子としてくださる御霊

【聖霊シリーズ2】

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ヨハネによる福音書3章3〜8節

(2012.4.22)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

クリスチャン生活が生き生きとダイナミックであるためには、自分が救われていることを確信し、その意味を知り、そのことを喜び、感動することです。

あなたは救いの確信がありますか? それを喜び、感動していますか? 私たちの確信が増し加わり、喜びと感動が満ちあふれるために、聖霊さまの救いのお働きについて学びましょう。

1.認罪

罪からの救い

聖書が教える救いとは、罪からの救い、罪の呪いからの救いです。

罪とは、神さまに逆らうこと、神さまを無視して、自分勝手な生き方をすること、です。罪は神さまを否定して、自分が神になろうとすることですから、当然神さまの怒り、さばきを招くことになります。

罪を犯した結果、人類は呪いを受けました。本来、エデンの園でアダムとエバが与えられていたすばらしい祝福が取り除かれたのです。その結果、
  • 人間に良いものだけを与えてくれていた自然が、時に人間に牙をむくようになりました。
  • 人間も自然をほしいままに扱い、破壊するようになりました。
  • 愛し合うために作られた人と人とが、時に傷つけ合うようになりました。
  • 自分自身を受け入れられず、いつも何かが足りないという思いに苦しむようにもなりました。
しかも、人が自然を破壊するのも、他の人との関係に軋轢が生まれるのも、様々な犯罪が起こるのも、すべて人が自分で招いていることです。すなわち、「神なんかに従ってられるか。自分は、自分の好きなことを好きなときに好きなようにやる」という罪の思い(神中心ではなく自己中心)が生み出したものです。

しかし、神さまは、人類を罪の中に閉じ込めるのではなく、罪を赦し、罪ののろいから解放しようとしてくださいました。それによって、アダムとエバが元々持っていたような、調和に満ちた人生が与えられる。これが神さまのくださる救いです。

救いへの第一歩

救いは罪からの救いですから、どうしても自分の罪を自覚し、悔い改めて罪から離れる必要があります。ただし、自己中心である私たち人間は、そのままでは罪を自覚することができません。罪は、神さまを否定し、神さまを傷つけることですから、神さまによって教えていただく必要があるのです。

聖霊なる神さまは、私たちが罪の状態に陥っていることを教えてくださいます。「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます」(ヨハネ16:8)

皆さんは、「罪を示される」という経験をなさったことがおありでしょう。
  • 何かをやろうとしたとき、あるいは今まさにそれをやっている最中、または後でそのときのことを振り返ったとき、ちくりと心が刺されるような痛みを感じること。
  • はっきりと言葉で自覚できなくても「それは間違っているよ」「それは良くないことだよ」という思いが浮かんでくること。
クリスチャンになってからも、そういう経験をすることがあります。いや、クリスチャンになると、(前回学んだように)聖霊さまは心の中に住んでくださって身近な存在になりますから、ますます頻繁に、はっきりと罪が示されるようになります。

私は、クリスチャンになってから、前よりももっと邪悪になったような気がして、落ち込んだ時期がありました。そうではなくて、前より罪に対して敏感になっただけだったのです。自分が前よりも邪悪になった気がしたら、感謝しましょう。それは、あなたの心に聖霊さまが豊かに働き、親しく個人的に語りかけておられる証拠なのですから。

応答しよう

罪を示されたら、可及的速やかに悔い改めましょう。すなわち、 次のように宣言します。
  • これは罪であり、神さまを悲しませることだと認めます。
  • そして、この悪いことから離れます。完全にこの悪いことを捨てます。
これが悔い改めです。すると、それがどんなにひどい(とあなたが思ったり、他の人がそう評価したりするような)罪であっても、イエスさまの十字架はそれを完全に赦し、きよめます。そして、新しいスタートを切らせてくださいます。「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」(第1ヨハネ1:9)。

悔い改めとは、罪を認め、それを離れる決心をすること。そして、イエスさまの十字架によって、自分が完全に赦されていることを受け取ることです。この悔い改めを通して人はクリスチャンになります。そしてクリスチャンとして成長していきます。

今、聖霊さまはあなたに罪を示していらっしゃいませんか? あなたのある行動や思いや態度や習慣について、「これは神さまのみこころにかなっていないよ」と語っておられませんか? だとしたら、ずるずる先延ばしにしないで、今すぐそれを悔い改めましょう。

