悪魔の策略に対抗しよう

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エペソ人への手紙6章10〜18節

(2012.6.3)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

先週まで、7回に渡って聖霊さまについて学んできました。今回は、悪い霊である悪霊、そしてそのリーダーである悪魔について学びます。

悪魔は、私たちが聖霊さまによって生き生きとした人生を歩まないように妨害します。彼らについて知ることは、私たちが神さまに祝福された人生を歩んでいくためには、どうしても必要なことです。

1.私たちの敵

人間関係でトラブルがあった場合、仕事などがうまくいかなかったような場合、あるいは社会的な矛盾に直面した場合、私たちは相手の人や、会社の上層部の人や、政治家などを責めるような気持ちになることがあります。

しかし、パウロは、私たちの戦うべき敵が誰なのかということを明らかにしています。「主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊」です。主権とか力とか支配者たちとか言われているのも、悪霊のことを指しています。

これら悪霊たちを束ねるリーダーが、悪魔、すなわちサタンです。サタンという名には「敵対する者」という意味があります。

誰かに対して怒りや恨み、軽蔑や批判的な気持ちを感じた時には、その人が敵なのではなく、敵はサタンと悪霊たちだということを思い起こしましょう。

人は敵ではありません。人は愛する対象です。心情的に、その人のことをなかなか愛せないかもしれませんが、少なくとも神さまがその人に働いてくださるようにと祝福を祈る対象です。私たちの敵はサタンであり、その配下である悪霊たちです。

間違えないでください。その人が悪魔なのではありません。その問題を利用して、サタンがあなたをひどい目に遭わせようとしているということです。

サタンと悪霊の起源

サタンと悪霊がどうして存在するようになったのかという起源については、あまりはっきりとは聖書の中に書かれていません。が、断片的に書かれていることから考えられているのは、どうやらサタンも悪霊たちも、元は天の御使い(天使)だったらしいということです。

特にサタンは、天使のリーダーの一人で、「暁の子、明けの明星」(イザヤ14:12)と呼ばれるほどにすばらしい存在だったようです。しかし、傲慢になり、神さまに取って代わろうと反逆しました。そのとき、全天使のうち三分の一が彼に従い、これが悪霊たちになったというわけです。

目を覚ましていなさい

18節には「目を覚ましていなさい」という命令があります。この命令は、第1ペテロ5:8にも登場します。「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」

目を覚ましていなさいというのは、もちろん、クリスチャンは眠ってはいけないという意味ではありません。これは油断しないで、警戒しなさいという意味です。狩りをするライオンが自分の存在を上手に隠して獲物に近づくように、サタンも自分の存在を隠して近づいてきます。ですから、表面的な問題に振り回されないで、その背後にサタンが働いていることを賢く見抜く必要があります。

では、サタンや悪霊たちは、様々な状況を通して、私たちに何をしようとしているのでしょうか。

2.サタンの策略

サタンは戦略家である

11節には、「悪魔の策略」という言葉があります。サタンは決して行き当たりばったりに行動しません。目的をしっかりと自覚し、目標を定め、そこに至るための手順を考えて、きわめて計画的に行動する戦略家です。

ですから、サタンの策略を知らないまま、行き当たりばったりに対抗しようとしても、かえって足下をすくわれてしまいます。

サタンの目的は何か。それは、神さまを滅ぼし、自分がその座に着くことです。しかし、全知全能である神さまと直接戦って勝てるはずがありません。そこで、間接的に神さまを苦しめることを目的に行動しています。

神さまを苦しめる方法は、神さまが愛しておられる者、すなわち私たちを神さまから引き離し、滅ぼすことです。

目的達成のためなら

サタンは、私たちを神さまから引き離すという目的達成のために、首尾一貫して行動しています。ヘビに化けて、アダムとエバを罪に誘惑したのもその目的のためです。人類を救うために選ばれたユダヤ人を抹殺しようとして、世界中に反ユダヤ主義を蔓延させ、 歴史的にユダヤ人に対する様々な迫害を引き起こしたのもそのためです。

