(2021年2月21日)
礼拝メッセージ音声
参考資料
「エフー」は北イスラエル王国軍の将軍で、紀元前841年に北王国第9代の王ヨラムと、その母で第7代アハブ王の妻イゼベルを殺して王位に就きました。その後、エフーは異教の神バアルをアハブ以上に熱心に礼拝するという嘘の宣言をして、バアルの神殿に異教の預言者や祭司や信者をことごとく集めました。それから起こったのが今回の出来事です。
「バアル」は、古代のパレスチナ地方で信仰されていた異教の神で、天候をつかさどり、地に豊穣をもたらすと信じられていました。士師記の時代には、イスラエル人の中にもバアルを信仰した人たちがたくさんいました。また、北王国のアハブ王が王妃イゼベルの影響で、国中にバアル礼拝を広めました。
23節の「レカブの子ヨナダブ」については、後に彼の子孫と預言者エレミヤとが対話をし、それを用いて神さまが南王国ユダに対する宣告をなさっています(エレミヤ35章)。
30節で、「あなたの子孫は四代目まで、イスラエルの王座に就く」と預言されていますが、実際エフーの後、第11代エホアハズ、第12代ヨアシュ、第13代ヤロブアム2世と王位が続いて、4代後の子孫である第14代ゼカリアがシャルムに殺されて王位を奪われ、エフー王朝は終わりを告げました。
北王国(イスラエル王国)と南王国(ユダ王国)、及びアラム(アラム・ダマスカスの王国)の位置関係は以下の地図をご覧ください(国境線は時代によって変化します)。
イントロダクション
現在、歴代のイスラエル王について学んでいます。
今回取り上げるのは、北王国第10代目の王エフーです。彼は北王国の王としては珍しく宗教改革を行ないました。そして神さまにほめられています。もちろん、
前回学んだ南王国の信仰的な名君ヨシャファテにも問題点があったように、エフーにも問題点がありました。
それを学ぶことを通して、私たちへの神さまの励ましを読み取りましょう。
1.エフーの選びと応答
預言者エリヤによる預言
エフーが聖書に最初に登場するのは、預言者エリヤとアハブ王の時代です。これまで繰り返しお話ししてきましたが、アハブ王は王妃イゼベルの影響で、国中に異教礼拝を広めました。そこで、神さまは様々な預言者を遣わしてそれを非難なさいましたが、特に激しくアハブ王夫妻と対立したのがエリヤです。
あるとき、王妃イゼベルが、悔し紛れに「お前を殺してやる」とエリヤを脅しました。恐れを感じたエリヤは南王国の先の荒野まで逃げ、さらに進んでモーセが律法を受け取ったシナイ山までたどり着きました。エリヤが「自分一人だけが残されました」と言い、自分一人では国家権力と戦う力はないと弱音を吐くと、神さまは静かにエリヤに語りかけ、励まされました。
「さあ、ダマスコの荒野へ帰って行け。そこに行き、ハザエルに油を注いで、アラムの王とせよ。また、ニムシの子エフーに油を注いで、イスラエルの王とせよ。また、アベル・メホラ出身のシャファテの子エリシャに油を注いで、あなたに代わる預言者とせよ。ハザエルの剣を逃れる者をエフーが殺し、エフーの剣を逃れる者をエリシャが殺す。しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残している。これらの者はみな、バアルに膝をかがめず、バアルに口づけしなかった者たちである」(第1列王記19:15-18)。
神さまは、エリヤと共に異教礼拝と戦う7千人の人々が残されているとおっしゃり、特に3人の人物の名前を挙げて、彼らが異教礼拝・偶像礼拝にまみれた北王国にさばきをもたらすと約束なさいました。その3人とは、アラムの王となるハザエル、イスラエルの王になるエフー、そして預言者エリシャです。
ここに今回の箇所の主人公、エフーの名前が登場します。エフーはアハブ王家にさばきをもたらす器だということが、ここで初めて預言されたのです。
- ただし、後にアハブは神さまの前に悔い改めたので、神さまはアハブの時代ではなく、息子の代にアハブ王家をさばくとおっしゃいました(第1列王記21:29)。
油注ぎとクーデター
アハブ王がアラムとの戦いで戦死すると、跡を継いだのは息子のアハズヤでした。しかし、アハズヤは即位後わずか1年で子を残さぬまま病死してしまいましたので、アハズヤの弟ヨラムが王位を継ぎました。この人もアハブの息子です。
ハザエル
この頃、アラムで政変が起こりました。アラムの王ベン・ハダド2世が病気で伏せっているとき、アラムを訪問していた預言者エリシャ(彼もエリヤの預言に登場しますね)がアラムの将軍ハザエル、あの預言者エリヤの預言に登場したハザエルに油を注いで、「イスラエルの神ヤハウェが言われる。あなたがアラムの王になる」と宣言しました。そこでハザエルは、寝ているベン・ハダドを暗殺して王位を奪いました。
