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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

ペンテコステの出来事

2023年ペンテコステ礼拝

使徒の働き2章1節〜8節

(2023年5月28日)

礼拝メッセージ音声

参考資料

1節の「五旬節」(七週の祭り)は、モーセの律法(レビ記23章)で毎年祝うよう命ぜられている7つの例祭の一つ。
  1. 過越の祭り
  2. 種なしパンの祭り
  3. 初穂の祭り
  4. 五旬節(七週の祭り)
  5. ラッパの祭り
  6. 贖罪の日(宥めの日)
  7. 仮庵の祭り
五旬節は、過越の祭り直後の日曜日に行なわれる初穂の祭りから7週間後(50日目。必ず日曜日)に行なわれました。そのため、ヘブル語でシャブオット(週という意味)、ギリシア語でペンテコステ(50番目という意味)と呼ばれています。

ちなみに初穂の祭りの日にイエスさまが復活なさいましたから、キリスト教会ではイースターの7週後の日曜日にペンテコステを祝います。

初穂の祭りが大麦の初穂の刈り入れ開始を祝うのに対して、五旬節では小麦の刈り入れの始まりを祝いました。ユダヤ教では、モーセの律法が与えられたことも記念しました。

五旬節では、小麦の初穂で作った2つのパン(過越の祭りやそれに続く7日間の種なしパンの祭りのときと違い、パン種の入ったもの)をささげました。これは、聖霊降臨によって誕生した教会がユダヤ人と異邦人からなり、それらが一つの体となることを象徴しています(エペソ2:14-16)。

モーセの律法では、過越の祭り・五旬節・仮庵の祭りの3つは、「主が御名を住まわされるために選ばれた場所」(福音書時代はエルサレム神殿)に集まって祝うよう命じています(申命記16:5-7,11,15)。

2節の「風」は、ヘブル語でルーアフ、ギリシア語でプニューマといいます。いずれも「霊」と訳される単語と同じです。

イントロダクション

今日はペンテコステです。ペンテコステ(五旬節、七週の祭り)は、イスラエルでは元々大麦の収穫が終わって小麦の収穫が始まったことを祝う祭り、またモーセの律法が与えられたことを祝う祭りでした。

紀元30年のペンテコステの日、神の霊である聖霊さまが弟子たちに下り、彼らの内側に住んでくださるようになりました。その結果、弟子たちは内側からまったく新しく造り変えられ、教会が誕生しました。

そして、今日でも聖霊さまは、人がイエスさまを信じたとき、その人のうちに住んでくださいます。そして、私たちクリスチャンを満たし、新しく造り変えてくださいます。

では、聖霊さまは弟子たちをどのように造り変えたのでしょうか。それを見ることによって、私たちがどのように造り変えられるのかを知り、励まされましょう。

1.神を賛美するようになる

異言で語った弟子たち

聖霊降臨と内住
その日、弟子たちは家に集まっていました。個人の家の可能性もありますが、ある学者たちは「神の家」である神殿のことだと考えています。後で異変に気づいた人たちが何千人も集まってきますから、大いにありうる話です。

とにかく弟子たちが集まっていると、突然激しい風が吹き付けてきたような響きがしました。さらに炎のようなものが現れて、まるで舌のような形に分かれます。そして、それらが弟子たち一人ひとりの上に留まりました。これは、聖霊なる神さまが下ってこられたことを、耳や目で確認できるようにするためのしるしです。
聖霊さまは弟子たちの上に留まっただけでなく、弟子たちの内側に住んでくださるようになりました。当時の弟子たちだけではありません。人がイエスさまを救い主と信じると、聖霊さまはその人のうちに住んでくださるようになります。これを「聖霊の内住」といいます。

旧約聖書の時代も、聖霊さまは地上で信者を満たして力や知恵をお与えになりました。ただし、すべての信者にではありません。特定の働きのために特定の人を特定の期間満たされたのです。しかし、紀元30年のペンテコステ以来、聖霊さまはすべてのクリスチャンの内に住んでくださり、内側から働いてくださるようになりました。そして、いったん住み始めたら決してその人から離れていかれません。