サタンは、私たちを神さまから引き離すという目的達成のためなら、何でも利用します。

たとえば私たちが病気になったとします。さっそくサタンは、私たちの心に語りかけます。「ほら、神があなたを愛しているなんて嘘だ。あなたは神に見放されたのだ」とささやき、私たちの心が神さまから離れるように仕向けます。

一方、順風満帆で、健康的にも経済的にもまったく問題が無い状況にいる人には、「ほら、神なんかに頼らなくったって、こうして結構うまくやっていけるじゃないか」と思い込ませて、神さまとの関係を切り離そうとします。

先日、聖霊の賜物について学びましたが、聖霊の賜物、たとえばいやしなどの賜物を誰かが与えられた時、このままでは神さまの栄光が現れて、どんどん人が救われたり、教会の人たちの信仰が強められてしまいます。

そこで、サタンは、奇跡の賜物が与えられた人の心に傲慢の種をまこうとします。賜物は聖霊さまがくださったのだということを忘れさせたり、自分がすばらしい信仰者だから賜物が与えられたのだと思わせたりして、神さまではなく人間を崇拝させるようにします。あるいは、奇跡の賜物が与えられていないクリスチャンを軽蔑することで、それらの人たちの心をくじいて、かえって信仰から遠ざけてしまうようにしたりします。

神さまとの関係がどうなるかに注目しよう

サタンは、目的達成のためなら、問題だろうが祝福だろうが、何でも用いようとします。ですから、今何が起こっているのかにとらわれ過ぎず、自分と神さま、他の人と神さまとの関係がどうなるかを見通す必要があります。

私は長らくネット上でキリスト教信仰についての話題を発信しています。特に気をつけているのは、他の教会のことや、まだ信仰を持っていない人のことを批判しないようにするということです(気づかずやってしまっていたとしたら、それは私の弱さ故。申し訳ありません)。

愛に満ちた、建設的な提案を相手に直接するのでない限り、単なる論評的な批判は私の自己満足になるだけで、私と神さま、相手と神さま、そして周りで読んでいる人たちと神さまとの関係を、悪くすることはあっても、良くすることはまずないだろうと思うからです。

自分としては信仰のためにやったことなのに、サタンがうまく利用して、かえって神さまとの関係を断ち切ってしまうとしたら、大変悲しいことです。これを行なったら、これを言ったら、自分と神さま、相手と神さま、他の人と神さまとの関係はどうなるだろうか。近づくだろうか、かえって遠ざかるだろうか。それをいつも考えていなければ、サタンにしてやられます。

逆に、自分と神さま、相手と神さま、他の人と神さまとの関係が良くなることを考え、実行するならば、それはサタンや悪霊たちに対する痛烈な攻撃になります。

次に、目に見えないサタンや悪霊たちと、どのように戦うかということについて学びます。

3.神の武具

立ちなさい

悪魔は私たちよりもはるかに賢く、力があります。しかし、私たちは一人で戦うのではありません。神さまは、私たちを守り、悪魔を打ち破るための武具を与えてくださっています。

14-16節にはいくつかの動詞が出ていますが、主動詞は「立ちなさい」です。「真理の帯を締める」「正義の胸当てを着ける」「福音の備えをはく」「信仰の大盾を取る」という動詞は、「立ちなさい」を修飾する分詞です。これら4つの防具を身につけ、立って悪魔に向き合いなさいということです。

悪魔との戦いの勝利の秘訣は、逃げないで立ち向かうことです。危ないのは、悪魔の存在など気にしないで、霊的に眠りこけてしまうこと。そして、その逆に、悪魔を恐れすぎて逃げ腰でいることです。聖書もこう教えています。「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります」(ヤコブ4:7)
神の四つの防具
四つの防具の一つ目は、真理の帯。帯が緩んでいると、すべての武器や防具がしっかり固定されず、十分に戦うことができません。私たちは真理を判断の土台にする必要があります。神のみことばである聖書に親しみ、真理が何なのかということを深く学ぶ必要があります。そうすれば、悪魔の誘惑の声に対抗することができます。