前の王ベン・ハダドはたびたび北王国に攻め込みましたが、そのたび大損害を被って退けられました。そして、逆に北王国に領土を奪われる結果になってしまいました。しかし、新王ハザエルは国の勢力を盛り返し、再び北王国を侵略し始めました。
そこで、北王国のヨラム王は、ラモテ・ギルアデに出撃してアラム軍を迎え撃ちました。ところが、ハザエル率いるアラム軍は非常に強力で、ヨラム王は負傷して王宮に戻ってしまいます。
油注ぎ
すると、預言者エリシャが、戦場に残って戦っていた将軍エフーの元に仲間の預言者を派遣します。仲間の預言者はエリシャが命じたとおり、エフーに油を注いで言いました。
「イスラエルの神、【主】はこう言われる。『わたしはあなたに油を注いで、【主】の民イスラエルの王とする。あなたは、主君アハブの家の者を打ち殺さなければならない。こうしてわたしは、わたしのしもべである預言者たちの血、イゼベルによって流されたすべての【主】のしもべたちの血の復讐をする。それでアハブの家はことごとく滅び失せる。わたしは、イスラエルの中の、アハブに属する小童から奴隷や自由の者に至るまでを絶ち滅ぼし、アハブの家をネバテの子ヤロブアムの家のように、またアヒヤの子バアシャの家のようにする。犬がイズレエルの地所でイゼベルを食らい、彼女を葬る者はだれもいない。』」(9:6-10)。
ヤロブアムは初代の王ですが、クーデターにより息子の代で家が滅亡しました。ヤロブアム王家を滅ぼしたバアシャも、クーデターによって息子の代で家が滅びました。彼らの家のようにアハブ王家も滅亡し、それを行なうのがエフーだという預言です。
そこで、エフーは首都サマリアにとって返して、ヨラム王を殺してしまいます。さらに、ヨラムの母イゼベルを殺し、たまたま北王国を訪問していた南王国の王アハズヤも殺します。彼も、アハブとイゼベルの孫、ヨラムにとっては甥であり、アハブ王家の一員だったからです。そして、エフーはアハブの子どもたち70人も殺してしまいました。
こうしてエフーは北王国10代目の王となりました。反乱によって誕生した北王国の王朝は、ダビデ王家に逆らって北王国を独立させた初代ヤロブアムの王朝を含めると、これで5つ目になります。
宗教改革と不足点
今回読んだ聖書箇所は、エフーが王になった直後の話です。
参考資料にも書きましたが、エフーは異教の神バアルをアハブ以上に熱心に礼拝するという嘘の宣言をします。そして、バアルの神殿に異教の預言者や祭司や信者をことごとく集めました。それから起こったのが今回の出来事です。
エフーは配下の者たちに命じて、異教徒たちを粛正しました。そして、異教の神殿や偶像を徹底的に破壊しました。アハブとイゼベルが持ち込んだ異教礼拝を、エフーは国から取り除いたのです。
この点について、神さまは(おそらく預言者の1人を通して)エフーをほめました。そして、
「あなたの子孫は四代目まで、イスラエルの王座に就く」(30節)と約束なさいました。
逆に言うと
しかし、逆に言うと、あと4代しか続かないということでもあります。エフーの王朝は5代で終わりを告げます。それは、エフーの治世に問題があったからです。31節にそれが書かれています。すなわち、
- モーセの律法の教えを無視したこと
- 特に、異教礼拝は取り除いたけれど、初代ヤロブアム時代から続いている金の子牛の像を拝む偶像礼拝は相変わらず続けたこと
です。
この金の子牛は、初代ヤロブアムが聖書の神さまをかたどって造らせた像です。しかし、モーセの律法は偶像礼拝を禁じています。たとえ聖書の神さまを礼拝するためであっても、偶像を刻んでそれを拝んではならないのです。
問題の本質
エフーの問題点の本質は何でしょうか。それは、表に現れた行為は神さまのみこころにかなっていましたが、心は神さまに向けられていなかったということです。エフーは神さまと深い愛の交わりを持とうとしませんでした。
エフーが正義感にあふれていたのは間違いありません。アハブやイゼベルが広めた異教礼拝に怒りを感じていましたし、ブドウ畑を手に入れるために持ち主に濡れ衣を着せて殺すというような不法な行ないにも憤りを感じていました。ですから、預言者によって油を注がれ、神さまがアハブ王家を滅ぼすために自分を王に任命なさったということを知ったとき、すぐに立ち上がってアハブ王家を滅亡させたのです。
ただし、その正義というのは、エフー自身が考えた正義です。エフーは自分が考えた正義を実現するためにアハブ王家を滅亡させました。それがたまたま神さまのみこころ合っていただけの話です。自分なりの正義を実現するために、神さまのみこころに合わない行為をすることもあり得ます。
