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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

聖霊の賜物

聖霊シリーズ6

コリント人への第一の手紙12章4節〜12節

(2012年5月20日)

イントロダクション

賜物とは、目上の方からいただくプレゼントのことです。聖霊の賜物と言った場合、聖霊さまが私たちクリスチャンに与えてくださる、様々な能力のことを指します。今回は、聖霊の賜物について学びましょう。

1.聖霊の賜物とは

第1コリント12:8-11

聖霊さまが下さる特別な能力、すなわち賜物は、元々持っていた能力に聖霊さまが磨きをかけてくださる形で与えられる場合もありますし、たとえば奇跡を行なう能力のように、まったく新しく与えられる場合もあります。

聖霊の賜物には様々な種類があります。聖書の中には、どのような賜物がリストアップされているでしょうか。まず、今回の聖書箇所の中から見てみましょう。

「ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています」(第1コリント12:8-11)。

ここで、分かりにくい賜物について解説します。
知恵の言葉
ソロモン王が与えられていたような、その場そのときに応じた、知恵に満ちたアドバイスをする能力です。
知識の言葉
普通の方法ではとうてい知り得ないような知識を得る能力のことです。

先週紹介した、ジョン・ウィンバー牧師が飛行機を利用したとき、通路の反対側の男性の頭の上に、金色のプレートが見え、そこに赤い字で女性の名前が書かれているのが見えました。そして、「もし関係を清算しなければ死ぬ」という別のプレートも見えました。そこで、恐る恐るその男性に声をかけると、その人はその名の女性と不倫関係にあることを告白しました。そして、その場で関係を清算することを約束し、隣の席に座っていた妻に謝罪すると共に、妻と一緒にイエス・キリストを信じたのです。

また、いやしの場で、調子の悪い場所を見抜く力として発揮されることもあります。
信仰
信仰はどんなクリスチャンでも持っていますが(そうでなければ、そもそもクリスチャンにはなれません)、御霊の賜物としての信仰とは、とうてい信じがたいような神さまの約束でも、他のクリスチャンに比べて簡単に信じることができる力です。
預言
神さまの命令や約束や警告を直接聞いて、それを人々に語ることで導きや励ましを与える能力のことです。

使徒の働きにはアガボという預言者が登場しますが、彼は飢饉が起こることをあらかじめ言い当て、またパウロがエルサレムで逮捕されることも言い当てました。そのため、教会は飢饉で苦しんでいるエルサレム教会のために迅速に支援を準備できましたし、パウロも改めて覚悟を固めることができました。
異言
習ったことのない言語を話す能力のことです。その言語は、現在の地上のどこかに実在する言葉の場合もありますし、実在が確認されていない言葉の場合もあります。

異言は祈りや賛美に用いられることが多く、どう言葉にしていいか分からないようなことでも祈ることができるため、自分の徳を高める(霊的に、また人間的に成長させるという意味)と言われています(第1コリント14:4。一方、預言は教会の徳を高めます)。
異言の解き明かし
通常他の人には理解できない異言を、他の人にも分かる言葉に翻訳する能力です。解き明かされた異言は、預言と同じ働きをして、教会の徳を高めます。

一般的な奉仕の能力

奇跡的な能力だけが賜物なのではありません。

「私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい」。

第1コリント12:28

聖霊さまは、賜物の違いによって、クリスチャンが教会を通していろいろな働きをすることができるようになさいました。

「そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行う者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです」(第1コリント12:28)。

リーダーシップの能力

教会の中のリーダーシップの能力も、聖霊さまからの賜物です。

「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです」。

芸術に関する奉仕の能力

芸術に関する奉仕の能力も、聖霊さまが与えてくださる賜物です。

「見よ。わたしは、ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名ざして召し、彼に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たした。それは、彼が、金や銀や青銅の細工を巧みに設計し、はめ込みの宝石を彫り、木を彫刻し、あらゆる仕事をするためである。見よ。わたしは、ダン部族のアヒサマクの子オホリアブを、彼のもとに任命した。わたしはすべて心に知恵のある者に知恵を授けた。彼らはわたしがあなたに命じたものを、ことごとく作る」(出エジプト31:2-6)。