次が正義の胸当てです。私たちの行動原則は、いつも正義の実現でなければなりません。正義とは、私たちが考える正しさではなく、神さまが望まれることです。

たとえば、神さまのみこころは愛です。私たちの行動は、愛に基づいているでしょうか。

また、神さまのみこころは神さまご自身の栄光が現れること、すなわち、神さまのすばらしさが明らかになることです。私たちの言動によって、今よりももっと、神さまのすばらしさが自分や周りの人に分かるようなものでしょうか。こうして、サタンの策略を見抜くことができます。

それから、三つ目の防具は、平和の福音の備えです。イエスさまとイエスさまがくださる救いが、私たちを通して他の人に一歩でも二歩でも近づくこと、これが私たちの判断原則でなければなりません。福音のためにならないやり方なら、それはもしかしたらサタンの策略にはまっているのかもしれません。

四つ目は、信仰の大盾です。私たちが求められている信仰とは、神さまの祝福の約束に対する信頼です。特に、祝福の約束など実現しそうにない困難の中で、信仰の力が試されます。私たちが困難に直面した時には、今こそ信仰が試されている時だと自覚しましょう。そして、あえて「私は神さまの祝福の約束を信じる」と宣言しましょう。それが、サタンの攻撃に対する防御となります。

受け取りなさい

17節には、さらに2つの武具があげられています。この節の主動詞は「受け取りなさい」です。救いのかぶとと神のことばの剣を受け取りなさい、ということです。

救いは、私たちの努力や修行によって勝ち取られるものではありません。それは、イエスさまの恵みによって、一方的に与えられるプレゼントです。私たちができるのは、「ありがとうございます」と受け取ることです。そこには、私たちを傲慢にする要素は何一つありません。

悪魔は、私たちを傲慢にするか、その逆に罪責感でいっぱいにして落ち込ませるかします。どちらも根っこは同じです。それは、「神さまの救いは、神さまの恵みによって与えられる」ということを分かっていないということです。救いが自分の力だとどこかで思っていると、ちょっとうまくいくと「自分の力のおかげだ」と鼻が伸び、逆にうまくいかないと「自分はダメだ」と落ち込むわけです。

救いは恵みだということをいつも心に留め、一方的に愛し、選び、赦し、祝福してくださっている神さまに対する感謝にあふれ、喜びにあふれ、賛美にあふれることこと。これがサタンの攻撃への防御となります。
パウロとシラスの勝利
使徒の働き16章で、パウロとシラスがピリピの町で伝道していた時、悪霊に取り憑かれて占いを行なっていた女奴隷のために祈り、彼女を解放してやった記事が載っています。ところが、彼女の主人が怒って二人を訴えたため、彼らは逮捕され、ろくな裁判もないまま鞭打たれ、牢獄に入れられました。

鞭打ち刑の鞭の先には、金属片や動物の骨のかけらがつけてあり、叩かれると背中の骨や肉が切り裂かれて、激しく痛みます。良いことをしたのに捕らえられ、不正な扱いを受け、痛い目に遭わせられたパウロとシラスは、獄中で何をしたでしょうか。神さまを疑い、神さまや自分を訴えた主人や、自分を不正に扱った長官に対してののしりの声を上げても不思議がない状況で、彼らは賛美の歌を歌いました。

すると、突然地震が起き、牢の扉が全部開いてしまい、しかも囚人たちは誰も逃げ出さずに、パウロとシラスのそばにいました。彼らも、その場に何か神々しいものを感じていたからでしょうね。その様子を見た看守は、パウロとシラスを家に引き取り、家族そろってイエスさまを信じ、洗礼を受けました。

