枝葉の問題

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(2014.9.28)

ロシアから、ある司教が来日したときのエピソードです。

司教が、通訳者と一緒に街を歩いているとき、とある教会の会堂の前を通り過ぎました。見ると、ドアの横に貼り紙がしてあり、大きな字で何かが書いてあります。司教は「あれは何と書いてあるのですか?」と通訳者に尋ねました。通訳者はロシア語で、答えました。「あそこには『禁酒・禁煙』と書いてあります」。すると、司教は激しく怒りだし、その教会堂に向かって「そんなことは保健所に任せて、教会は福音を宣べ伝えろ!」と怒鳴りました。

この司教は、その教会の状況を知らないで発言したのですから、一方的にその意見に味方するのは不公平かもしれません。あの教会が、禁酒・禁煙運動に重荷を持って取り組んでいるのには、何か深い事情があるのかもしれません。だから、あの教会のことを云々するのは避けたいと思います。禁酒・禁煙運動も、場合によっては大切な働きかもしれません。

しかし、仮に私がこの運動に参加するにしても(今のところ、そのつもりはありませんが)、いつも覚えておかねばならぬことは、禁酒・禁煙が救いなのではないということです。

この話を、とあるホームページで読んだとき、人はすぐに「すべし・すべからず」の律法主義に陥ったり、枝葉の(本質的ではない)問題に心を奪われたりするものだなあと反省させられました。たとえば、私はカウンセラーでもあります。そして、この働きにクリスチャンとして意義を見出し、誇りを持って取り組んでいます。が、本当に気をつけていないと「あなたはフロイト先生、あるいはエリス先生、さもなくばロジャーズ先生によって救われる」というふうに、無意識に伝えてしまう可能性があるなあと思わされます。

「イエスさまは、あなたを命がけで愛してくださった。だから、あなたはそのままで神の子どもになり、神の国の永遠の祝福を受け継ぐ身分となった」という福音を伝えること。そのために自分はここにいるのだということを、いつも忘れないでいたいものです。

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