実際、エフーは神さまの命令であるモーセの律法をないがしろにしましたし、偶像礼拝も平気で行ないました。エフーの正義によれば、そういったことは問題ないことだったからです。
ですから、神さまはエフーの行為はほめ、祝福してもくださいましたが、ダビデ王家と違ってエフー王家が永遠に続くことはないと宣告なさったのです。
では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
2.心を大切にしよう
神は愛の心を見る
心を大切にするといえば、聖書の中の次のエピソードを思い出します。
かつてサウル王に代わるイスラエル統一王国の王を選ぶため、神さまは預言者サムエルをベツレヘムのエッサイという人の元に遣わして、彼の子どもたちに面会させました。最初サムエルは、背が高くて見栄えのいい長男が王にふさわしいと思いました。しかし、神さまは長男が王に選ばれたのではないとおっしゃって、サムエルをこう諭されました。
「人はうわべを見るが、【主】は心を見る」(第1サムエル16:7)。そして、王に選ばれたのはまだ子どもだった末っ子のダビデでした。
神さまがサムエルにおっしゃったとおり、私たちは外側に現れたものに目を奪われがちです。外側に現れたものとは、外見だけでなく行ないも含みます。しかし、神さまは私たちがどんな心でそれを行なったのかという方を重視しておられます。
愛の心
神さまが重視なさる心とは、愛の心です。イエスさまは、モーセの律法は2つの命令に要約されるとおっしゃいました。それは、
- 全身全霊をこめて神さまを愛すること
- 隣人すなわち他の人を、自分自身を愛するように愛すること
です。
モーセの律法は、イエスさまが全人類の罪の身代わりとして十字架にかかられたとき、すべて無効となりました(エペソ2:14-15など)。しかし、その後書かれた使徒たちの手紙の中で、「隣人を愛すること」が神さまの命令の要約だと述べられています(ガラテヤ5:14など)。
そして、新約聖書でも神さまを心から愛するよう繰り返し命ぜられています。私たちが他の人を愛するのは、神さまを愛しているからです。神さまを愛しているなら、神さまが大切にしておられるものを大切にしようとします。神さまは、御子イエスさまを犠牲にするほどに私たち人間を愛し、大切にしておられます。ですから、私たちは他の人を愛するようにという神さまの命令を守るのです。
神さまへの真実の愛、これが神さまの重視なさる心です。
神さまを愛し、神さまを尊敬し、神さまの素晴らしさに感動し、神さまに信頼しているかどうか、ということです。
そして、その上で神さまが喜ばれる行ないをするのでなければ、神さまはガッカリなさいます。
正義に注意
特に私たちは、自分の「正義感」に注意しなければなりません。しばしば正義は怒りを伴います。いわゆる義憤というやつです。そして、義憤は攻撃的な態度を生み出しがちです。
ある有名人が新型コロナに感染しました。すると、誰かがその人の車に傷をつけました。もし犯人が器物破損の罪で捕まったとしたら、「あの有名人を懲らしめるつもりだった」と、自分の正義を訴えることでしょう。SNSで相手が自殺するまで徹底的に批判を書き込む人たちも、彼らなりの正義感から行なっているのでしょう。
夫婦喧嘩だって、国と国との戦争だって、一方の正義と他方の正義のぶつかり合いです。「俺が正しい。お前は間違っている。だからお前を懲らしめてやる」という正義感が、様々な争いの根っこにあります。
もちろん正義感を持つこと自体は悪くありませんし、正義感による怒りがすべて悪いわけでもありません。イエスさまも怒りをあらわになさったことがありますし、預言者たちや使徒たちも怒りを表したことがしばしばあります。
しかし、その正義が神さまの正義と一致していなければ意味がありません。そして、たとえ表面的に神さまの正義と一致していたとしても、私たちの心が神さまへの愛、人々への愛に満たされていなければ、ただ無用の争いや悲しみを引き起こすばかりです。
頭にきているときには、なかなか冷静に自分の心が神さまの方を向いているかどうかチェックできません。それでも、最初は行動してしまった後でかまわないので、自分の行動が神さまへの愛に基づいていたかどうか振り返ってみましょう。それを繰り返していれば、行動する前に自分の心が神さまに向いているかどうか、その上で義憤に駆られているのかどうかを判断できるようになっていきます。
神さまの愛に注目