あなたがクリスチャンなら、もちろんあなたの中にも聖霊さまはいらっしゃいます。そして、いつまでも共にいてくださいます。

聖霊さまの内住については、かつてイエスさまが預言なさいました。

「そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです」(ヨハネ14:16)。
聖霊のバプテスマと満たし
そして、かつてバプテスマのヨハネは、イエスさまについて次のように語りました。「私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、この方は聖霊によってバプテスマをお授けになります」(マルコ1:8)。

この聖霊によるバプテスマ、あるいは聖霊のバプテスマとは、人がイエスさまの恵みの福音を信じたときに、その人が救われ、聖霊なる神さまがその人の内に住んでくださるようになることを指しています。

バプテスマというのは洗礼のことですが、もともとは浸すという意味です。聖霊のバプテスマは、聖霊漬けにされるということですね。聖霊のバプテスマを体験した人は、聖霊さまと一つとなって、聖霊さまの影響力が豊かに及ぶようになります。

そして、聖霊さまの支配がその人のすべての領域に及ぶようになることを、聖霊の満たしと言います。聖霊のバプテスマは1回限りの体験ですが、聖霊の満たしは生涯のうちで何度も何度も経験します。

今回の記事で、弟子たちは聖霊のバプテスマと聖霊の満たしを同時に体験しています。ただ、人によっては聖霊のバプテスマと、始めて聖霊さまに満たされる体験のタイミングがずれる場合もあります。その場合も何かがおかしいわけではありませんので、イエスさまを信じたときに何も感じなくても心配しないでください。何も感じなくても、イエスさまを信じたならば必ず聖霊さまは内に住んでおられて、何かすばらしいことを始めてくださっています。
異言
さて、史上初めて聖霊のバプテスマを体験した弟子たちは、突然習ったことのない外国語で話し始めました。習ったことがない言葉をしゃべる力、あるいは語られたその言葉を「異言」と呼びます。聖霊さまがクリスチャンに与えてくださる特別な奉仕の能力である「聖霊の賜物」の一種です。

使徒パウロは異言を「人の異言」と「御使いの異言」に分類しています(第1コリント13:1)。
  • 「人の異言」は、 本人は習ったことがありませんが、地上に実在する言語です。その言葉を知っていれば内容が理解できます。
  • 「御使いの異言」は、地上に実在しない言語です。「異言の解き明かし」という別の賜物を持つ人が翻訳しなければ、内容が分かりません。
今回の記事で弟子たちが語ったのはみな外国語ですから、パウロの分類では「人の異言」ですね。

異言は、すべてのクリスチャンが語れるわけではありません。聖書は「皆が癒やしの賜物を持っているでしょうか。皆が異言を語るでしょうか。皆がその解き明かしをするでしょうか」(第1コリント12:30)と問いかけています。想定されている答えは「いいえ」です。

しかし、この出来事は救いの歴史の中で重要な転換点でしたから、しるしとしてそこにいる弟子たちが皆異言で語りました。
  • 他にも、使徒ペテロの伝道によって異邦人であるコルネリウスとその家族が救われたとき、彼らが聖霊さまに満たされて異言を語ったことが記されています。それによってそこにいたユダヤ人クリスチャンたちは、割礼を受けていない異邦人でも救われるのだということを認識できました(使徒10:44-46)。これも重要な歴史的転換点です。
賛美
では、弟子たちは異言で何を話したのでしょうか。彼らの言葉を聞いた人たちは、その内容が「神の大きなみわざ」(11節)であると語っています。すなわち、弟子たちは外国語で神さまを賛美したのです。

たとえ異言をしゃべることができなくても、内に住んでおられる聖霊さまが働かれると、神さまの愛が激しく心に迫ってくるようになります。そして、神さまのすばらしさをほめたたえずにはいられなくなるのです。

聖霊に満たされたときの弟子たちの様子は、まるで酔っぱらっているようにも見えたようです。ある人たちは、異言で神さまを賛美する弟子たちをあざけって言いました。「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」(13節)。

本当の酔っぱらいと違うのは、理性はちゃんと働いているので、行動がコントロールできるということです。

私が聖霊さまの満たしを求めて友だちに祈ってもらった日、異言の賜物が与えられられました。その夜は、明け方近くまでぶつぶつと異言で祈ったり賛美したりしていました。やめようと思えばいつでもやめられます。でも、何がうれしいのかよくわからないのですが、内側から湧き上がる喜びのあまり、また祈り始めたくなるのです。もし同居人がいたら、たぶん酔っぱらっているように見えたことでしょう。

