力を与える霊

【聖霊シリーズ5】

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使徒の働き1章8節

(2012.5.13)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

聖霊さまは私たちに力を与えてくださいます。その力とは、特にイエスさまの証人になること、すなわち伝道と関係していることだと分かります。聖霊さまが下さるのは、どんな力でしょうか。

1.人生を変える力

イエスの命令

なぜクリスチャンは、伝道するのでしょうか。それは、イエスさまがそう命じておられるからです。

「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)。

イエスさまを他の人に紹介することは、クリスチャン生活のオプションではなく、どうしてもしなければならないことです。そもそも、私たちが救われたのは、この命令を忠実に守ってくれた人たちがいたからです。

「『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる』のです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう」(ローマ10:13-14)。

今度は私たちの番です。

伝道を妨げるもの

しかし、伝道を妨げるものがあります。それは迫害ではありません。悪魔の妨害でもありません。聖書の神さまを信じない権力者たちも悪魔も、これまで何千年にも渡って神の民を迫害し、伝道を妨害しようとしてきました。しかし、それにもかかわらず、教会は世界中に広がっていき、今も爆発的に人が救われ続けています。

伝道を妨げるものは私たちの内側にあります。今回は二つお話ししますが、一つ目は無知。すなわち、どうやって伝えたらいいのかを知らないということです。
証しによる伝道
伝道の方法は様々あります。今後、機会を設けて伝道の方法を学んでいきたいと思いますが、基本は証しです。あなた自身の体験を語ることです。以前のあなたはどうで、イエスさまを信じたおかげでどう変わったのか。これを他の人に話すのです。

ヨハネ9章に、生まれつき目の見えない人が登場します。彼は、イエスさまによって目を開いていただきました。ところが、イエスさまを快く思わない指導者たちが、この人を呼び出して、あれこれと尋問しました。

「そこで彼らは、盲目であった人をもう一度呼び出して言った。『神に栄光を帰しなさい。私たちはあの人が罪人であることを知っているのだ』。彼は答えた。『あの方が罪人かどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです』」(ヨハネ9:24-25)。

私はイエスさまのおかげでこんなふうに変わった。これは、どんなに上手な説明よりも、強力に人の心に響く伝道方法です。使徒パウロも、イエスさまによる救いについて語る際、以前の自分と今の自分について語りました。

「私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、
その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。
しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。
それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、
キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです」(ピリピ3:5-9)。

聖霊は人生を変える

もちろん、いくら言葉で「私は変わった」と言っても、実体が伴っていなければ説得力を持ちませんね。ご心配なく。イエスさまを信じたとき、聖霊さまはあなたの内側に住み、あなたを造り変えてくださいます。

これまで4回に渡って学んできたように、聖霊さまはあなたの内側に神さまへの深い愛を育み、今までの無益な、罪深い生き方を捨てて、神さまの喜ばれる生き方をしたいという願いを与えてくださいます。そして、聖書や祈りによってあなたを導き、あなたをイエスさまのような人格へと、少しずつ造り変えてくださいます。

周りの人は、あなたの変えられた人生を見て、その秘密が知りたくなります。その秘密とはイエスさまです。そして、自分もイエスさまを信じることで、人生が造り変えられたいという願いを持つようになります。それもまた聖霊さまのお働きです。

聖霊さまは、あなたの人生にも働き、あなたの人生を造り変えてくださいます。怒りが赦しに、憎しみが親切に、無関心が愛に、不安が平安に、臆病が勇気に、迷いが確信に、停滞が前進に、悲しみが喜びに、絶望が希望に変えられていきます。

私も変わりましたし、あなたも変わったことでしょう。そして、これからも変わり続けていきます。それは、聖霊さまの力です。「聖霊さま、私の人生を力強く造り変えてください」と祈りましょう。

2.恐れを取り除く力

伝道を妨げるもう一つのもの

私は、今でこそ伝道の働きに従事していますが、クリスチャンに成り立ての頃は、まったく伝道できませんでした。大学の友だちに対して、自分がクリスチャンになり、しかも洗礼まで受けたということを1年近くも言えなかったのです。

それは、恐れのせいです。バカにされるのではないか、変に思われるのではないか、友だちをなくすのではないかという恐れです。これが、伝道を妨げるもう一つのものです。

しかし、ある時、勇気を振り絞って、友だちの一人に自分が日曜日には教会に行っていること、クリスチャンになったこと、そのために、ほんの少しだけれど、以前と比べてちょっとずつ変わってきていることを話しました。

