祈りなしには

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(2015.1.4)

以前奉仕していた教会に、Aさんという80代のおばあちゃまがいらっしゃっていました。「もう私は体が動かないので、お掃除や受付などの奉仕はできません。でも、先生。あなたのためにいつもお祈りしていますよ」とおっしゃっていました。

ある時、このAさんが天に召されたという報告を聞きました。とたんに、私の内側から、すーっと何かの力が抜けていったような気がしました。私はそのとき悟りました。いかにAさんの存在が、私にとって大きかったのかということを。

当時若かった私は(今も若いつもりではおりますが)、祈りによって神さまの力を期待するというよりも、どこかで自分の力や知恵で事をなそうとしていたような気がします。そして、なにがしかのことをやってきたつもりでいました。しかし、Aさんの召天により、自分の内側から力が抜けていったような気がした時、そうじゃなかったんだということに気づかされたのです。

ろくに祈りもしない私がなにがしかのことをやったつもりになっていたのは、私の代わりに祈っていてくださった方がいたからだということです。私は、Aさんだけでなく、たくさんの人たちの祈りに支えられて奉仕させていただいていました。今もそうです。

およそ尊い仕事は、祈りなしには果たせません。「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」(ゼカリヤ4:6)。ますます自分自身の働きのために、また他の人の働きのために祈る一年とさせていただきましょう。ぜひ、私のためにもお祈りください。

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