心から信じるなんてできるの?

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(2014.10.19)

こんなご質問をいただきました。
信じられる、という確信がどうしても持てないので最近難儀しています。なぜ皆、心から信じられるようになれるのか、と不思議でなりません。ただ「信じると決めてみる」というのと、「心から信じる」というのは随分と違うものなのでしょうか?
これに対して、こんなふうに答えさせていただきました。



私がクリスチャンになった日の話をしましょう。私も○○さんと同じように「心から信じられない」という問題を抱えていました。私が行き始めた教会では、牧師が礼拝の最後に必ず「今日、イエス・キリストを信じる人は手を挙げてください」と招くのですが、いつもそれに応じられませんでした。

そんなとき、牧師が私を呼び、次のように質問しました。

「この世界もあなたも、聖書の神さまによって創造されたと知っているかい?」 進化論と創造論の問題についてはさんざん学んだり考えたりしていましたから、「はい」と答えました。

「では、あなたはその神さまに罪を犯している罪人だと知っているかい?」 私は以前から自分のことが大嫌いだったし、もしも完璧な神さまに正義を要求されたら、とてもじゃないけれど自分を正しいと言えないことは分かっていましたから、「はい」と答えました。

「では、イエス・キリストが十字架にかかって死んで葬られたのは、あなたの身代わりに罪の罰を受けたからだということを知っているかい?」 イエス・キリストに会ったことはありませんが、聖書によればそうなのですから、「はい」と答えました。

「それでは、イエス・キリストが復活して今も生きておられるということを知っているかい?」 復活の歴史性についてもさんざん学んでいましたから、「はい」と答えました。

すると牧師は言いました。「じゃあ、君はもうクリスチャンじゃないか。人は、自分の罪のためにキリストが死んで葬られたことと復活されたことを信じるだけで救われるんだから。信じるというのは、信じた感じがすることではなくて、事実を事実として受け取ることなんだよ。だから、君はクリスチャンだ」。

そして、クリスチャンになったら洗礼を受けるもんだと言われたので、1ヶ月後に洗礼を受けました。そんなこんなで、未だにクリスチャンをやっております。

「心から」かどうかなんて、誰にも確認できません。ですから、○○さん。「信じると決めてみる」でいいんじゃないですか?

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