何が起こったでしょうか。バカにされたでしょうか。絶交されたでしょうか。いいえ。友だちは「そうなんだ」とそれを聞き、どうして教会に行きたいと思うようになったのかとか、どんなふうに変わったのかというふうに、興味を持って話を聞いてくれました。

だからといって、自分も信じたいとか、教会に行きたいとかは言いませんでしたが、少なくとも私が何となく恐れていたようなことは起こりませんでした。

しかも、です。あれから25年以上たちますが、そのときの友だちが今年くれた年賀状に、この前のクリスマスに、私が当時行っていた教会のクリスマス礼拝に出席したと書いて寄こしました。聖霊さまの導きは、私たちの知恵では計り知れませんね。

喜びは恐れを駆逐する

では、なぜ私が勇気を振り絞って、イエスさまのことを友だちに話そうと思ったのか。それは、私が恐れていたようなことは起こらないと思ったからではなく(実際、バカにされたりしたこともあります)、聖霊さまが救いの喜びを体験させてくださったからです。

以前も申し上げましたが、私は、救われた当初は特に喜びも何もありませんでした。ところが、半年ほどたって、自分がクリスチャンになってもまったく変わらないこと、いやそれどころか、以前よりももっと邪悪になったような気がして、ひどく落ち込みました。これは、邪悪になったのではなく、聖霊さまによって麻痺していた良心が力を取り戻したからに過ぎないのですが。

しかし、さらに半年ほどたって、私は続けざまに、自分が神さまに赦され、愛され、大切にされていることを実感したのでした。前回申し上げた、パントマイムの話もその一つです。ある時は、聖書を読んでいた時、みことばによって強烈に神さまの愛に打ち震えるという経験もしました。

自分は神さまに愛されている。その喜びは、いつの間にか恐れを、(完全に消しはしませんでしたけれど)かなり弱めてくれたのです。要するに、喜びが恐れよりも大きくなって、語りたくて仕方が無くなったのでした。

喜びで満たしてください

聖霊さまは、あなたが神さまの子どもだということを証ししてくださいます。どんなに神さまがあなたを大切に思ってくださっているか、神さまの子どもにはどんなすばらしい特権が与えられているか、それを実感させてくださいます。

「聖霊さま。神さまに愛されている喜びで満たしてください」と祈りましょう。そのとき、あなたは他の人に語らないではいられないほど、伝道の力に満ちあふれます。

3.奇跡を行なう力

神が働いたとしか思えない

聖霊さまは人生を造り変えるという話をしましたが、その変化は、人間の努力とか修行とか偶然とかでは説明できないようなものです。神さまが働いたとしか思えない変化です。だからこそ、人はイエスさまに興味を持つようになります。

その変化の一つに、奇跡があります。そして、典型的な奇跡がいやしです。ヨハネ9章に出てくる盲人もそうですが、通常の医療や自然治癒力によらず、病気や怪我が急激にいやされるのです。

神さまは、通常は医療を通して人をいやしてくださいます。ですから、医療関係者が良い働きができるよう日頃から祈りたいものです。しかし、時に神さまは、奇跡によって人をいやしてくださることがあります。

そして、それによって、人は神さまを信じやすくなります。もちろん、奇跡を見たからと言って、必ずしもイエスさまを信じるかどうかは分かりません(実際、イエスさまの奇跡を見たのに、イエスさまを信じなかった人たちもたくさんいました)。それでも聖霊さまが導いてくださる奇跡は、人の興味をイエスさまへと引きつけます。

力の伝道

伝道の場面で神さまの奇跡が起こり、それによって人がイエスさまを信じることができるようになることを、今は亡きジョン・ウィンバー牧師は「力の伝道」と呼びました。

1983年、ブラティプ・スードラという宣教師が、イギリスからインドに派遣されました。彼は6人の仲間と共に、「イエスは救い主。今も生きておられる」と書かれたトラックに乗って村から村へと、トラクト(福音について書かれた小冊子)を配って回っていました。

トラックが、ある村に通じる小道を通り過ぎた時、ブラティプ師は、心に「あの道を行け」という促しを感じました。そこで、運転手にあの道を行くように頼みましたが、「ダメです。あの先にあるのはバリバリのイスラムの村ですから、あんなところで伝道したら、石を投げられますよ」。

しかし、ブラティプ師は強いてトラックをその村へと向けさせました。すると、案の定、トラックは棍棒や石を持った村人たちに取り囲まれました。そして、村の長老が現れてこう言いました。

「私は、イエスは病をいやすと聞いている。もしお前たちが本当にイエスのしもべだというのなら、私の妻を治してみろ。胃の痛みがひどくて、もう5年も寝たきりだ。もし妻が治ったら、この村で自由に語ることを許可しよう。しかし、もしも治らなかったら……」。その後は言わずとも分かりました。

