誰でもどうぞ

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(2015.5.10)

フィリップ・ヤンシー氏の本、たとえば「だれも書かなかったイエス」「だれも知らなかった恵み」「神に失望したとき」などに、私は強い影響を受けました。それらの本の中に書かれているエピソードで、忘れられないものが一つあります。

社会通念上、道徳的に問題のある生活を続けてこられた女性がいて、ぼろぼろの人生を送っておられました。ある人が尋ねました。「教会に助けを求めようとはなさらなかったのですか?」 するとその女性は、何というバカげた質問をするのかという顔をして、「教会ですって? そんなところに行ったって、よけいに惨めになるだけよ!」

ヤンシー氏もこのエピソードが忘れられないそうですが、私も時折思い出しては心を痛めます。イエスさまの周りには、まさにそういう人々が、喜んで集まっていたのではなかったでしょうか。それなのに、いつの間にか教会は、立派でなければ入れない紳士淑女クラブになってしまっていたのかもしれません。そうでなければ、「立派でない人を立派にするための矯正施設」になってしまっていたのかも。そして、自分もまた、そういう教会の一部なのだと思わされるのです。

ヤンシー氏は言います。キリスト教の特徴は恵みである。そして恵みとは、「神さまにさらに愛されるようになるために、私たちにできることは何もない」ということであり、「神さまにさらに愛されなくなるために、私たちにできることも何もない」ということだと。

「誰でもどうぞ!」 この言葉には、とてつもない危険が隠されています。誰でもということは、ああいう人も、そういう人も、ということです。その危険が分かれば、簡単には語れません。しかし、自分自身が恵みの中に生かされているということを実感し、その喜びを味わった分だけ、「誰でも」の範囲が少しずつ広がっていくのでしょう。

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