2.新生

御霊によって生まれる

罪からの救いとは、罪が赦され、罪の呪いから解放されることです。そして、罪からの救いとは、「罪人としての私が死んで、神さまの子どもとしての新しい私が生まれること」です。ただ赦されるだけでなく、子どもとして神さまに愛され、導かれ、育てられ、祝福されるのです。

「あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう」(マタイ7:9-11)

神さまの子どもになるということは、とんでもない特権を得たということです。私たちはその特権がどんなにすごいかを、その万分の一も知りません。聖霊さまが、そのすばらしさをもっともっと教えてくださいますように。

水と御霊によって

神さまの子どもとして新しく生まれることを、「新生」と言います。今回の聖書箇所で、イエスさまはニコデモに、「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません」(すなわち、救われません)と言いました。

「水によって生まれる」というのは、ユダヤの文化では、肉体的に誕生することを表しています。たとえ肉体的に神の民であるユダヤ人として生まれたとしても、それだけでは救いをいただき、神の国の市民になることはできません。御霊、すなわち聖霊なる神さまによって新しく生まれなければならないのです。

どうやって?

ニコデモは、どのようにして新しく生まれるのか理解できませんでした。それに対してイエスさまは、「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです」とおっしゃいました。

前回学んだように、ギリシャ語の「霊」を表す単語は、元々「風」や「息」を意味します。風がどこから来てどこに行くのかは説明できなくても、風を感じることができるように、聖霊のお働きを説明できなくても、聖霊のお働きによって新しく生まれることはできるんだよと、イエスさまはニコデモにおっしゃったのです。

ですから、必要なのは自由に働いてくださる聖霊にお任せする信仰です。罪から目をそらさないで悔い改め、イエスさまによる赦しを受け取ったなら、自分が聖霊さまによって神さまの子どもとして新しく生まれるのだということを信じましょう。そして、子どもとして神さまに愛され、導かれ、育てられ、祝福されるのだと信じましょう。

あなたはクリスチャンですか? もしそうなら、改めて自分が聖霊さまによって神さまの子どもになったと宣言しましょう。

3.証印

救いの証印

聖霊さまは、私たちの罪を示し、イエス・キリストの十字架を信じて罪を悔い改めるように導き、さらに神さまの子どもとして新しく生まれさせてくださいました。

それだけではありません。聖霊さまは、私たちの救いが確かなものであるという証印(証拠としての印)です。

「この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました」(エペソ1:13)

「私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油をそそがれた方は神です。神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました」(第2コリント1:21-22)

口約束であっても契約は有効です。しかし、契約書を作って、そこに署名捺印がされているものを見れば、私たちはこの契約が間違いないものだと、ますます確信を深めることができます。

アバ、父と呼ぶ霊

また、ローマ8:15にはこのように書かれています。「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます」

アバというのは、ユダヤ人が父親を呼ぶときの呼びかけの言葉です。日本語では「パパ」が近いですが、幼稚なニュアンスはありません。深い尊敬とあふれる親密さを併せ持った呼びかけです。

私たちが神さまの子どもになったというのは、単なる契約書上の言葉の話ではありません。聖霊さまは、私たち自身の心が神さまに対する奴隷根性から解放され、子どもとして親しく「お父さん」と呼びかけることができるようにしてくださいます。小さな子どもが親の姿を見たときに感じる、愛、感動、喜びを、私たちも天の父なる神さまに対して感じるようにしてくださいます。

確信が与えられるように

聖霊さまは、私たちが確かに救われ、神さまの子どもになり、考えられないような特権を手にしたということを保証してくださいます。すなわち、それを私たちの心に確信させてくださいます。

救いの確信が欲しいですか? もっともっと欲しいですか? 聖霊さまに満たされて、その確信がますます与えられるように祈りましょう。救われたこと、神さまの子どもにされたことへの喜びや感動に満ちあふれるよう祈りましょう。そして、喜びや感動のあまり、じっとしておれないほどになるようにと祈りましょう。

まとめ

聖霊さまは、あなたに救いの確信を与え、その喜びや感動は、あなたの人生を神さまのみこころにかない、かつダイナミックなものにします。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。


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