ブラティプ師も仲間たちも伝統的な教会に属していて、超自然的な奇跡など見たこともなかったし、そういうものが現代も行なわれるなどと学びもしませんでした。しかし、命がかかっているので、ブラティプ師はいやしを祈ることにしました。

直接長老の奥さんに手を触れることは禁じられましたから、長老が奥さんの上に手を置くことになりました。そして、ブラティプ師は奥さんのいやしを願って神さまに祈りました。すると、即座に奥さんはいやされました。

宣教師たちは、村人たちの求めに応じて3週間そこにとどまり、福音を語りました。その結果、250人の村人のほとんど全員がイエスさまを信じ、洗礼を受けたのです。

このようなことは、いわゆる発展途上の地域だけで起こっているわけではありません。欧米や韓国などの先進国でも起こっています。アメリカの牧師であるウィンバー牧師も、頻繁にいやしやその他の奇跡を体験しました。

聖霊は誰でも用いられる

では、このような不思議なことが、韓国やアメリカだけでなく、この日本でも起こるというのでしょうか。そして、聖霊さまの働きを強調するペンテコステ派の教会だけでなく、私たちの教会でも、そしてこの私の人生にも起こるのでしょうか。

先日、私たちの教会のある兄弟が痛風にかかり、足がパンパンに膨れあがって松葉杖生活を余儀なくされました。そんなある日、この兄弟と奥さまが、教会のメンバーのお宅を訪問なさいました。すると、その方が痛風の足のいやしを祈ってくださいました。この兄弟を苦しめる悪魔の力をイエスさまが縛り、完全に痛風から解放してくださるようにと。すると、あのひどい痛みがすっかり取り去られました。

いやし、奇跡は、牧師や宣教師の専売特許ではありません。聖霊さまは、牧師だけでなく、すべてのクリスチャンの心の中に住んでくださっています。ですから、どんなクリスチャンであっても、祈りによって奇跡を引き起こすことができます。

「この私が? 他のクリスチャンならともかく、この私には無理ですよ」なんて思わないでください。あなたが自分の力で奇跡を引き起こさなければならないというのなら、その意見もうなずけますが、奇跡は聖霊さまのお働きです。聖霊さまがあなたに力を与えてくださいます。自分の信仰の強さではなく、神さまの約束を信頼しましょう。

先ほど紹介したウィンバー牧師は、もともと奇跡が現代も起こるということを信じていなかったそうです。しかし、ルカの福音書を連続して説教していたとき、いやしについて語るよう神さまからの促しを感じました。2千年前にそういうことが起こったというだけでなく、イエスさまは今でも奇跡を行なわれるというふうに語れ、と。さらに、礼拝後にいやしの祈りの時間を持つようにとも促されました。

ところが、誰もいやされません。それが10ヶ月も続き、とうとう200人いた教会員の半分が教会を去りました。

それでも、「あなたの体験や実感ではなく、私の約束に目をとめ続けなさい」という神さまの励ましにより、奇跡に関するメッセージや祈りをやめませんでした。そして10ヶ月後、一人の女性がいやされた時から、まるでコップの水があふれるように、いやされる人が続出し始めました。

私たちも、神さまの約束に目を止めましょう。

「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」(マルコ16:17-18)

奇跡を期待して何もしないというのは間違いです。たとえば、奇跡的にお金が与えられることを期待して働かないとか、奇跡的にいやされるからと言って病院に行かないとか。しかし、逆に今は奇跡なんか起こらないと決めつけるのも間違いです。いつでも奇跡は起こり得ます。あなたという神さまの器を通して。

ですから、大胆に病気や怪我のいやしを求めて祈りましょう。

いやしを必要としているのは、体だけではありませんね。心のいやしのためにも祈りましょう。経済的ないやしのためにも祈りましょう。人間関係のいやしのためにも祈りましょう。人間的な努力には限界があるけれど、限界のない神さまの力が、そのほころびのところに働くようにと。

まとめ

伝道はオプションではなく、しなければならないものですが、義務感に駆られて重荷に感じる必要はありません。

まず、聖霊さまの力で満たしてくださるように願いましょう。それにより、自分の人生か確かに変えられつつあるという実感が与えられ、救われて神さまの子どもとされた喜びに満たされ、人間の知恵や努力ではとうてい達成できないような不思議が起こるようにと。ダイナミックで、わくわくするような人生をお与えくださいと。

そうすれば、黙っていろと言われても、あなたは人に伝えたくなります。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。


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