「エロヒム」三位一体の神

【神の呼び名シリーズ1】

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創世記1章1節

(2012.6.17)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

日本では「名は体を表す」と言います。これはユダヤ人の文化でも同じであって、神さまのお名前(御名)は、神さまのご性質をよく表しています。ですから、「みだりに主の御名を唱えるなかれ」(出20:7)と命ぜられていますし、ユダヤ人も異邦人クリスチャンも、御名を神さまご自身のように扱って、賛美したり礼拝したりします。

これから何回かに渡って、聖書の中に記されている神さまの呼び名のいくつかを紹介します。それによって、私たちが神さまをもっともっと知ることができ、慰めや励ましをいただくことができますように。

今回は、「エロヒム」(日本語聖書では「神」と訳されている言葉)について学びます。

1.愛の神

エローアの複数形

創世記1:1のヘブル語をカタカナ表記すると、「ベレシート(はじめに)・バラー(創造した)・エロヒム(神が)・エット(〜を)・ハッシャマイム(天)・ベ(そして)・エット(〜を)・ハアーレツ(地)」です。

神と訳されているエロヒムは、エローアの複数形です。ですから、本来なら神々と訳すべきなのですが、動詞のバラーは単数形が使われています。まことの神さまはお一人だけです。そこで、ユダヤ教のラビたちは、神さまの尊厳を表す複数形だと解説しました。

しかし、私たちは神さまが三位一体だということを知っています。神さまはお一人ですが、そのお一人の神さまは父・子・聖霊の三つの位格をお持ちであり、この三位格はばらばらではなく、本質において一つです。

神は愛

神さまが宇宙をお造りになる前から、すなわちまだ神さましか存在するものがなかった時から、すでに父なる神、子なる神、聖霊なる神は、互いに深く信頼し合い、愛し合っておられました。

神さまの本質は愛です。この世が誕生する前から、神さまは愛に満ちあふれていらっしゃいました。ですから、聖書は「神さまは愛にあふれている」どころか、「神は愛です」(第1ヨハネ4:16)とさえ表現しています。

私たちは、どこか怒りっぽく、ちょっとしたことで天罰を下す、恐ろしいだけの神さまを想像してこなかったでしょうか。本当に必要なものはわざとくれない意地悪な神さまを想像してこなかったでしょうか。あるいは人をえこひいきして、あなたにはたいしたものをくださらない不公平な神さまを想像してこなかったでしょうか。

神さまは愛です。

愛と甘やかしは違う

愛は、優しさと共に厳しさも含んでいます。

子どもが夕食の前にお菓子を食べたがったとします。まともな親ならば、お菓子を食べないように言うでしょう。それは、子どもにとっては虐待のように感じるかもしれませんが、子どものためを思った愛に満ちた行動です。

祈っても祈ってもかなえられないとき、神さまの愛を疑うのではなく、これもまた神さまの愛のおかげだという考え方をしましょう。
  • その願いをかなえることが、(夕食前のお菓子のように)私たちのためにならないことを、神さまは知っておられるのかもしれません。
  • 神さまは、私たちに忍耐を学んでもらいたいのかもしれません。
  • 神さまは、最高のタイミングを知っておいでで、今はまだそのときではないとおっしゃっておられるのかもしれません。
「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」(ローマ8:32)。

私たちの神さまは、けちな方でも、意地悪な方でもありません。私たちの本当の幸せを願っておいでです。

2.創造者

私たちは偶然の産物ではない

創世記1:1は、この世が神さまによって創造されて始まったと宣言しています。私たちの神さまは、宇宙の創造主です。そして、当然あなたも私も神さまによって造られました。私たちは偶然の積み重ねによって生まれたわけではありません。

造られたもの、たとえば椅子にしても、楽器にしても、食器にしても、目的を持って造られました。あなたが神さまによって造られたのなら、あなたの人生には目的があります。意味があります。

その目的は、私たちが自分で見つけ出すものではありません。神さまによって与えられたものです。それは、愛である神さまに愛されることです。私たちは、神さまに愛されるために造られました。そして、考えられないほどの深い愛で愛してくださっている神さまの栄光を現すこと、すなわち、私たちの人生のすべてを使って、神さまのすばらしさを表現することです。

自分の劣っているところ、人生に不足していることばかり数え上げてきませんでしたか? 神さまがどんなにあなたのことを大切にしておられるか、神さまがどんな祝福を今まさに与えてくださっているか、それを数え上げ、感謝し、賛美しましょう。

私たちは良いものである

全知全能である神さまがお造りになった以上、神さまの作品であるあなたはすばらしい存在です。聖書は、世界や人間をお造りになった後、それらをご覧になった神さまがどう思われたかを記録しています。

