させられている感覚

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(2015.11.22)

日常生活の中で疲れてしまうことはないでしょうか。仕事や子育て、夫婦関係、友人関係などです。肉体的、物理的に仕事量が多いという場合もあるでしょうが、精神的に疲れてしまうという場合もあって、そちらも非常に問題です。物理的な仕事量は大したことはなくても、心が疲れてしまうとそれに耐えられなくなってしまうからです。

精神的な疲れの原因の一つは「させられている」という感覚です。これが「(私が)している」、さらに「させていただいている」という感覚になっていけば、疲れるどころか、そうすることがたまらない喜びにすらなることでしょう。では、どうしたら「させていただいている」という境地に達することができるのでしょうか。それは、意味づけを明確にすることです。

意味づけは、位置づけと言うこともできます。全体の中で、個々の事象がどんな位置にあるのかということを明確にするということです。今やっているこのことは、私の人生の大目的の中で、どんな位置づけになるのか。今携わっているプロジェクトの中でどんな位置づけになるのか。会社や教会全体の存在目的や将来像の中で、どんな意味をもたらすのか。自分のどんな将来像につながっていくのか……。

今やっていることが意味あることだと、本音のレベルで理解できれば、「させられている」感覚からは遠ざかり、喜びや感動が生まれてくることでしょう。たとえそれが単純作業だったり、目立たない裏方の作業だったり、きつい作業だったりしても。

意味づけ・位置づけは全体との関係を明確にすることですから、一つ一つの作業に意味を見いだすには、そもそも全体の目的や将来像がはっきりしていなければなりません。あなたの人生の目的は何ですか? あなたは何のために生かされていますか?

聖書は言います。「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい」(第1コリント10:31)。これが建前ではなく、私たちの心からの目的となりますように。

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