2種類のさばき

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(2015.3.29)

聖書には、神さまが人を裁かれたという記事がたくさんあって、読むのが怖いという感想をいただきました。

聖書の中にある「さばき」という言葉は、元々は裁判を意味します。転じて、王としての政治的な働きとか(王の重要な仕事の一つが裁判なので)、裁判の結果、有罪となった者に与えられる刑罰のことも指すようになりました。私たちが教会で「さばき」と言うとき、「罪に対する刑罰」を指すことが多いですね。

聖書には、神さまがいかに人間を愛し、祝福してこられたかということが書かれていますが、人間に対して下されたさばきについてもたくさん書かれています。さばきについての箇所を読むのは、決して気持ちのいいものではありませんが、聖書は神さまから私たちへのメッセージですから、選り好みしないですべて読んでいかなければなりません。

「神さまのさばきには、実は2種類ある」ということを理解しておくと、「自分も神さまに見捨てられ、救いを失って、永遠の滅びを招くのではないか」などと、余計な心配をしなくて済みます。

一つ目のさばきは、罪に対する最終的な刑罰としての、永遠の滅びです。罪とは、神さまを無視し、神さまに逆らうことです。それは、神さまに対する大変な失礼であり、神さまを悲しませる態度です。神さまは正義ですから、罪を放っておくことはできません。ですから、罪に対しては刑罰が与えられることになります。最終的な刑罰は、燃える火の池(ゲヘナ)で、永遠の苦しみを受けることです。

あなたがイエス・キリストを信じているなら、あなたの罪は、過去の罪だけでなく未来の罪も含めてすべて赦されています。イエスさまが、十字架にかかり、あなたの罪に対する呪いをすべて背負ってくださったからです。ですから、イエス・キリストを信じたあなたが、この最終的なさばきを受けることは決してありません。決して、です。

もう一つのさばきは、「教育的指導」として与えられる苦しみです。人をこよなく愛しておられる神さまは、人が罪を犯して悔い改めず、神さまから離れたままであることを喜ばれません。それは、神さまを悲しませるだけでなく、人間にとっても不幸な状態だからです。ですから、罪人の目を覚まさせ、悔い改めに導くために、時にその人を痛い目に遭わせます。これが教育的指導としてのさばきです。

それは、いたずらをしたり、約束を守らなかったりした子どもを、両親が叱るのと似ています。子どものことを愛していないからではなく、むしろ愛しているが故に叱るのです。神さまも同じです。

聖書に描かれているさばきのほとんどは、教育的指導としてのさばきです。特にイスラエル民族に対するさばきはそうです。彼らは、全人類にまことの神さまを紹介して救いに導くという、大切な使命を与えられています。ですから、それだけ教育的指導は厳しいものになります。何度も国が滅びるような目にも遭いました。しかし、神さまは決してイスラエルを見捨てず、今に至るまで守り続けてくださっています。

クリスチャンに対しても、神さまは教育的指導としてのさばきを下されることがあります。しかし、それはその人の救いが取り消されるということではありません。むしろ、神さまがその人をこよなく愛しておられるが故に、あえて痛い目に合わせられるのです。

「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい」(黙示録3:19)

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