イエスさまを信じる信仰は、単なる知性だけのものではありません。全人格的なものですから、感情的にも変化が生じます。聖霊さまに満たされる体験をしたとき、ある場合には激しい喜びがあなたを包むでしょう。人によっては涙があふれたり、笑いがこみ上げたりするかもしれません。そうでなくても、静かで確かな喜びや幸福感が心を満たすでしょう。

神さまの愛をもっともっと実感したいですか? そして、喜びに満たされたいですか? ならば、聖霊さまがこの自分のあらゆる領域を支配し、満たしてくださるよう祈りましょう。

2.人格的に成長していく

大胆になった弟子たち

イエスさまが捕らえられた当初、弟子たちは皆逃げ出してしまいました。十字架の後も、弟子たちは鍵のかかった部屋に隠れていました。ところが、ペンテコステ以後は、大胆に人々の前に姿を現し、伝道するようになったのです。

また、弟子たちは、誰が一番偉いかなどと議論していました。しかし、ペンテコステ以後、互いに心を合わせ、愛し合い、支え合う共同体へと造り変えられました。

聖霊さまが内に住んでくださり、満たしてくださることによって、弟子たちは内側から造り変えられていきました。

再創造

聖霊は、この宇宙をお造りになった神です。創世記1:2には、天地創造の時、聖霊さまがそこにいて働いておられたことが記されています。

電化製品が壊れてうまく作動しなくなった場合、メーカーに送るときれいに直してまた動くようにしてくれます。それと同じように、罪の性質のせいで本来の生き方ができなくなってしまった私たち人間を、メーカーである聖霊さまはあるべき姿に作り変えることができます。そして、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ5:22-23)といった良い性質を、私たちの内側に形作ってくださいます。

人は変わることができる

第2福音書を書いたマルコは、少し臆病な性格だったようです。使徒パウロと、自分のいとこであるバルナバが伝道旅行に出かけたとき、マルコは手伝いのために同行しました。ところが、迫害が激しかったせいなのか、風土病が流行っているのに恐れを抱いたのか、なんと途中で投げ出して故郷に戻ってしまいました。

次の伝道旅行では、パウロは「途中で任務を放棄するような者は連れて行けない」と言いました。一方バルナバはマルコにチャンスを与えたいと考え、「一緒に連れて行こう」と言いました。パウロとバルナバの主張は平行線で、結局2人は別の目的地を目指すことになります。

しかし、その後マルコは変わります。マルコがパウロとは別の伝道旅行に出かけていった12年後、パウロはローマで軟禁状態にありました。不自由な生活をするパウロを支えるため、数人のクリスチャンたちがパウロに仕えていましたが、その中にマルコがいました。

さらにその後、パウロはマルコのことを「彼は私の務めのために役に立つ」(第2テモテ4:11)と評価しています。マルコは変わったのです。
どんな人でも変わることができます。自力では難しくても、聖霊さまには可能です。あなたも変わることができます。そして、今まさに変わりつつあります。嘘だと思ったら、1年前のあなたと比較してみてください。必ず変化・成長している部分、できるようになったこと、やめられるようになったことがあるはずです。

そして、あなたはこれからどんなふうに変わりたいと思いますか? 聖霊さまが変えてくださるようお願いしましょう。

3.世の中を変えるようになる

わたしの証人となる

復活したイエスさまが天にお帰りになる直前、地上に残される弟子たちに次のように約束なさいました。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります」(使徒1:8)。

その約束通り、聖霊さまを内に宿したペテロは、立ち上がって伝道メッセージを語り始めました。その結果、当初120人だった弟子の群れに、その日新たに3000人が救われて加わりました。その後もクリスチャンたちは精力的に伝道を行ない、教会は爆発的に成長していきます。

伝道したのは十二使徒だけではありません。一般の信徒たちも皆イエスさまの証し人となって伝道しました。クリスチャン一人ひとりのうちに住んでくださる聖霊さまが、イエスさまを証しする力をくださったのです。

