針の穴を通る神

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ルカによる福音書18章18〜27節

(2012.1.22)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

神さまには、人にできないことがおできになります。

1.何が書いてあるか

いつ(When)

小さい時から(21節)。

どこ(Where)

天(22節)。神の国(24節)。

誰(Who)

イエスさま。金持ちの役人。二人のやりとりを聞いていた人たち。

イエスさまの教えの中に登場するのは、神さま(19節)、貧しい人たち(22節)、裕福な者(24節)、らくだ(25節)。
登場人物たち

何がどうした(What & How)

ある役人がイエスさまに「尊い先生。私は何をしたら永遠のいのちを受けられるでしょうか」と質問しました。イエスさまは、「なぜ私を尊いというのですか。尊い方は一人だけです」と言い、律法の教えの一部を語られました。役人は「そんなことは小さいときから守っています」と答えます。

それを聞いたイエスさまは「あなたに欠けたものが一つあります。持ち物を全部売り払い、貧しい人々に分けてやり、そのうえでわたしについて来なさい」とおっしゃいました。すると、彼は悲しみました。

その様子を見たイエスさまは、「金持ちが救われるのは、らくだが針の穴を通るより難しい」とおっしゃいました。回りで聞いていた人たちは「それでは誰が救われるでしょうか」と尋ね、それに対してイエスさまは「人にはできないことが神にはできる」とお答えになりました。

なぜ(Why)

イエスさまはなぜ「尊い先生」と呼ばれることを拒否なさったのでしょうか?

なぜこの役人は悲しんだのでしょうか。大変な金持ちだったからと書かれていますが、どうして金持ちだから悲しんだのでしょうか。

なぜ金持ちが救われるのは難しいとイエスさまはおっしゃったのでしょうか。

イエスさまはなぜ、回りの人が「それでは誰が救われるのか」と驚くような、無茶な命令をなさったのでしょうか。

2.どんな意味か

永遠のいのち

この役人は、永遠のいのちを手に入れたいと思っていました。そして、イエスさまから「そのためにはこうしなさい」とある命令をされて、それがとても自分には実行できないと知ったとき、すなわち自分には永遠のいのちが手に入りそうもないと知ったとき、深く悲しみました。それほどまでに彼は、永遠のいのちを求めていたのです。

永遠のいのちとは何でしょうか。聖書にはこう書かれています。「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです」(ヨハネ17:3)

この「知る」というのは、「その方と親密な交わりがあり、懇意にしていただいている」という意味です。永遠のいのちを持っているというのは、神さまに受け入れられ、親しく交わり、大切にしていただいているということです。

イエスさまは、聖書の神さまは、人にできないことができる方だとおっしゃいました。聖書の神さまは、奇跡の神です。すなわち、自然法則や、常識、人間の努力や知恵をはるかに超えたことをなさるお方です。

そういうお方と懇意であれば、私たちの幸せは約束されたようなものです。私たちも、永遠のいのちを切に求めなければなりません。

財産という神

この役人は、人知を越えた知恵と力をお持ちの神さまに支えられて生きることを求める一方で、別のところにも保険をかけていました。彼の場合にはお金でした。極端なことを言えば、神さまとの関係が親密でなくても、お金があればとりあえず幸せだと思っていたわけです。

イエスさまはそのことを見抜かれて、全財産を売り飛ばせとおっしゃいました。後で見ますが、これはそうしなければ救われないという意味ではありません。救いは無条件です。しかし、この言葉によって、この役人は、自分が神さま以上にお金に信頼していたこと、それに自分の幸せがかかっていると信じていたことを明らかにされました。
偶像
私たちが最終的に信頼すべきなのは聖書の神さまです。神さま以上に信頼するものを持ってはいけません。

子どものように受け入れる

この役人は「何をしたら」救われるのだろうかと尋ねました。しかし、その質問の行き着く先は、「とてもじゃないが、イエスさまの要求には応えきれない。だから救われることはできない」という悲しい結論でした。

イエスさまが、厳しい命令をなさったのは、全財産を売り払って施しをしないと救われないということではありません。救いは、無条件です。神さまが一方的に下さるものです。私たちが何か素晴らしいことをして、そのごほうびに与えられるものではありません。

神さまの方から、私たちといい関係を持ちたいと思われました。神さまの方が、私たちをぜひ幸せにしたいと願われました。そして、神さまの方で、私たちの不完全さや罪深さを全部赦してくださり、そのままの姿で受け入れてくださいました。私たちの罪が赦されるために、イエス・キリストが身代わりに十字架にかかって死に、復活してくださいましたが、これも神さまの方で計画してくださったことす。

私たちがすべきなのは、それを素直に受け取ることです。今回の話の直前の話で、イエスさまがこんなことをおっしゃっています。「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません」(ルカ18:17)。子どものように、素直に神さまの善意のプレゼントを受け取りましょう。
子どものように

3.今の私にとってどんな意味があるか

永遠のいのちの特権を味わおう

聖書の神さまは、奇跡の神です。すなわち、自然法則や、常識、人間の努力や知恵をはるかに超えたことをなさるということです。どんなに素晴しい出来事が起こっても、それが人間ががんばってできる程度のことならば、誰かが「そんなの偶然さ」とか「その人の努力や知恵によってできたのさ」とか言うでしょう。

そんな、人間にちょっと毛の生えた程度のことしかできない、小さな神さまをイメージしていませんでしたか? 人にできないことができるのが神さまです。圧倒的で、考えもしなかったようなみわざを見ることができると信じましょう。

そして、私たちは、そういうお方と親しく交わることが許されている、すごい特権が与えられているんだということを信じましょう。

神以外の神を持たないようにしよう

神さま以上にうまく自分を幸せにしてくれるものを、私たちは抱え込んでこなかったでしょうか。この役人の場合には財産でしたが、ある人にとっては人からの評判かもしれません。社会的な成功かもしれません。美しさかもしれません。家族や恋人や尊敬する誰かもしれません。

それらが悪いというのではありません。むしろそれらを手に入れ、保つことは素晴らしいことです。しかし、神さま以上に信頼してしまうなら、それは偶像礼拝になります。

もし、自分なりの偶像を見つけたら、神さまに悔い改めましょう。

子どものように信頼しよう

どこかで、信仰が出来高制になってはいませんでしたか? これをしたら神さまに愛される、この条件をクリアすれば祝福される、そうでないと祝福を失う……というふうに。

もしそうなら、これまた悔い改めが必要ですね。
全面的な信頼
そして、子どものように、素直に、単純に、素朴に、「神さまは私のことを愛しておられ、私を幸せにしようとしておられる」と信じましょう。そう口に出してみましょう。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。


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