やって当然?

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(2016.4.3)

ほめ上手は育て上手。子どもや部下を育てたければ、惜しみなくほめましょう。

……そのようなことばは何度も聞きますが、慣れないうちはなかなか実践できないことも事実です。特に日本では、ほめるという文化が根付いていないので、あらためてほめようとすると照れくさいというのもあります。

その一方で、「ほめるとつけ上がるからほめない」と、確信犯的にほめない方もいらっしゃいます。そういう方はこう考えています。「自分は相手に期待している。だから、現状に満足しないで、もっと努力してもらいたい。しかし、ほめるとそのままでいいんだと誤解され、努力しなくなる。だからほめないのだ」というわけです。

そうおっしゃる方は、相手のやったことを「やって当前だ」と思っています。子どもとして、学生として、会社員として、配偶者として、人間として、やって当たり前のことをやったのだから、別にほめるほどのこともないと。

では、ご本人はどうなのでしょうか。ほめられたら、「これでいいんだ」と、とたんにさぼろうという気持ちになるのでしょうか。たとえば、誰かの手伝いをして、「ありがとう。助かったよ」と言われたら、「じゃあ、何もしないぞ」と思うのでしょうか。むしろ、「今度手助けが必要なときにも、快く助けてあげよう」と思うのではないでしょうか。あなた自身がつけ上がったり、さぼり心が生まれないで、むしろやる気が生まれるのなら、他の人も同じだと考えても悪くないのではないでしょうか。

神さまは、あなたのことをいつもほめてくださいます。聖書の中でも、イエスさまは多くの人を「あなたの信仰があなたを治したのです」「あなたの信仰は立派です」「こんな信仰は、イスラエルの中にも見たことがない」とおほめになりました。

もしも、イエスさまが「そんなの、やって当然のことをやっただけだ」を私たちに押しつけたなら、イエスさまの基準を超えることのできる人は誰もいません。誰もほめられないどころか、不完全を理由にして、すべての人は滅ぼされてしまいます。それほどに、神さまの「やって当然」の基準は高いのです。

しかし、イエスさまは、そんな基準は脇に置いて(十字架によって、すべての不完全さの罰は取り除かれましたから)、私たちをそのあるがままで受け入れてくださいます。それどころか、「お前のことを誇りに思うよ!」と、ほめてくださるのです。

イエスさまがしてくださっているように、他の人のことも認めてみませんか?

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