変えられない過去のいやし

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(2015.9.13)

人に対して同情心を持てないという方とお話ししました。その貞子さん(仮名)はクリスチャンであり、愛がイエスさまの教えの中心であることもご存じです。そして、誰かのつらい話を聞いたとき、決してその人のことを無視しているわけではなく、「どんなにつらいだろうなあ」と思うのですが、それが知性のレベルにとどまって、ハートに響かないと悩んでおられるのです。

こういうことで悩まれること自体、貞子さんが愛にあふれている証拠なのですが、ご本人はそのようなことでは満足できないとおっしゃいます。

そこで、しばらくお話をうかがうことになったのですが、最後に一緒に祈った際、小さいときのことを思い出されました。それは、完全に忘れていた場面ではなく、これまでも時折思い出していたエピソードです。しかし、今回は苦しくつらい感情が伴いました。

それは、一瞬パニックを起こすような苦しい感情でしたが、その過去の記憶の中に、幻のようにイエスさまが現れてくださいました。そして、小さい自分を抱きしめて「つらかったね。つらかったね。でも、わたしが一緒にいるからね。もう大丈夫だからね。だから、安心して泣いていいよ。泣いていいんだよ。つらかったね。悲しかったね」と、何度も何度もささやいてくださいました。

小さかったあの時には、そこにいらっしゃることが分からなかったイエスさま。しかし、今、信仰の目で振り返ってみると、あのときもイエスさまはいらっしゃって、こうして自分を支えてくださったのだ。貞子さんはそのことを悟らされたのです。そして、心の中に平安がやって来て、晴れ晴れと帰って行かれました。

後日、お手紙をいただきました。その中で、貞子さんは、自分が無感情に陥っていた原因が分かったと書いておられます。それは、もしも何かの感情を持ってしまうと、そこから芋づる式に、あのときのつらくて苦しい感情が引き出されてくるのではないかと恐れ、無意識のうちに感情全体を封印していたのではないか、ということです。

しかし、今回、イエスさまが支えてくださるから、どんな感情も感じて大丈夫なのだということを体験したときに、感じることに対する潜在的な恐れが取り除かれた気がする、と。実際、あの後、他の人の苦労話を聞いたとき、今までは経験しなかったような胸の痛みを感じるとおっしゃいます。

時間は取り戻せません。過去起こった出来事をなかったことにはできません。どんな過去があろうとも、私たちは常に今を生きる者です。しかし、イエスさまはこんなふうに「過去」をいやし、そのことによって「現在」をいやすこともおできになるのだということを教えられた一件でした。

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