主がお入り用なのです

トップページ聖書のメッセージ集2012年 > このページ


ルカによる福音書19章29〜40節

(2012.2.12)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

イエスさまは、救いを完成するためにエルサレムに入ろうとしておられました。そのために用いられたのは、ろばの子でした。私たちがろばの子に学ぶべきことは何でしょうか。

1.何が書いてあるか

いつ(When)

特になし。

どこ(Where)

オリーブ山。ベテパゲとベタニヤのそば(29節)。

向こうの村(30節)。

イエスのもと。ろばの子の上(35節)。

道(36節)。

誰(Who)

イエス。2人の弟子。ろばの子。ろばの子の持ち主。群衆。弟子たちの群れ。パリサイ人たち。

何がどうした(What & How)

エルサレムに近づいたイエスさまは、近くの村に2人の弟子たちを遣わして、そこにつないであるろばの子を連れてくるように命じました。そして、連れてこられたろばの子に乗ってエルサレムを目指されました。すると、群衆は上着を道にしいてイエスさまを迎え、弟子たちは賛美しました。パリサイ人がその賛美について抗議しましたが、イエスさまはそれを止めませんでした。

なぜ(Why)

なぜイエスさまはろばの子を連れてくるように言ったのでしょうか。

なぜイエスさまはろばの子が村の入り口につないであるのを知っていたのでしょうか。

なぜろばの子の持ち主は「主がお入り用なのです」と言われただけで、素直にろばの子を差し出したのでしょうか。

なぜ弟子たちの群れは賛美をしたのでしょうか。

なぜパリサイ人は弟子たちの賛美を止めるように言ったのでしょうか。

2.どんな意味か

イエスさまの働きの手伝いをしよう

イスラエルの人々は、旧約聖書に約束されている救い主(ヘブル語でメシヤ、ギリシャ語でキリスト)の登場を、長らく待ちこがれていました。特に、この時代はローマ帝国の属国となっていましたので、ダビデ王がペリシテ人を退けたように、救い主がローマ軍を追い出して、もう一度黄金時代をもたらしてくれることを、心から待ち望んでいました。

ですから、たくさんの奇跡をあちこちで行なったイエスさまがエルサレムに近づかれたとき、人々は熱狂してイエスさまを迎えたのです。一方、イエスさまをメシヤだと信じたくないパリサイ人たちは、弟子たちの賛美を苦々しく聞いて、止めようとしました。

しかし、イエスさまは、力強い軍事力の象徴である軍馬ではなく、どこかしら滑稽なろばの子に乗ってエルサレムに入られました。イエスさまは、力、すなわち恐怖によって人を支配する覇王ではなく、愛によって支配する平和の王だからです。

イエスさまは、何のためにエルサレムにいらっしゃったのでしょうか。それは、十字架にかかるためでした。それにより、私たちの罪の罰をすべて身代わりに負ってくださろうというのです。私たちが神にさばかれることなく、むしろ神の子となって、神のあふれる祝福を受けることができるようになるために。

ろばの子は、イエスさまを乗せてエルサレムに入ることで、イエスさまが平和の王であることを人々に明らかにしました。私たちもろばの子のように、イエスさまのお手伝いをすることができます。それは、ろばの子と同じように、イエスさまが私たちを救ってくださり、神の子どもにしてくださったということを、その事実をまだ知らない人々にお伝えすることです。

どうやって?

ろばの子は、ろばの子として生きることで、イエスさまが平和の王であることを証ししました。ろばの子は、イエスさまの働きをお手伝いするのに、別に格好のいい馬になる必要も、空を悠々と飛ぶワシになる必要もありませんでした。大人のろばになる必要さえなかったのです。あなたも、今そのままの姿で、平和の王の働きをすることができます。

文章が得意な人は文章でイエスさまを伝えることができます。音楽が得意な人は音楽で伝えることができます。しかし、一見短所や不幸に見えるものも、イエスさまのために使おうと決心するならば、素晴らしい持ち味になります。

ある人は、非常に内向的でした。だから、とても伝道の働きなんかできないと思いました。しかし、一見短所と思えたこの性格は、心の内面をじっくり見つめることができるという長所なのだと知ります。そして、こういう自分だからこそ、一人の人の話をじっくりと聞き、その心の痛みを感じ取ることができることに気がつきました。イエスさまは、人の心の痛みをいやすお方です。この方は、今イエスさまと共に働いています。

ある人は、優柔不断な自分が大嫌いでした。優柔不断な人は、どんなにすばらしい計画が示されても、物事の否定的な面がすぐに見えてしまうために、なかなか一歩を踏み出せないのです。と言うことは、物事を様々な側面から慎重に見つめる能力があるということです。その力を、否定的な面を見つけるという形ではなく、すばらしい面を見つけるという形で使えばいいのです。イエスさまが十字架にかかったということは、神さまは私たちの足りないところを責めるのではなく、むしろそのすばらしさを誇りたいと思っていらっしゃるということを示しています。そこで、この方は、他の人のすばらしいところを見つける練習をしました。そうして、積極的に他の人々のすばらしさをほめ、他の人を励ますようになりました。この方は、今イエスさまと共に働いています。

ある人は、離婚をしました。そして、クリスチャンになってからもずっとそのことを負い目に感じていました。しかし、だからこそ若いカップルの助けになれると考え、聖書が教える祝福された結婚について教える働きをすることにしました。この方は、今イエスさまと共に働いています。

ある人は、子どもを覚醒剤の中毒で亡くしました。イエスさまがその悲しみをいやしてくださったとき、家族の問題で悩み悲しんでいる親たちに、イエスさまの慰めを伝える仕事がしたいと思うようになりました。この方は、今イエスさまと共に働いています。

あなたはどんな長所や短所をお持ちですか? あるいは、どんな痛みを抱えてきましたか? 今そのままの姿で、あなたは平和の王の働きをすることができます。神さまの目には、あなたに短所などありません。すべてが宝物です。

なぜ働くの?

イエスさまがそれを望んでおられるからです。イエスさまは、あの小さなろばの子のことを知っていました。そして、そのろばの子に手伝って欲しいと思われました。

「主がご入り用なのです」。そう言われたろばの持ち主は、すぐさまろばをイエスさまのために提供しました。きっと、救い主はろばの子に乗って現れるという旧約聖書の預言(ゼカリヤ9:9)を知っていたからでしょう。

「あなたも、私と一緒に働かないか?」 今、イエスさまはあなたにも声をかけておられます。あなたもすぐに、「はい」と言って、あなた自身をイエスさまにささげて用いていただきましょう。

3.今の私にとってどんな意味があるか

私たちも、エルサレム入城の時に用いられたろばの子のように、平和の王であるイエスさまの働きをお手伝いしましょう。あなたにもできることがあります。いや、あなたでなければなりません。それを信じますか?

あなたの回りに、イエスさまの救いを必要としている人がいるはずです。その方々のために祈るところから始めていきましょう。

そして、その人たちのために何ができるか、祈りながら考えましょう。

イエスさまを伝えるのに利用できるあなたの長所や持ち味は何ですか? 短所も、長所の裏返しです。その短所をどのようにプラスに用いることができそうですか?

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。


Copyright(c) 2012 Nakadoori Community Church All Rights Reserved.