あなたもキリストの証人となる

あなたは、ペテロのように説教はできないかもしれません。しかし、ご自分の救いの体験をお話しすることはできると思います。これを証しといいます。

神さまは、ご自分の救いの計画をこの世に広めるのに、忠実で力のある天使ではなく、不完全な人間をお用いになります。それは、天使は罪を犯したことがないので、救われたことがないからです。自分が許され、受け入れられ、愛されているという救いの体験、その喜びや感動こそが、他の人の心を打つのです。

聖霊はあなたに救いの喜びを味わわせてくださいます。そして、他の人に自分の体験を話し、その人にも救いの喜びを体験してもらいたいと思う願いを与えてくださいます。そして、証しする力をもくださいます。場合によっては、証拠の奇跡まで起こしてくださることもあります。

これはノルマではないのですが、一人が一人を礼拝式に誘うことを、祈ってみましょう。使徒アンデレは、自分の兄弟ペテロをイエスさまの所に連れてきました。使徒ピリポは、友だちのナタナエルを連れてきました。

人を救うのは私たちの知恵や力ではありません。それは聖霊さまの仕事です。最後の責任は神さまがとってくださいます。ですから、家族や友人を誘いたいという思いが与えられるように、聖霊さまに救いの喜びをもっともっと味わわせてくださるように求めましょう。

また、どうやって誘ったらいいか、どのタイミングで切り出せばいいかを見分ける知恵が与えられるように、勇気が与えられるように、また相手の心が開かれるように、連れてきたときに最善のメッセージが語られるように、そしてその人が救いを求める心が与えられるように、祈りましょう。

今年中に礼拝に誘いたい人を何人かピックアップし、今日から祈り始めましょう。

ヨエルの預言の成就

そして、私たちがイエスさまの証し人として生活していくことにより、私たちの周りが、そしてこの世界が変わり始めます。実際、クリスチャンの人口が1%に満たないこの国で、クリスチャンたちは教育・福祉・公害対策などさまざまな分野で良い影響を与えてきました。

ペテロはこの日の伝道メッセージの中で、自分たちは酔っているのではなく、預言者ヨエルの預言が実現したのだと説明しました。

「神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。また、わたしは上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる」(17-21節)。

預言者は未来のことを語ることもありますが、その時代のことを話すこともあります。未来の話であれその時代の話であれ、聞く人たちを励ましたり慰めたり警告したりするのが預言の目的です。では、ヨエルの預言を通して、神さまは今に生きる私たちにどんなメッセージを語っておられるのでしょうか。

青年とは、まだまだ経験が浅く、一人前ではないと思われているような人のことです。老人とは、もう人生の盛りを過ぎていると思われているような人のことです。

しかし、そのような人たちであっても、神の霊に満たされるとき、新しい力を得、希望が与えられ、世の中を見通す知恵が与えられ、世の中を変えるような影響力を持つことができるということです。

120人ほどで始まったキリスト教会は、熱心にイエスさまの救いを語り続け、やがてローマ帝国全体をひっくり返し、世界中に愛の炎を広げていきました。

同様に、マザー・テレサは、最初一人で活動を開始しましたが、その愛の技は世界中に影響を与えていきました。キング牧師のメッセージは、始めは一つの教会堂の中だけで語られていましたが、やがて全米を公民権運動へと巻き込んでいきました。

私たち一人ひとりは小さく、知恵も力も足りないかもしれません。しかし、うちにおられる聖霊さまは全知全能の神です。人にはできないことが神にはできます。あなたと聖霊さまが協力するならば、あなたの家庭が変わり始めます。職場が変わり始めます。地域が変わり始めます。この国が、世界が変わり始めます。それを信じましょう。

まとめ

聖書の原則はいつも同じです。それは、「神さまの約束は、信仰によって受け取る」ということです。あなたが聖霊に満たされ、聖霊による喜びを体験し、造り変えられ、神さまの世界救済プロジェクトに参加することは、神さまのみこころであり、神さまの願いです。

信仰は祈りによって表現されます。弟子たちは、イエスさまの言いつけ通り、満たしを求めて祈っていたときに聖霊のバプテスマを受け、聖霊の満たしを体験しました。ですから、「必ず聖霊さまで満たされることを信じます」と祈りましょう。「だから満たしてください」と祈りましょう。すでに聖霊体験をなさった方も、毎日毎日、一瞬一瞬満たされ続けるように祈りましょう。

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