シール帳の赦し

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(2012.12.30)

近所のパン屋でパンを買うと、値段に応じてシールをくれます。そして、シール帳がいっぱいになると、人気の焼きたて食パンと交換してもらえます。

誰かが私に頭に来るようなことをした時、私は心のシール帳に怒り印のシールをぺたんと貼ります。ちょっとむっとした程度だったら1枚、とても腹が立ったら10枚……。そうやって怒りを表に出さないようにします。

しかし、やがて心のシール帳がいっぱいになった時、どかんと一発。今までの分もまとめて怒りを爆発させてしまいます。すぐに怒りを表さない代わりに、心のシール帳に記録していくというやり方は、あまり賢い方法ではないようですね。

神さまの赦しは、シールをため込むような方法ではありません。赦すと言ったら、きれいさっぱり忘れてしまわれるのです。私たちも神さまのようにさわやかにすっきりと赦すことができたなら、どんなに精神的に豊かに過ごせることでしょう。

キリスト教を理解するキーワードの一つは、「人にはできないが、神にはできる」ということです。私たちは、なかなかすっきりと赦すことができません。しかし、イエス・キリストにはできます。そして、聖書は言います。私たちは聖霊なる神さまの助けによって、だんだんとキリストのように造り変えられていく、と。

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」(第2コリント3:18)

間もなく2013年がやって来ます。イエスさまによって私たちの罪がきれいさっぱり赦されていることに感動し、その分だけ他の人のこともきれいさっぱり赦せるような、そんな一年でありたいですね。


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