これは、神さまがモーセに、会見の天幕を造るよう命ぜられた時に語られたことばです。ベツァルエルやオホリアブたちに、天幕作りのための知恵や力を授けられました。工芸の賜物とでも言いましょうか。

他に、ダビデは竪琴を弾くことができましたが、彼の竪琴の音色は、悪霊に苦しめられていたサウル王の心を静める力がありました。これもまた、聖霊さまがくださった音楽の賜物でしょう。

その他の賜物

独身は、神さまに選ばれた人だけに与えられた特別な賜物です。

神さまは結婚を祝福しておられます。ただ、パウロはこのように言いました。「あなたがたが思い煩わないように、と私は願います。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。しかし、結婚した男は、どうすれば妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、心が分かれるのです。独身の女や未婚の女は、身も心も聖なるものになろうとして、主のことに心を配りますが、結婚した女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります」(第1コリント7:32-34)。

配偶者や子どもたちのことを考えるのは、悪いことではなく、むしろ結婚したならば当然の義務です。しかし、独身ならば、家族のことを思い煩うことなく、多くの時間や資産や意識を神さまへの奉仕に使うことができます。

しかし、独身生活によって神さまに仕える道は、神さまに許された人だけに与えられることだと、イエスさまはおっしゃいました。「弟子たちはイエスに言った。『もし夫と妻の関係がそのようなものなら、結婚しないほうがましです』。しかし、イエスは言われた。『そのことばは、だれもが受け入れられるわけではありません。ただ、それが許されている人だけができるのです。母の胎から独身者として生まれた人たちがいます。また、人から独身者にさせられた人たちもいます。また、天の御国のために、自分から独身者になった人たちもいます。それを受け入れることができる人は、受け入れなさい』」(マタイ19:10-12)。

2.何のために与えられるのか

奉仕のための能力

これらの特別な能力は、どうして与えられるのでしょうか。5節から7節には、クリスチャンに聖霊の賜物が与えられる目的が書かれています。それは、様々な奉仕、働きを通して、「みなの益となるため」です。

すなわち、教会の中の人たちや教会の外の人たちを愛し、助け、慰め、励まし、イエスさまへと導き、きよめ、成長させ、神さまが用意してくださっている本当の幸せを味わうことができるようにするためです。

クリスチャンの使命と賜物

クリスチャンには、様々な使命が与えられています。そして、この地上で、様々な奉仕の働き、すなわち神さまと神さまが愛しておられる人々のために仕える働きをするように期待されています。これは、賜物が与えられていようといまいと同じです。先ほど紹介した賜物のリストに挙げられていることは、すべてのクリスチャンに与えられている使命です。

たとえば、伝道者の賜物が与えられていようといまいと、私たちクリスチャンは、他の人に対してイエスさまを証しし、伝道します。ただ、伝道者の賜物が与えられている人は、与えられていない人と比べると、未信者がすぐその場でイエスさまを信じる頻度が高いのです。

私たちは、いやしの賜物の有無に関わらず、病の人がいれば神さまにいやしを求めて祈ります。しかし、いやしの賜物が与えられる人が祈ると、より高い確率ですぐその場でのいやしが行われるのです。

私たちは、慰めの賜物の有無に関わらず、傷つき沈んでいる人がいれば、慰めの言葉、励ましの言葉をかけます。しかし、慰めの賜物が与えられる人が関われば、より落ち込んでいる人が元気になりやすいのです。

私たちは、分け与える賜物や慈善の賜物がなくても、献金をしたり、困っている人のためにお金や体力や時間を捧げたりします。しかし、分け与える賜物を持っている人は、自分の収入の内、かなりの割合を捧げても自分の生活を心配しないし、実際に生活が守られます。そして、慈善の賜物が与えられている人は、自分の時間の多くを慈善の働きに捧げることができます。

