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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

自制

御霊の実シリーズ9

第1コリント9:23-25

(2021年7月4日)

礼拝メッセージ音声

参考資料

25節の「朽ちる冠」は、古代ギリシャの競技(古代オリンピックなど)で勝者に与えられた、オリーブの枝で作った冠のこと。当然、日にちがたてば枯れてしまいました。

イントロダクション

現在、「御霊の実」に登場する9つの良い性質について、1つ1つ解説しています。今回は、9番目の「自制」についてです。自制とは、自分を制御するという意味です。英語訳聖書の多くは「self-control」と訳していますが、これも同じ意味です。自分の欲望や感情、さらにそこから生じる行動をコントロールするということですね。

今回も、聖書が教える自制について教えていただくと共に、そこから神さまの大きな励ましを受け取りましょう。

1.自制とは

特に3つの場面で自制の力が求められます。

(1) してはならないことをしない力

自制とは、犯罪行為、ルール違反、マナー違反、ハラスメント行為など、自分や他の人を傷つけたりその尊厳をないがしろにしたりする行為をしないようにする力です。

私たちの心の中には、様々な欲求があります。生まれたばかりの赤ちゃんは欲求を素直に表現します。食べたいときに食べ、出したいときに出し、泣きたいときに泣き、寝たいときに寝ます。赤ちゃんはそれでいいのです。しかし、大きくなるに従って、だんだんと欲求を我慢したり先送りにして待ったりすることを学びます。

なぜなら、みんながやりたいことをやりたいように行なって制限のない世界は、一見自由なように思えますが、実はみんなが不自由で制限だらけになってしまうからです。それは、無政府状態になった国や地域の人々がどういう生活をしているかを見れば一目瞭然です。遊びたいから働かない、欲しいものは他人から取り上げてでも手に入れる、相手に怒りを感じたら素直にそれをぶつけてこの世から抹殺する。そんな、いつ持ち物を奪われるか分からない、いつ暴力を受けたり殺されたりするか分からない世界は不自由です。

昔、ユダヤ人に神さまが与えた生活の指針であるモーセの律法には、たくさんの禁止命令があります。律法学者によると、モーセの律法には全部で613個の命令があるそうですが、そのうち365個が「〜するな」という禁止命令だそうです。しかし、それらはユダヤ人を縛り付けて不幸にするための命令ではなく、イスラエルの国がみんな幸せに暮らせる社会であるための命令でした。

イエスさまはモーセの律法は2つの命令に要約されるとおっしゃいました(マタイ22:37-40)。一つは、神さまを全身全霊で愛すること。そしてもう一つは「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という隣人愛です。

モーセの律法は、イエスさまが十字架にかかって血を流されたときに完成して今は廃棄されました(エペソ2:14-16)。しかし、その代わりに新約聖書を通して様々な新しい命令が私たちクリスチャンに与えられています。これを「キリストの律法」と呼びます(第1コリント9:21、ガラテヤ6:2 )。

そのキリストの律法もまた、隣人愛を基本にしていると聖書は教えています。「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34 )。

みんなが幸せになるために、私たちは自制心を働かせて、時に自分の欲望や感情を押さえ込み、神さまが喜ばれない行ないをストップしなければなりません。それが自制の力です。

(2) しなければならないことをする力

モーセの律法全体が613の命令で、そのうち365個が禁止命令だということは、残りの248個は「〜しなさい」という積極的命令だということです。新約聖書が教えるキリストの律法にも、たくさんの「〜しなさい」という命令があります。

また、私たちの社会は、禁止命令だけで成り立っているわけではありません。「〜しなければならない」という義務もたくさん存在しています。日本国憲法には、勤労の義務、納税の義務、子どもに教育を受けさせる義務が明記されています。

今回皆さんと一緒に交読した聖書箇所には、アスリートのたとえが語られています。間もなく東京オリンピックが開幕しますが、大会に参加するアスリートたちは、みんな金メダルを目指し、そのために何年間も厳しい訓練を自分に課してきたことでしょう。

しかし、そういった「しなければならないこと」には、多くの場合何らかの犠牲が伴います。体力が消耗してしんどいとか、面倒くさいとか、経済的な負担が生じるとか、時間が削られるとか。すると、「やりたくない」という感情が私たちの心の中に生じます。

