感情は文化である

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(2013.9.15)

感情は文化である。先日、そんなことを思いました。

日本人の青年がフランスに留学していたときのことです。クラスの仲間たちと一緒に知人の家を訪ねたところ、ホストの人が「日本人は残酷だ」と言いました。理由は「かわいい小鳥を食べるから。賢い鯨を食べるから」だと言います。小鳥というのは、たぶん焼き鳥のことを言っているのでしょう。そうやって、さんざん日本人残酷論を語ったホストは、ちょうどその時、庭に迷い込んできたウサギを棍棒で叩き殺し、「これでおいしい料理を作ってやる」とにっこりほほえんだとか……。

小鳥や鯨が悪くて、なぜウサギや牛だといいのでしょう。インドの方々からすると、神聖な動物である牛を食べる欧米人や日本人は、とんでもない罰当たりだということになるだろうと思いますが……。

「残酷だなあ」「ひどいなあ」という嫌な感情は、たぶんにその人の持っている文化的背景から来ています。私たちは、自分の文化のはかりで「いい」とか「悪い」とか判断してしまいがちです。しかし、別の文化のはかりで見ると、また別の判断ができるのです。

これは、国と国という大きな文化の対立だけではなく、日常の人間関係でも同じです。親の正義と子どもの正義は別。お姑さんの正義とお嫁さんの正義も別、です。そして、正義と正義がぶつかり合ってケンカになり、国と国との間では戦争に発展していきます。

もちろん、これだけは譲れないというものもあります。聖書の中で、多くの信仰者たちが、神さまのみこころとこの世の価値観との間で板挟みになったとき、命をかけてみこころを選び通しました。

しかし、誰かに対してイライラしたり、むかっと来たりしたことについて、本当にそれは決して譲ることのできない神さまの真理に関することなのかどうかを、まず冷静に考えることが必要でしょう。そして、「これは文化の違いから来ているのかもしれない」ととらえ、相手の文化を理解し、互いに理解し合えるように努力してみることもまた、必要なことです。

もし、個人レベルでそれができないのだとしたら、複雑に利害が絡んでいる国と国との争いなど、もっと解決が難しいと思わされます。聖書が、「あなたの隣人を愛しなさい」と、「隣人」への愛を強調しているのは、きっとそういう訳なのでしょう。

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