私たちは、預言の賜物が与えられていなくても、聖書を通して語られている神さまのみこころを、他の人に向かって語ります。しかし、預言の賜物が与えられている人は、より具体的な状況に合わせて、よりクリアに、神さまのみこころを語ることができます。

より効果的な働きのために

すなわち、賜物とは、クリスチャンに与えられている様々な神さまの働き(ミニストリー)のうち、一つ、あるいはいくつかを、より効果的に、その働きのエキスパートとして行なうことができるように与えられるものです。

私たちクリスチャンは、みんなミニストリーをする者たちです。賜物がないからとか、自分に与えられている賜物が分からないからとかいうのが、伝道しない言い訳、いやしを祈らない言い訳、慈善のわざをしない言い訳にならないようにしましょう。

賜物のリストを眺めてみてください。これらはすべてクリスチャンの使命です。そして、その中で、あなたが得意なものは何ですか? あるいは、それをやっているととても充実すると感じるものは何ですか? それは聖霊の賜物だと考えられます。それをさらにさらに神さまが磨いてくださり、豊かな実を結ばせてくださるよう祈りましょう。

3.どうしたら与えられるか

期待する

聖霊の賜物は「おのおのに」与えられていると書かれています。すべてのクリスチャンが、最低一つは賜物を与えられているということです。さらに、「よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい」(第1コリント12:31)と書かれていますから、後になって新たに与えられる賜物もあるということです。それを信じましょう。

あなたを通して、聖霊さまがすばらしいことをしてくださると期待しましょう。

自分なんかにいやしの賜物が与えられているはずがないとか、自分なんかが人を慰め、励ますことなんてできるはずがないとか、勝手に決めつけないようにしましょう。むしろ、大いに期待しましょう。

約束を信じて祈る

そして、聖霊さまが、約束に基づいて、自分に与えてくださっている賜物を明らかにしてくださるように、あるいはさらに豊かに賜物を与えてくださるように、そして、自分を通して、この地上ですばらしいことを行なってくださるように祈りましょう。1

小さなことに忠実に取り組む

すでに学んだように、賜物はクリスチャンの使命と密接に関係しています。神さまと神さまが愛される人々のために、愛のわざを積極的に行ないましょう。

イエスさまが語られたタラントのたとえ(マタイ25:14-30)を思い出しましょう。3人のしもべが、主人からそれぞれ5タラント、2タラント、1タラントのお金を預かりました。5タラントと2タラントのしもべは、与えられたお金を元手に商売をし、精算の時に主人から「良い忠実なしもべだ」とほめられました。そして、「あなたは、わずかなものに忠実だったから、たくさんのものを任せよう」と、さらに多くの資金を任されることになりました。

ところが、1タラントを預かったしもべは何もしませんでした。そこで、主人に叱られた上に、最初の1タラントも取り上げられてしまいました。

イエスさまはおっしゃいます。「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です」(ルカ16:10)。

「神さまは、今、私に何をすることを望んでおられるだろうか?」と、いつも心の中で自問し、それを実践するように心がけましょう。そのようなあなたなら、聖霊さまはすばらしい賜物を与え、ますますあなたがすばらしい実を結ぶことができるようにしてくださいます。

まとめ

聖霊さまは、あなたにも特別な賜物を与え、神さまや神さまが愛しておられるこの世の人たちに対して、愛のわざ、不思議なわざを行なうことができるようにしてくださいます。

あなた自身への適用ガイド

  • あなた自身には、どのような賜物が与えられていると思われますか? その賜物によって、どのような結果を刈り取りましたか?
  • あなたの周りのクリスチャンには、どのような賜物が与えられていると思われますか?
  • 賜物のリストは、クリスチャンに与えられている使命も示していますが、あなたが最近あまり実行していないのはどれですか?
  • 「小さいことに忠実」の小さいこととは、今のあなたにとっては何ですか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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