専門家にならない

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(2016.10.16)

昔切り抜いた新聞の切り抜きが出てきました。そこには、医師や看護師の卵たちを指導している方のコラムが載っていました。その方はおっしゃいます。「医学生や看護学生が、プロの医師や看護師となると、ある感覚が研ぎ澄まされていく反面、別の感覚はかえって鈍くなっていく」と。

鈍くなっていくのは、患者さんの心に寄り添い、それを共感するという感覚です。だんだん患者さんの心が分からなくなり、自分が良いと思う治療や処置を押しつけてしまうようになりがちだというのです。

また、最近、カウンセラーの先輩からも同様のことを聞きました。先輩が、臨床心理士の資格を出す立場の人と話したとき、その方が「臨床心理士の資格を持っている人よりも、資格など無い人(たとえばホステスさんとか)の方が、よっぽど共感的な関わりをすることが多い」とおっしゃったのだそうです。そして、「専門家にならない」ということが、共感性を高く保つ秘訣かもしれないと、先輩は私に言いました。

もちろん、お二人がおっしゃっているポイントは、専門家になる・ならない、資格を持つ・持たないということ自体ではありません。目の前にいるその人の心に焦点が合わずに、自分のプライドや知識に焦点が合ってしまって、権威主義に陥ってしまうことが問題なのでしょう。いつの間にか、自分が「プロの牧師」「プロのクリスチャン」「プロの親」「プロの教師」になってしまっていなかったかと反省させられました。

イエスさまは、権威に満ちていましたが、いつもざっくばらんに市井の人々と交わられました。そして、人々の心に焦点を合わせておられました。イエスさまに似た者にしてくださいと、今日も祈らされたことです。

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