信仰の告白

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ルカによる福音書18章35〜43節

(2012.1.29)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

盲人バルテマイがいやされた記事は、私たちが神さまの力を体験できるための秘訣を教えてくれています。

1.何が書いてあるか

いつ(When)

たちどころに(43節)。

どこ(Where)

エリコに入る直前(35節)。イエスさまのそば(40節)。

誰(Who)

イエスさま。

ある盲人(マルコ10:46によれば、バルテマイという名。マタイ20:30によると、盲人はもう一人いました)。

イエスさまについて来た群衆。
イエスさまとバルテマイ

何がどうした(What & How)

イエスさまが通られることを知った盲人バルテマイは、大声で「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び、周りの人にたしなめられてもやめませんでした。イエスさまは彼をそばに呼び、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねると、彼は「主よ。目が見えるようになることです」と答えました。イエスさまが「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです」と言葉をかけると、盲人はいやされ、神さまを賛美しながらイエスさまについて行きました。

なぜ(Why)

なぜ、バルテマイは大声で叫び、叱られてもやめようとしなかったのでしょうか。

なぜ、人々はバルテマイを黙らせようとしたのでしょうか。

考えれば、誰でも「この人はいやして欲しいんだな」と分かるはずなのに、なぜイエスさまはわざわざ「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねたのでしょうか。

彼をいやしたのはイエスさまであり、神さまの力が働いて奇跡が起こったはずなのに、なぜ「あなたの信仰が直した」とイエスさまはおっしゃったのでしょうか。

2.どんな意味か

あなたの信仰があなたを直した

イエスさまに「あなたの信仰があなたを直した(あるいは、救った)」と言われた人は、この盲人バルテマイの他には、
  • 12年間長血をわずらっていた女性(マタイ9:22ほか)
  • パリサイ人シモンの家でイエスさまの足を涙でぬらした女性(ルカ7:50)
  • 重い皮膚病をいやされた10人のうち、感謝するために戻ってきたサマリヤ人(ルカ17:19)
がいます。

この人たちの共通点は、ユダヤの一般的な常識からすれば、汚れていて、きっと罪深いゆえに神さまに呪われていると考えられていた人たちだということです。しかし、イエスさまは、彼らを高く評価なさいました。

それは、彼らが格別きよくて、立派な行ないをした人物だったからではありません(シモンの家に来たのは、罪深い女と呼ばれた人でした)。お金持ちだったからでもありません(長血の女性は、治療のために財産を失いました)。

イエスさまが評価したのは、彼らが信仰を持っていたということでした。

聖書が教える信仰

聖書が教える信仰とは、「神さまが語られたことを、これは本当だと受け止めて、それに従うこと」です。
聖書が教える信仰
信仰の先輩であるノアとその家族は、まだ雨なんか一滴も降らない時代に、大洪水が起こることと、それを逃れるために箱船を作らなければならないという神さまの言葉を聞いて、それに従い、生き延びました。

アブラハムは、行き先がまだ分からないのに、神さまが示す地に出て行くなら祝福されるという神さまの約束を信じて、生まれ故郷を離れて旅立ちました。そして、息子イサクを得ました。

では盲人バルテマイはどうだったのでしょうか。彼はイエスさまのことを、「ダビデの子」と呼んでいます。すなわち、イエスさまこそ約束の救い主(メシヤ、キリスト)だと信じたということです。

聖書は、救い主が来られるときに起こる出来事について、こんな約束をしています。

「心騒ぐ者たちに言え。『強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる』。そのとき、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳はあく。そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ」(イザヤ35:4-6)

イエスさまは救い主なのだから、聖書の預言によれば自分の目を開くことができる。バルテマイは、神さまの約束としてそれを信じました。

私たちの信仰は、神さまのみことばである聖書に基づいているでしょうか。それとも、常識とか習慣とか、そういうものの影響を受けた人間の信念になっていないでしょうか。

信仰を言葉に出す

バルテマイは、叱られても、止められても、叫ぶのをやめませんでした。それは、この機会を逃したら、もうイエスさまに出会うことはないかもしれないからです。そして、イエスさまに「何をして欲しいのか」と尋ねられたとき、すぐに「目が見えるようになることです」と答えました。それだけ彼は必死だったということです。

熱心な思いは言葉として表に出てきます。そして、言葉にすることで、その思いはさらに深められます。
信仰の告白
私たちも、自分の信じていることを、折に触れて言葉にしていきましょう。これを「告白」と言います。

3.今の私にとってどんな意味があるか

自分がOKである証拠を確認しよう

何かができること、何かを持っていること、それは大切なことであり、価値のあることです。しかし、だからといってあなたが素晴らしい存在だという証拠にはなりません。逆に、それらを持っていないからといって、あなたがダメだという証拠にもなりません。

あなたは神さまに愛されており、そのままで大切な神さまの子どもです。それは、聖書がそう教えているからです。神さまのみことばの約束を信じる信仰以外に、自分の大切さを証明するものを持っていたなら、それは自分の価値を決めないと宣言しないといけません。

聖書をもっと学ぼう

私たちの信仰の土台は聖書です。ですから、聖書を読み、聖書を学ぶことが、私たちに祝福されたクリスチャン生活をもたらします。
祝福の約束に満ちた聖書
あなたは今、どのように聖書を学んでいますか?

告白しよう

礼拝式や個人の聖書の学びで神さまから教えられたことを、他の人に語ってみましょう。すると、その告白は、あなたの信仰を強めてくれます。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。


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