最近太りすぎだから運動しなければならないと分かっていても、間食は控えなければならないと分かっていても、「今日はちょっと疲れたから、ダイエットはまた明日」などと思ってしまうのが私たちです。しなければならないことをやりたくないのには、本人にとってはもっともな理由があります。

しかし、それでも「やりたくない」という感情を抑え込んでしなければならないことを行なうのが自制の力、セルフコントロールの力です。

(3) してもいいことをやりすぎないようにする力

聖書には積極的命令と禁止命令がありますが、実は多くの行動について神さまは私たちの自由意志に任せておられます。たとえば、私は今日の服装を神さまに命じれられて選んだわけではありません。朝食にしても、この会場に来るのにどのルートを通るかもそうです。

もちろん、この社会のエチケットに反しない服装をするとか、自分の健康を損ねない食べ物を食べるとか、作ってくれた家族に感謝しながら食べるとか、交通ルールを守るとかいう大枠のルールやマナーには従いますが、細かい点においてどう行動するかは私の自由意志に任されています。

ただ、基本的には問題のない行動でも、やり過ぎると自分や他人や社会にとって毒になることがあります。たとえば、聖書は食事やアルコールの摂取そのものは禁じてはいませんが、暴飲暴食は禁じています。体に悪いからです。テレビやネットやゲームの利用自体は禁じられておらず、適度に行なう分には気分転換にはもってこいでしょう。しかし、やり過ぎると健康を害したり、家族などとの触れ合いが減ってトラブルになったりします。

際限なくやりたいという欲求を抑えるのもまた、自制の力、セルフコントロールの力です。

次に、神さまが与えてくださる自制の実を、別の角度から考えてみましょう。

2.自制は解放

ギリシア語の意味1

御霊の実シリーズでは、毎回原語であるギリシア語の単語を紹介してきました。今回の自制は、ギリシア語で「エングラテア」です。

この言葉には、「支配する」という意味があります。自分自身を支配することが自制です。

前々回、カインとアベルの物語について触れました。神さまは弟アベルのささげものは受け入れたのに、兄カインのささげものを拒否なさいました。その理由は2つです。
  1. 当時は礼拝の際に血の犠牲(動物を殺してその血を祭壇に注ぎ、体は祭壇で焼くささげもの)をささげなければなりませんでしたが、カインは手近にあった作物をささげました。犠牲の内容が間違っていたのです。
  2. また、弟アベルが所有している家畜の中で最高の動物をささげたのに対して、カインはささげても惜しくないできの良くない作物をささげたのでした。犠牲をささげる態度(心)が間違っていたのです。
ところが、カインはアベルに嫉妬しました。それに気づかれた神さまは、カインにこうおっしゃいました。「もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない」(創世記4:7)。

ここで神さまは2つのことをおっしゃっています。
  1. 神さまはアベルをひいきしたのではなく、カインが間違った方法(すなわち、犠牲の内容やささげる態度)でささげたために拒否しただけだから、正しい方法でやり直せばいいだけだ。
  2. 今、罪の思いがあなたをコントロールして、あなたの嫉妬を用いて弟を害そうとしている。しかし、あなたはその罪の思いをコントロールして押さえ込み、間違った行動を取らないようにしなければならない。
しかし、カインは自分の嫉妬心をコントロールせず、むしろ嫉妬心にコントロールされて、何の落ち度もない弟アベルを殺してしまいました。カインは自制心を働かせることができなかったのです。

ギリシア語の意味2

「エングラテア」には、「自由にする」という意味もあります。「支配する」と「自由にする」とは、何だか真逆の意味のようですが、実は通じています。この言葉のイメージとしては、過酷な敵が支配していた町を王が攻め落として、代わりにいつくしみ深い支配を行ない、住民に自由を与えるというものです。

かつてイスラエルの民は、エジプトで奴隷状態にありました。そして、1年中過酷な労役に苦しめられていました。しかし、そんな彼らを神さまは解放してくださいます。その後与えられたのがモーセの律法ですが、その4番目の命令が「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ」(出エジプト20:8)という安息日規定です。

安息日は土曜日のことです。正確に言うと、金曜日の日没から土曜日の日没までで、この日は仕事をしないで休むように言われています。自分が休むだけでなく、家族や奴隷や家畜も休ませなければなりませんでした。一般には、安息日はユダヤの礼拝日だと思われていますが、それはバビロンによって神殿が破壊されて以降に定着した習慣で、元々は休む日だったのです。

