イライラしたときは

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(2015.7.19)

以前、山口県の牧師のいない教会に、洗礼式を行なうために呼ばれたことがあります。仕事の都合で出発が夜になったため、東京からは夜行で岡山まで向かい、そこから新幹線に乗り換える予定でした。ところが、私の乗った夜行の前の電車が人身事故を起こしたとかで、その影響で1時間半近く立ち往生してしまいました。車掌さんに相談したところ、姫路で乗り換えた方が確実だと教えてもらいました。

ところが、姫路駅の駅員さんたちは、乗り換えのために押し寄せる乗客に圧倒されたのか、右往左往しながらわめくばかりで、我々乗客の質問にもなかなか答えてくれません。そんなわけで、乗り換えがスムーズに行かず、本来は乗れるはずだった電車に、私を含め多くの乗客が乗れませんでした。

さらに悪いことに、先方の電話番号を書いたメモを忘れてきたので、遅刻の連絡もできず、大変気をもみましたし、それだけに、不覚にも駅員さんたちの対応にイライラしてしまったのでした。

そんなとき、ふと「これは悪魔の妨害だ」という思いがわいてきました。すると、これから持たれる洗礼式が、ものすごく祝福されるはずだとも思えてきました。そして、イライラが収まり、むしろわくわくするような気持ちにさせられたのです。結局、約束の時間より10分ほど遅れましたが、洗礼式は大変感動的なものになりました。

神さまは私たちを愛してくださり、しかも全知全能だと聖書は教えています。ですから、たとえ一時的に嫌なこと、つらいこと、思うに任せないことが起こったとしても、その先には必ずすばらしいことが待っています。

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