世界で最初の夫婦

教会ウエディングの基礎知識。世界で最初の夫婦、アダムとエバ(イブ)の話です。

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アダムとエバ

アダムの創造アダムの絵

キリスト教では、この宇宙は神によって創造されたと教えています。世界で最初に造られた人間は、アダムという名前です(人間という意味。そのまんまやん)。地のちり(原子のことだと思われます)で形作られ、そこに神の息が吹き込まれて生きた者となりました。彼は、エデンの園に置かれ、世界を正しく管理するという仕事をしていました。

人が一人でいるのは良くない

アダムは、様々な動物の中で、良い助け手(パートナー)を見つけることができませんでした。神は、「人が一人でいるのは良くない」とおっしゃって、新たに女を創造なさいました。これがエバ(一般にはイブと呼ばれていますが、これは英語読み。原語のヘブル語に近いのはエバで、多くの日本語聖書もそう表記しています)です。

あばら骨から

これも有名な話ですが、エバは、アダムのあばら骨から創造されました。決してかかとの骨ではありません。それは男が女を奴隷のように虐げないように。また頭の骨からも造られませんでした。それは女が男を支配しないように。どちらが上でも下でもなく、対等のパートナー(助け手)として、また傍らに抱いて愛し合うために、エバはアダムの心臓(ハート)に一番近い骨から造られた……と言う人もいます。

いずれにしても、エバはアダムのパートナーとして創造されました。そこに上下はありません。夫婦のどちらかがどちらかを支配し、思い通りにコントロールしようとすると、創造の摂理に反することになります。私たちは、神の摂理に従うとき、幸せになるように造られているのです。

これから結婚しようとしている皆さん。結婚したら、相手が自分の理想通りの男、理想通りの女になるだろうと思ったら、その結婚はつらいものになります。今そのままの相手をOKできなかったら、結婚は考え直した方がいいです。お互いのために。今なら間に合うぞ。これ、教会ウエディングの基本。

世界で最初のラブソング

エバに出会ったアダムは、世界で最初のラブソングを歌います。

「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから」。

なぜ男から取られたから女と名付けたのか。旧約聖書は、ほとんどヘブル語で書かれていますが、ヘブル語で男はイシュ、女はイシャと言います。言葉遊びですね。っていうか、世界で最初のおやぢギャグ?

父と母を離れ

アダムの おやぢギャグ ラブソングに続いて、聖書にはこのように書かれています。

「それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。

ここには大切な二つのメッセージが含まれています。一つは、「父母を離れ」。同居か別居かは問題ではなく、精神的に自立している二人が結婚するのです。親を取るか配偶者を取るかという究極の選択を迫られたら……そんな選択に直面しないに越したことはありませんが……迷わず配偶者を取らなければなりません。配偶者があなたのナンバーワンです。親ではありません。そして、子どもでもありません。ましてや仕事でもありません。

多くのカップルは、最初はお互いがナンバーワンなのですが、だんだんと夫は仕事の優先順位の方が妻よりも上になり、妻は子どもの優先順位の方が夫よりも上になっていきます。これにお互いの親が絡むと、ギクシャクした夫婦生活のできあがりです。親はお先に死にます。子どももすぐに独立していなくなります。一番長く共に生活する配偶者を大切にするのは、こりゃ当たり前。

お互いがナンバーワン。この優先順位を守り続けることを決意することが、教会ウエディングをするに当たって、まずしなければならないことです。

二つめのメッセージは、「二人は一体となる」です。もちろんこれは、セックスも意味していますが、人格的な深い交わりのことを意味しています。結婚した男女は、二人でようやく一人の人間として完成するということです。一人ではできないことが、二人ならできます。一人では耐えられないことも、二人なら耐えられます。一人では生み出せないものも、二人では生み出せます。

セックスは、二人が一つであることの喜びを確認する、神聖な儀式なのです。だから、浮気なんかしてはいけません。それは、結婚関係を根本から破壊する行為です。一般に、キリスト教会は離婚には非常に慎重です。しかし、夫婦のどちらかが浮気した場合は別。それくらい、性の問題には厳しい責任が伴うのです。

「じゃあ、独身者は半人前なのか?」という質問が来る前にお答えしますと、そういうことではありません。聖書によれば、独身者は、むしろエリート(選ばれし者)です。神に力を与えられ、一人で生きていける人なのです。ですから、結婚していないからといって、気に病むことはありません。

裸の二人

アダムとエバの絵をごらんになったことがありますか? みんな裸で描かれています。実際、聖書にはこう書いてあります。

そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった」。

この頃の人間は、自分のあるがままの姿をOKできたのですね。自分はダメだ、自分は足りないといって、自己卑下に陥ることがなかったということです。そして、相手のことも恥ずかしいと思いませんでした。今そのままの相手をOKできたのです。
アダムとエバの誘惑の絵
今、服を着ないで生活しろと言われても、裸族でもなければ無理ですが(今、私の住んでいる東北でそんなことをしたら、冬には凍死します。あ、その前に警察に捕まるか……)、できるだけ、自分や配偶者のことを、そのままでOKできるようになりたいと思います。これ、豊かな人間関係の秘訣です。自分や相手のあるがままを否定するところから、関係がこじれていきます。