サタンはパウロとシラスの伝道を妨害しようとしましたが、救いのかぶとをかぶり、神さまの恵みに感動していた二人は、かえってその状況を通してサタンに勝利しました。

みことばによる攻撃

そして、もう一つ、神のみことばという剣が紹介されています。剣は、攻撃と防御、どちらにも用いられます。
防具としての剣
「真理の帯」のところで申し上げたように、聖書に親しみ、聖書のことばを心に蓄えておくことで、サタンがあれこれと誘惑しようとしても、それに振り回されなくなります。

Aさんは、何かあるとすぐに平安を失って、慌ててしまうとおっしゃっていました。そこで、聖書のことばを心の中に蓄えることにしました。毎朝少しずつ聖書を読んで、心にとまったことばをカードに書き写します。そして、それを職場に持って行って、デスクの脇の所に置いておき、一日に何度も何度もそれを見るそうです。すると、相変わらず、いろんな困った出来事が起こるのですが、不思議と落ち着いて対応できるようになったといいます。
武器としての剣
また、みことばはサタンを退ける武器にもなります。

イエスさまは、十字架以外の方法で人々に救いをもたらすように誘惑された時に、聖書のことばを使ってサタンを退けました(マタイ4:1-11)。私たちも、イエスさまに倣い、みことばを用いてサタンに立ち向かいましょう。「引き下がれ、サタン。聖書にこう書いてある」というふうに。

Bさんは、仕事がなかなか長続きしませんでした。どういう訳か上司に反抗的な態度をとってしまって、関係がうまく作れないのです。そんな彼がクリスチャンになってしばらくした頃、ふとしたきっかけで、小さかったときのことを思い出しました。

Bさんのお父さんは、何かにつけて「お前はバカだ。お前は使い物にならない」と罵倒したそうです。反抗すると余計ひどいことを言われたり、叩かれたりしますから、彼はじっと我慢していたそうです。

Bさんはっと気がつきました。自分の心の中に「バカにするな!」ということばが渦巻いていたことに。目上の人から何か言われると、本当はその人は自分をバカにしているわけではないし、むしろ自分に期待してあれこれ指導してくれているのに、勝手にバカにされたと受け止めて反発していたんだなあと。

そのことを牧師に話すと、牧師はこう言いました。「じゃあ、天のお父さんである神さまは、あなたのことをどうおっしゃっていますか? 馬鹿者とおっしゃっていますか? これまで聖書を読んだり、メッセージを聞いたり、他の人の証しを聞いたりして、どんなふうにおっしゃる神さまだと思われますか?」

目を閉じたBさんは、ぽろぽろと涙を流しながら、「いいえ。私のことをバカなんておっしゃいません。あなたは私の大切な自慢の息子だとおっしゃっています。イエスさまが命を捨てても惜しくないと思われるほど、私は高価で尊い存在なんだと」。

それから、昔の父親のことばを使って自分を上司に反抗させていたサタンの存在を認め、「私は馬鹿者ではない。神さまにとって、大切な息子なのだ。聖書は私のことを、高価で貴いと教えている。私から離れろ!」と宣言しました。そして、誰かに何かを言われて、「バカにされた」という思いがわいてくるたび、そうしました。すると、次第に上司との関係が良くなり、かえってかわいがってもらえるようになったそうです。

聖霊の満たし

イエスさまのたとえ話に、悪霊が出て行って空っぽになった家に、再び悪霊が仲間を連れて戻ってきて、前よりひどい状態になったというものがあります(マタイ12:43-44)。

サタンに対抗する最終兵器は、18節にあるように、聖霊に満たされ、聖霊に導かれて祈ることです。

まとめ

サタンは、あの手この手であなたを神さまから引き離そうとします。賢く見抜いて、神さまのくださる武具を用いて撃退しましょう。そして、神さまと共にある、すばらしい人生をますます味わわせていただきましょう。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。


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