最高の下駄になろう

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(2013.10.20)

「花桐の琴屋を待てば下駄屋かな」

これは、正岡子規の詠んだ俳句です。桐の木が、将来琴の胴に加工されることを願っていたけれども、実際には下駄屋に買い取られ、下駄になってしまったという内容です。意味としてはそうですが、この句をどんなふうに解釈するか、そこには解釈者の人生観が大いに影響を与えるようです。

ある人は、人生とは思い通りにいかない嫌なものだ。そんなふうに解釈するかもしれません。

しかし、別の人はこんなふうに読み取るでしょう。願い通りの人生ではなかった。琴になりたかったのに下駄にされてしまった。けれど、だからふてくされて一生を終えるのではなく、これを神さまの与えたチャンスととらえ、下駄として最高の人生を生きることにしよう。琴の音で人を感動させることはかなわなかったけれど、履いてくれる方と共に、悲しい時もうれしい時も歩んでいこう。からんころん、からんころんと、悲しい時は慰めの音を、うれしい時には合いの手を、精一杯奏でていこう。

きっとあなたは後者でしょう。すでにイエス・キリストに信頼する人生を送っていらっしゃいますから。

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