神の視点

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(2013.11.3)

私たちは、私たちなりの「ものの見方」を持っています。難しく言うと、それを「準拠枠」と言います。その枠組みは、いい・悪い、好き・嫌いなどを判断する基準となります。

心悩んだり、行き詰まって行動ができなくなったりするとき、実は準拠枠をちょっと変えてみる(つまり、見方を変えてみる)と、ふっと楽になったり、「ああそうか」と次々と行動のためのアイデアが与えられたりするものです。このように、枠組みを変える作業のことを「リフレーミング」と呼んでいます。

私たちは神さまを信じています。私たち人間の側から見た視点だけで判断する生き方から、「神さまはこれをどんなふうにごらんになっているだろうか」という視点に切り替えることができるようになりました。悔い改めとは、自分のものの見方を捨てて、神さまのものの見方に合わせることだとも言えます。

神さまの視点。たとえばそれは、「あなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)という視点です。あるいは「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)という視点です。

こういう視点に立つなら、自分や他人を見るときに、普通だったら「ダメだ」と切り捨ててしまうところを、「悪くない。むしろすばらしい。可能性に満ち満ちている」という評価をすることができるかもしれません。そして、そこから新しい生き方が生まれてくるかもしれません。

先日、あるクリスチャンの方(Aさんということにします)から相談を受けました。自分は親を憎んでいるからダメだというのです。聖書には「父と母を敬え」と書いてあるのに、口うるさい親と一緒にいると、ついAさんはイライラしてしまうというのです。しかも、クリスチャンになってからそうなったと。

そこで申し上げました。「怒りはすばらしい感情です。それは、Aさん自身が、とても大切な存在だということの証拠です。クリスチャンになり、自分のことを大切な存在だと認めるようになったからこそ、口うるさく支配的に関わられ、主権を侵害されることが許せなくなったのです。怒りを感じられるということは、奴隷じゃないということです。怒りを感じられるということは、Aさんが自分のことを大切にできるようになったということです」。

もちろん、怒りを親にぶつけていいとか、親とケンカしなさいということを勧めたわけではありません。しかし、怒ることは悪いことだという枠から、怒り自体は悪くない、悪くないどころか、自分で自分のことを大切に思っている証拠だとリフレーミングされたとき、Aさんはふっと楽になりました。そして、「こんなに大切な自分が、親の言動に振り回されて幸せを感じないでいるのはもったいない」と思うようになりました。すると、口うるさい親の前でも、以前ほどイライラしなくなったのです。

神さまは、あなたやあなたの置かれている状況を、どんなふうにご覧になり、どんなふうに評価しておられるでしょうか。

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