世界を創造なさったとき、神はそれらをごらんになって「非常に良い」と自画自賛なさいました。あなたは、もともと神さまの最高芸術作品なのです。あなたのパートナーもそうです。

禁断の木の実

エデンの園の中央に、「善悪の知識の木」がありました。よく、リンゴの木だと言われますが、聖書には別にそんなこと書かれていません。そして、神さまは、「これだけは食べたらあかん。他は何食べてもええけどな」とおっしゃいました。

どうして、神さまはそんなケチなことを命じたのかという方がいらっしゃいますが、本当にケチですか? 「これだけ食べてろ。他はダメ」なら、ケチで、つらい命令だと思いますけど……。とにかく、神さまがあのような命令をなさったのは、神さま(真理)に従う生き方を選ぶか、真理よりも自分の欲望や願いを優先させるのかを、人間に選んで欲しかったのです。命ぜられたことに自動的に従うロボットではなく、自発的に神さまを愛する方を選んで欲しかったのです。

人間同士でも、強制されたら、それは愛ではありません。だから、妻に、あるいは夫に愛して欲しかったら、怒ったり、脅したり、嫌みを言ったり、暴力を使ったりしてはダメです。優しく、ストレートにお願いしましょう。

でも、蛇に化けた悪魔(サタン)が、エバに、「これを食べたら知恵が付いて、神のようになれる」と誘惑しました。エバは自分も食べ、そばにいたアダムにも食べさせました。女性が罪を犯したのが悪くて、男は巻き込まれただけだと言う人がいますが、とんでもない。アダムは一部始終を見ていたのに、止めようともしなかったばかりか、自分でも誘惑に乗ってしまったのです。

罪の結果、人は自分が裸であることが恥ずかしくなりました。あるがままの自分、あるがままの相手を受け入れられなくなったのです。神さまに「何をやったの?」と尋ねられたとき、アダムは謝るどころか、責任転嫁をはかります。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです」。あろう事か、愛する妻、エバに責任をなすりつけ、さらにエバを与えた神さまに、あんたのせいだとさえ言っています。エバはエバで、蛇のせいにしています。

裸の自分を受け入れられなくなったとき、私たちは素直にごめんなさいがなかなか言えなくなってしまいました。聖書は、神さまは赦しの神であると教えています。ごめんなさいが、夫婦でも親子でも友だち同士でも、良い関係を作り上げる魔法の言葉だと教えています(もう一つの魔法の言葉は「ありがとう」です)。ごめんなさいを素直に言える夫婦でありたいですね。けんかになったとき、なりかけたときは、相手がどれだけ悪いかを競争するのではなく、どちらが先にごめんなさいを言うか、それを競争したいものです。

罪を犯したアダム夫妻に、神さまは泣く泣く罰をお与えになります。アダムに対する宣告では、苦しんで食を得なければならない(努力が100%報われるわけではない)こと、そしてやがて死ぬということ(始めの世界では、どうやら死はなかったのですね)。エバに対しては、出産が苦しいということと(人間は、他のほ乳類に比べて出産が苦しいようです)、もう一つこう宣言されました。「あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる」。

これを表面的に取ると、「妻は夫が好きでたまらないのに、夫は横暴にも妻を奴隷のように扱う」と読めてしまいます。ははぁん、古代から現代まで続いている男尊女卑は、ここに根っこがあるのか。男尊女卑を正当化するなんて、聖書はとんでもない……というのは、ちょっと違います。「恋い慕う」と訳されている言葉は、実は「相手をコントロールしようとする」「相手を思い通りに動かそうとする」という意味です。

と言うことは、夫も妻も相手を思い通りに動かそうとして、家庭の中に権力闘争が起こるという意味だと分かります。夫婦でも親子でも友人関係でも、およそ相手を自分の思い通りに動かそうとするところに、ギクシャクした関係が生まれます。命令や、指示や、嫌みや、泣き落としや、怒りや、様々なエサを使って、相手を思い通りに動かすのではなく、お願いができるようになったなら、夫婦関係や他の人間関係は、格段に良くなります。

いかがでしたか?

教会ウエディングは、もともとは教会に属するクリスチャンのためのものでした。今はウエディング・ドレスとか、バージン・ロードとか、指輪の交換とかの、スタイルだけが一般に受け入れられ、行なわれています。そのことをあれこれ言う気はありませんが、できたらキリスト教会が結婚式とか結婚生活とかをどのように捉えているのかを知っていただきたいなと思います。聖書は全人類のための神さまからのラブレター。クリスチャンじゃない方にとっても、有益な情報満載です。

ただまあ、聖書はお手軽に読める本でもありませんから(なにしろあんなに分厚いし)、教会ウエディングや、キリスト教的結婚観に関するするご質問があれば、遠慮なくメールをくださいませ。

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