聖霊の満たし

【聖霊シリーズ7】

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使徒の働き2章1〜4節

(2012.5.27)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

今日(イースターから7週間後の日曜日)は、キリスト教三大祭りの一つ、ペンテコステです。ペンテコステは、イエスさまの復活と昇天の後、イエスさまが約束されたとおり、聖霊なる神さまが降ってこられ、弟子たちを満たしてくださったことを記念します。また、この日に教会が誕生したことも記念しています。

これまで6回に渡って聖霊さまについて学んできました。聖霊さまが、私たちクリスチャンにとってなくてならないお方であり、私たちにすばらしいことをしてくださるお方だということが分かりましたね。

今日はまとめとして、「聖霊の満たし」について学びます。ペンテコステの日に弟子たちを満たしてくださった聖霊さまは、あなたも満たしてくださいます。どうすれば、私たちはそれを体験できるでしょうか。

1.飢え渇く

神の愛の体験

ペンテコステの日、弟子たちには何が起こったでしょうか。まず、彼らは神さまの愛や力を体験しました。11節には、聖霊に満たされた弟子たちが、様々な国の言葉で、神さまの大きなみわざについて語ったことが書かれています。

聖霊に満たされると、人は神さまを大変身近に感じます。そして、神さまの偉大さ、神さまの愛が、圧倒的な力で迫ってくるのを覚えます。その結果、いろいろな体験をします。体の一部や全部がしびれる人もいれば、体の内側や外側に熱を感じる人もいます。動悸が激しくなったり、涙やあふれたり、汗が噴き出してくる人もいます。くらくらしたり、倒れたりする人もいます。しかし、特に体に変化のない人もいます。

体に感じる体験それ自体は重要ではありません。重要なのは、神さまが身近になるということ、神さまとの関係がぐっと近づくということです。それはちょうど、恋をした時と似ています。誰かに恋をすると、私たちは動悸がしたり、体の奥がじんじんしたり、めまいを感じたりするかもしれません。しかし、そういう体験それ自体を求めるのはナンセンスですね。また、「恋をしてもドキドキしてはいけない」などと考えるのもナンセンスです。

大切なことは、聖霊に満たされると、神さまがぐっと身近な存在になり、神さまを強く意識させられるようになるということです。

新しい言葉

そして、ペンテコステの日、弟子たちは新しい言葉で語りました。先週も学んだ、聖霊の賜物の一つである異言ですね。賛美や祈りに用いられます。ペンテコステの日の弟子たちも、神さまを異言で賛美しました。

異言は、聖霊に満たされたら絶対に語るようになるというものではありません。第1コリント12:30には「みなが異言を語るでしょうか」と書いてありますが、期待されている答えは「いいえ」です。異言を語るクリスチャンが一流で、そうでない人は二流の信者だということも、決してありません。

しかし、使徒の働きを見ると、クリスチャンが聖霊の満たしを体験したほとんどの場面で、人々が異言を語っています。また、現代でも、聖霊に満たされた人の多くが、最初に満たしを体験したときに異言を語るようになったと報告しています。ですから、私たちも聖霊に満たされたとき、同時に異言の賜物が与えられることが多いと期待していいでしょう(もちろん、与えられなくても、自分の信仰が足りないからだと心配しないでください)。

人格の変化

そして、ペンテコステの日に聖霊に満たされた弟子たちは、まったく人が変わったかのようになりました。

臆病で、イエスさまを捨てて逃げ出した弟子たちが、迫害をものともしない信仰の勇者に造り変えられました。見栄っ張りで、誰が一番偉いかという競争ばかりしていた弟子たちの群れは、愛の共同体になりました。弟子たちを通してたくさんの奇跡が行なわれ、たくさんの人々が救われました。

聖霊さまに満たされる時、人は聖められ、成長し、少しずつイエスさまのように造り変えられていきます。

飢え渇き

こういう話を聞いた時、あるいはこれまでの6回のメッセージを振り返った時、「いいなあ」と思う人は幸いです。「私もそうなりたい。私もそういう体験をしたい」という飢え渇きを覚える人は幸いです。あるいは、すでに自分はそういう体験をしてきたけれど、それらをもっともっと強く、深く、そして継続的に体験したいと思う人は幸いです。

なぜなら、イエスさまがこう約束なさったからです。

「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる』。これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである」(ヨハネ7:37-39)

あなたは、いいなあと思われませんか? できたら、じゃなくて、絶対にそういう体験をしたいという願いを感じませんか? 聖霊さまに対する、聖霊さまの満たしに対する、切ないほどの飢え渇きを感じませんか?

