婚します。

しかし、1921年、生徒の火遊びから施設に火災が発生し、生徒6人が亡くなってしまいました。さすがの亮一さんも、「神さまは私たちを見放された。この試練に耐えるだけの信仰は、私にはない」と叫ぶほど意気消沈します。そして、二人は施設の閉鎖を決意しました。

ところが、神さまは二人と孤児たちを見放しておられませんでした。新聞に施設の焼失の記事が載ると、大正天皇の皇后を始め、全国から多くの寄付や励ましの手紙が寄せられました。そして、渋沢栄一氏の助けを借りて財団法人化し、火災から半年後には施設を再開することができたのです。

次から次へと問題が押し寄せ、「自分は神に見捨てられた」と言いたくなるような状況。それでもイエスさまの愛を信じ続け、みこころを行なおうと努め続けている人を、神さまは決して見放すことをなさいません。もちろん、あなたのことも。

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