しかし……。こういう箇所を学ぶといつも考えさせられます。それは、私たちは100%心から、100%純粋に、100%誠実に神さまを愛することなどできるのか、ということです。「増田よ、偉そうに語っているけれど、あなた自身はどうなのか」と尋ねられたら、「ごめんなさい」と答えるしかありません。
ただ、同様にいつも思わされることは、神さまは恵みの神、赦しの神だということです。
エフーの神さまへの愛は不十分でした。それ故に偶像礼拝をやめなかったし、モーセの律法も大切にしませんでした。それでも、神さまはご自分のみこころにかなう行動をしたエフーをほめました。4代後の子孫までエフー王朝が続くことも保証なさいました。
先ほど申し上げたとおり、それは4代後の子孫で王朝が終わるということでもありますが、その間神さまはエフー王家の人たちに悔い改めのチャンスを与え続けてくださっていたとも言えます。あの最悪の王アハブでさえも、彼が預言者エリヤがさばきを宣告するのを聞いて悔い改めたとき、神さまはアハブの時代には一族を滅ぼさないと約束してくださいました。
ですから、エフーも、その後継者であるエホアハズ、ヨアシュ、ヤロブアム2世、そしてゼカリヤのうち誰かが神さまを愛することを学び、神さまの命令を忠実に行なおうとし、たとえ失敗したとしても謙遜に悔い改めて再びチャレンジしていったなら、エフー王家はもっともっと長く続いていたことでしょう。
恵みの福音
イエスさまは私のためにも、そしてあなたのためにも十字架にかかり、死んで葬られ、3日目に復活してくださいました。それを信じた私たちはすべての罪を赦されています。神さまを100%心から、100%純粋に、100%誠実に愛しているとは言えない私たちですが、それでも神さまは私たちのことを愛し、大切に思い、幸せにしたいと願ってくださっています。
そんな神さまの愛を知ったからこそ、そして日々味わって感動するからこそ、私たちはもっと神さまを愛したいと願い、神さまの願いを自分の願いとしたいと思い、神さまが願われる行ないをしようと決意し、実践するのです。
私たちが神さまを愛したから神さまが私たちを愛してくださったのではありません。そのことを私たちは決して忘れてはなりませんね。
ドイツにクラウス・ヘームスという説教者がいました。彼は雄弁で博識だったため、各地から説教の依頼が殺到していました。あるとき、ヘームスが友だちに「休む暇もないよ」と自慢げに語ると、友だちは真顔で言いました。「クラウス。君はそんなに人にばかり語っていて、いつ神さまから語ってもらうのだい?」
人々に聖書のメッセージを届けるのは大切な奉仕です。多くの人々を救いに導きたい、そしてクリスチャンとして成長させたいというのは神さまの願いだからです。しかし、いつの間にかヘームスは神さまと愛の交わりをすること、その交わりを深めることを忘れてしまっていました。
やっていることは正しいのに、心が神さまとは別の方向を向いていたということに気づかされたヘームスは、それから説教の数を減らました。そして、祈りの時間を確保することに努めました。すると、数が少なくなった彼のメッセージによって、かえって前よりもたくさんの人が救われるようになったのです。
まとめ
悪を正すことは大切。聖書の命令を実行することは大切。伝道することは大切。教会の奉仕をすることは大切。仕事をすることは大切。勉強することは大切。家族の世話をすることは大切。困っている人を助けることは大切です。それをやめるべきではありませんし、もっと熱心に行なうべきです。しかし、神さまを愛すること、神さまと愛の交わりをすることは、もっと大切です。
そして、神さまに愛されていることを確認することが、神さまを愛する原動力になります。神さまが私たちを愛してくださっていることをもっともっと学ぶために、私たちも聖書を読み、祈り、クリスチャン同士で交わって励まし合うことに努めましょう。そうして、神さまとの愛の交わりを深めていけば、本当の意味で正義を実践できるようになります。
あなた自身への適用ガイド
- 誰かに対する義憤が、神さまのみこころと外れていたと気づかされた経験が最近ありましたか?
- 上記の件について、神さまとの愛の交わりを重視したならば、あなたはどのような行動を取ったはずですか?
- 最近、どのように神さまの愛を体験しましたか?
- 神さまが恵みの神、赦しの神であることを、最近どのように体験しましたか?
- 今よりももっと神さまとの愛の交わりを深めるために、あなたが心がけたいことは何ですか?
- 神さまの愛に感動したことによって、内側から突き動かされるようにして何かをしたいと思ったことが最近ありましたか?
- 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?