「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日」(創世記1:31)。

良いものであった人間は、罪を犯し、神さまに逆らってしまいました。そのため、本来持っていたすばらしい人間性を傷つけてしまいました。また、世界も人間の罪の故に呪われてしまし、本来のすばらしさを損なってしまいました。

しかし、それでも私たちは神さまによって造られた良いものです。神さまは、罪人になってしまった私たちのことを、それでも求め、愛してくださいました。そして、私たちの罪を赦すために御子イエス・キリストがこの地上に降ってこられ、十字架で身代わりに死んでくださいました。私たちは赦されています。それどころか、先週学んだように、私たちは神さまの子どもにしていただきました。

自分を見て、自分はダメだとバッテンをつけて、何とか○をもらうためにがんばってこられませんでしたか? あるいは人にバッテンをつけて、○になれと叱咤激励してこられませんでしたか? ダメではありません。OKなのです。

じゃあ、「今のままでOKなんだったら、そのまま何もせず、成長しなくていい」ということですか? そうではありません。OKだからもっとすばらしくなれるのです。軽石はどんなに磨いても軽石のままです。しかし、ダイヤモンドの原石はそのままでも価値がありますが、磨けばさらに輝きを増しますね。

私もあなたもあの人も、神さまによって造られ、イエスさまが罪をあがなってくださったので、誰がなんと言おうとすばらしい存在です。だから、もっともっと成長することができます。

ですから、自分を磨くための努力は惜しみたくないし、そのような励ましを他の人に対して投げかけたいですね。

3.超越者

汎神論、ニューエイジ、ヒューマニズム

私たちはすばらしい存在ですが、神ではありません。

汎神論という哲学的な立場があります。これは、「すべての物体や概念、法則は、神の表れであり、神そのものである」という立場です。木や石や天体や自然現象に神を感じ、八百万の神々を信じてきた日本人には、おなじみの感覚です。

この汎神論から、「あなたの内側にある神の性質に気づくことで、あらゆるとらわれから解放され、救われる」という東洋的な宗教思想、そして、その影響を受けた西洋のニューエイジ・ムーブメントが生まれました。

そして、自分の中に神を見い出すため、たとえば座禅を組む、マントラを唱えるなどして瞑想したり、滝に打たれるなど様々に自分の体を痛めつけたり、激しく叫んだり踊ったりしてトランス状態になったり、薬物を使ったりしています。

また、汎神論はヒューマニズム(人間中心主義)とも結びついています。一人一人の人間の価値を絶対視する立場です。人間の価値を認めることは良いのですが、すべてを超越した神の存在を認めないで、というところが問題です。「神さまが何を願っておられるか」ではなく、「私がどう思うか」がすべてを決める基準になるということであり、これこそ罪の本質だからです。

すべてを超越した主なる神

聖書は、エロヒムが天地を創造したと記しています。聖書の神さまは、この世のあらゆる存在を超越しておられます。そして、宇宙の所有者であり、支配者、すなわち主です。

この宇宙の創造主である神さま、すべてに超越し、この私やあなたも含めたすべてを所有し、支配しておられる神さまの存在を認め、この方を主として仰ぎ、仕え、従うこと。それが被造物である私たちが、当然しなければならないことです。そして、そのつとめを果たすとき、私たちは本当の意味での幸せを体験することができます。

神を主と仰ぐとき

私たちがすばらしいのは、神さまによって造られたからです。神さまを主と仰ぐとき、私たちは自分や他の人が、どんな境遇に生まれた人であったとしても価値ある大切な存在だと認めることができます。

なぜ自然を大切にしなければならないかといえば、自然もまた神さまによって造られたものであり、人間はそれを正しく管理するように命ぜられているからです。管理せよというのは、欲望のままに勝手に破壊していいという意味ではありません。神さまを主と仰ぐとき、人間は自然との向き合い方を学び始めます。

私たちが愛し合うのは、困っている人に手をさしのべるのは、敵でさえも赦し祝福するのは、互いに神さまに愛された大切な存在だからです。

神の名によって戦争を引き起こし、他民族を弾圧することがあります。しかし、それは、神さまを主と仰いでいるのではなく、神さまの名を利用して自分たちの欲望やプライドを満足させる行為を正当化しているに過ぎません。それは、神の名を使ってはいますが、ヒューマニズムの変形です。律法で禁じられた「神の御名をみだりに唱える」ことです。

神さまを主と仰ぐとき、この世には愛が満ちあふれていきます。

まとめ

はじめにエロヒムが天と地を創造なさいました。私たちの神さまがそういうお方だと信じ、そういうお方として接していきましょう。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。


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