聖霊さまへの飢え渇きは、アルコール依存症の人が、お酒に飢え渇くようなものかもしれません。実際、後に引用しますが、聖書では聖霊さまに満たされることと、お酒に酔うこととが対比されています。ただ、依存症の人がお酒を飲むと体と心が破壊されていきますが、聖霊さまに飢え渇く人が聖霊に満たされると、愛と喜びと力が与えられ、いやされ、人格が円満になっていきます。

もしあまり飢え渇きを感じていないなら、まず「聖霊さまに対する飢え渇きを与えてください」と祈りましょう。私も祈ります。「私を含めて、この教会の一人一人に、飢え渇きを与えてください。聖霊さま抜きには耐えられないほどの、強い深い飢え渇きを与えてください」と。

すると、飢え渇いた人は聖霊さまを求め、イエスさまはそういう人をあふれるほどに満たしてくださいます。

2.悔い改める

何を悔い改めるのか

次に必要なステップは、悔い改めです。聖霊さまは神さまですから、神さまとの関係がおかしければ、満たしをいただくことができません。

では、何を悔い改めるのでしょうか。それは、自分の人生を神さまにゆだねてこなかったこと、ゆだねたとしてもほんの一部だけで、ほとんど自分自身の好きなように行動してきたことです。

盗んだ、殺した、姦淫した、偽証した……これらは重大な罪ですが、もっと根本的な罪は、自分の人生のハンドルを自分が握っていて、神さまに預けないことです。自分の好きなことを好きな時に好きなようにやるという自己中心こそ、私たちが根本的に悔い改めなければならない態度です。

聖霊の満たしを求めるというのは、聖霊さまが心を支配し、人生すべてを支配してくださるように求めるということです。すべてのクリスチャンの心の中に、聖霊さまはいてくださいます。しかし、いつの間にか、聖霊さまを心の奥底の屋根裏部屋に押し込めてはいなかったでしょうか? だとしたら、まずそのことを悔い改めなければなりません。

神さま以外の満たし

パスカルは、私たち人間の心の中には、神さまの形をした穴が開いていると言いました。そして、それは神さま以外のものでは埋められないのだと。しかし、私たちは、いつの間にか、神さま以外のものでその穴をふさごうとしてこなかったでしょうか。

それは、お金や物だったり、地位や名誉だったり、お酒や薬物による興奮だったり、異性だったり、仕事の忙しさだったりするかもしれません。それらの物それ自体は悪くありません。問題は、神さまの代わりにしていることです。

もしも、私たちが神さま以外の物で自分の心の中のむなしさを満たそうとしていたことに気づいたら、悔い改めが必要です。

ごめんなさい・ありがとう・お願いします

神さまの喜ばれないことをしてきたということを認めたなら、
  1. 「ごめんなさい」と素直に謝りましょう。そして、「この良くないことから完全に離れます」「こんなふうに生活を改めます」と決意して、神さまに約束しましょう。
  2. 次に、イエスさまの十字架によって、自分の罪が完全に赦されていることを信じて、感謝しましょう。
  3. 最後に、「罪を離れて、新しい生き方ができるように、聖霊さま、助けてください」とお願いしましょう。
ごめんなさい、ありがとう、お願いしますの祈りです。

3.信じて祈り求める

みこころにかなう祈りは聞かれる

私たちは、神さまのみこころにかなう祈りは必ず聞かれることを知っています。

「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです」(第1ヨハネ5:14-15)

では、あなたが聖霊に満たされることは神さまのみこころでしょうか。その通りです。エペソ5:18には、「また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい」と命ぜられています。

また、先ほど紹介したイエスさまの「生ける水」の約束は、私たちに聖霊が与えられることを約束しています。

ですから、聖霊の満たしを祈り求めることは、みこころにかなっています。そして、「聖霊さま、私を満たしてください」と祈る祈りは、必ず聞かれます。

信じて祈ろう

私たちに必要なものは信仰です。あなたは、神さまがあなたを聖霊で満たしたいと願い、満たそうと約束しておられることを知りました。その約束を信じて祈りましょう。「聖霊さま、来てください。そして、満たしてください」と。

継続しよう

聖霊の満たしは、一回限りの経験であってはいけません。エペソ5:18の「満たされなさい」という命令は、文法的に「継続して満たされ続けなさい」というニュアンスが込められています。

罪や弱さを自覚したら、そのたびに満たしを求めましょう。一日の始めや終わりに、満たしを求めましょう。

まとめ

あなたも聖霊に満たされます。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。


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