安息日規定が与えられたのは、あることを記念するためでした。それは、休みなく働かされていた奴隷状態のイスラエルを、神さまが解放して自由にしてくださったということです(申命記5:15)。一斉に休みを取ることで、ユダヤ人たちは自分たちが神さまによって解放され、自由になったことをお祝いしているのです。

神による解放

昔、母教会で「ベテル聖研」という聖書の学びを受講しました。旧約20課、新約20課からなる学びで、約2年間のコースです。その初日に学んだことのひとつが「人間には限られた自由しか与えられていない」ということです。

言ってみれば、人間はいつも何かの奴隷(しもべ)です。元々は神さまのしもべとして創造されたわけですが、それを嫌って自由を求めて神さまに逆らったとしても、今度は罪の奴隷、サタンの奴隷になってしまいます。

あのカインの物語を思い出してみましょう。カインは、自分の中に湧き上がってきた嫉妬心と殺意をコントロールできず、逆にコントロールされて弟殺しという恐ろしい罪を犯してしまいました。

また、使徒パウロも、ローマ人への手紙の中で「自分はしたいと思う善を行なうことができないで、したくない悪を行なってしまう惨めな存在だ」と語っています。

しかし、そんな私たち人間のために、神さまは御子イエスさまを地上に送ってくださったとパウロは語っています。イエスさまは私たちの身代わりとして神さまからの罰を受けてくださり、そのために私たちは罪の故に神さまから罰を受けて滅ぼされることがなくなりました。

そればかりか、聖書に中に次のように約束されています。「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです」(ローマ8:26-27)。

聖霊なる神さまは私たちの内側に住み、父なる神さまに取りなしてくださることによって、神さまの力によって以前はできなかった正しい生き方ができるようにしてくださっているのです。
私たちの幸せのための制限
先日テレビを見ていたら、阿佐ヶ谷姉妹のお二人がロケで銀座にある乗馬クラブに行かれていました。銀座で乗馬? そこは、機械でできた馬に乗って乗馬のシミュレーションができる場所です。乗馬といってもただ単にぽくぽくと馬に乗って歩くだけでなく、障害物競技や競馬など、普通の牧場で行なっている乗馬体験とは一味違う体験ができます。

阿佐ヶ谷姉妹のお姉さんが競馬に挑戦しました。インストラクターが言うには、スタートすると馬はダッシュしたがるので、手綱を引いてブレーキをかけなさいということでした。馬にしてみればスピードを制御されるのはストレスでしょう。しかし、そうしないとすぐにスタミナが切れて走れなくなってしまい、ゴール直前で次々と他の馬に追い抜かれてしまうことになります。手綱を引くのは馬をいじめるためではなく、馬に勝利の栄冠を与えるためです。

今回交読した聖書箇所でも、アスリートが様々な面で節制をするのは、栄冠を勝ち取るためだと言われていますね。

悪魔が罪の力を用いて私たちを支配するのは、私たちを苦しめ、最後に滅ぼすためです。しかし、神さまが私たちを支配なさるのは、私たちを苦しめるためではなく、解放し本当の幸せを与えてくださるためです。

自制の力を身につけるために、我慢しなければならないことに目を向けるより、それを通して与えられる栄冠、すなわち神さまが用意してくださっている幸せに目を向けましょう。そして、毎日自分が神のしもべであることを認め、改めて人生をささげましょう。また、神さまが自制を通して栄冠を与えてくださることを確認しましょう。
祈ろう
自制はこれまで学んできた他の8つの良い性質と同じように、御霊の実です。聖霊さまが私たちの内側に実らせてくださるものです。ですから、してはならないことをしたくなったり、しなければならないことをやりたくない思いになったり、適切な量や時間を守れず「もっと、もっと」という思いに支配されそうになったりしたとき、すなわち自制心が足りないことを自覚したときには、神さまに助けを祈り求めましょう。神さまは自制の力を与えてくださいます。

この話をお読みください

あなた自身への適用ガイド

  • 最近、自制心が求められていることを自覚した場面を思い出してください。うまく自制できましたか? それともうまくいきませんでしたか?
  • 今のあなたが、自制することに苦労しているのはどういう状況ですか?
  • その状況で自制することができたなら、将来どのような「栄冠」が待っていますか?
  • 祈りによって神さまから自制心を与えられた経験が最近ありましたか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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