「アドナイ・ニシ」戦ってくださる主

【神の呼び名シリーズ6】

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出エジプト記17章8〜16節

(2012.7.22)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

今回の「アドナイ・ニシ」という名前は、直訳すると「主は私の旗」という意味です。元々は祭壇につけられた名前ですが、神さまのご性質を表してもいます。

1.物語の背景

事件現場

エジプトで奴隷状態だったイスラエルの民は、神さまが遣わされたモーセに率いられ、神さまの様々な奇跡によってエジプトを脱出しました。そして、海の向こうにあるシナイ半島に渡った後、律法をいただくためにシナイ山を目指します。

今回の出来事の現場であるレフィディムは、シナイ山北西部にあった平原です。ここでイスラエルの民は、水がないと不平を言い出してモーセと争いました。神さまがモーセに命じて、岩を杖で打たせると、そこから水がほとばしり出ました。そこで、その場所は、「マサ」(試み)、あるいは「メリバ」(争い)と呼ばれるようになりました。

アマレクとの戦い

すると、そこに敵が攻めてきました。アマレク人です。彼らはイスラエル人とは親戚関係にあります。アブラハムの子イサクにはエサウとヤコブという双子が生まれます。イスラエル人はヤコブの子孫で、アマレク人はエサウの子孫の一つです(エサウの孫にアマレクという人がいて、そこからアマレク人が出ました)。

アマレク人は、エジプトとカナンの地の間を遊牧生活をしていたようです。そこにイスラエルの民が大勢やってきました。イスラエル人はアマレク人の生活を脅かす意志はありませんでしたが、アマレク人としては脅威を感じ、先手必勝とばかりに戦いを挑んできたのでしょう。

迎え撃つイスラエル軍の総司令官に任命されたのは、ヨシュアでした。

しかし、この戦いはイスラエルにとってかなり不利だったことでしょう。戦場は、アマレク軍にとっては慣れた場所で、いわゆる地の利がありますが、イスラエル人はまったく初めて訪れた、勝手のよく分からない場所です。そして、アマレク軍はもっぱら攻撃に集中できますが、イスラエル軍は、たくさんの非戦闘員の安全も気にしながらの戦いになります。

モーセの祈りと戦況

実際に剣を取って戦っていたのはヨシュアたち兵士でした。そのときリーダーのモーセは何をやっていたのかというと、丘の上に登って杖を高く掲げて祈りを捧げていました。

この杖は、エジプトで様々な奇跡を引き起こして、エジプト王の妨害を退けるときに用いられました。また、イスラエルがエジプト軍によって葦の海に追い詰められたとき、モーセが杖を掲げると海が真っ二つになり、安全に渡ることができました。そして、水がない荒野で岩を杖で打つと、水がほとばしり出ました。モーセの杖は、神さまが力強く守り導いてくださることの象徴です。

ですから、その杖を持って、モーセが手を高く上げているときはヨシュアの軍が優勢になり、疲れて手が降りてくるとアマレクの軍が優勢になりました。そこで、モーセの兄であるアロンと、アロンの仲間であるフルという人がモーセの手を支えてあげることにしました。

そのため、ヨシュアの軍はずっと優勢を保つようになり、様々な不利な条件を抱えての戦いだったにも関わらず、ついにアマレク軍を打ち破りました。

モーセはこの勝利を記念して祭壇を築き、アドナイ・ニシ、「主は私の旗」と名付けました。

昔の戦いでは、特に旗を大切にしました。旗の下に兵士たちは集められました。今のように無線で通信を行えない時代は、兵士たちは旗の動きを見て、前進したり後退したりしました。本陣の旗を奪われて、敵の旗が掲げられることは、すなわちその戦いに負けることと同じでした。

アドナイ・ニシ、「主は私の旗」という言葉は、確かに実際に剣を取って戦ったのは、ヨシュアたち兵士だけれど、神さまがアマレク軍と戦い、これを打ち破ってくださったから、イスラエル軍は勝利を得られたのだという、モーセの信仰告白です。

2.神の助けを期待しよう

ヨシュアに読んで聞かせよ

神さまは、アマレクとの戦いのことを記録して、総司令官だったヨシュアに読んで聞かせるようにと命ぜられました。ヨシュアは戦いに夢中で、背後で何が行なわれていたか知りませんでした。しかし、記録を読んでもらったとき、神さまが彼と配下の兵士たちを助けてくださったのだということを知り、大いに励まされたことでしょう。

後に、イスラエルの民が約束の地の手前まで来たとき、12人の偵察隊が送られました。彼らは、約束の地は牧畜や農業に適した素晴らしい土地だと報告しましたが、その内の10人は、約束の地にすでに住んでいる民族は、巨人のように大きくて強いから、自分たちがのこのこ入って行ってやられてしまうと言いました。ところが、ヨシュアとカレブだけは「神さまがついているから大丈夫」と言いました。

結局、その時は、イスラエルの民は10人の言うことを聞いたために、その後40年間荒野で生活することになります。そして、当時の大人世代で生き残って約束の地に入ったのは、ヨシュアとカレブの二人だけでした。特にヨシュアは、モーセの死後、イスラエルのリーダーとなって、民を約束の地に導き入れます。

どうしてヨシュアは「神さまがついているから大丈夫」と言えたのでしょう。その理由の一つは、アマレクとの戦いで、神さまが助けてくださったことを教えられ、そこから神さまへの信頼を深めたことでしょう。

神に不可能はない

神さまに不可能はありません。神さまは奇跡さえ引き起こすことができるお方です。そして、あなたを子として愛しておられます。あなたを祝福し、守り導き、本当の幸せを与えると約束しておられます。そして、あなたを通して神さまがこの地上ですばらしいことを行なってくださって、あなただけでなく、たくさんの人たちがすばらしい人生を手に入れることができます。

あなたは今、困難にぶつかっていませんか? 特に、神さまに忠実に歩もうとしているのに、神さまの喜ばれることをしようとしているのに、妨害があったり、なかなか状況がうまく働かなかったりして、気持ちが萎えてしまっていませんか?

しかし、それでも私たちは、アドナイ・ニシ、私たちの旗であり、私たちのために戦ってくださる神さまに信頼しなければなりません。奇跡さえ行なうことのできる神さまが、この壁を打ち破ってくださると期待しなければなりません。

あなたは、神さまに不可能は何一つないと信じますか?

あなたは、神さまがあなたを愛していて、あなたを祝福し、本当の幸せへと導いてくださると信じますか?

あなたは、あなたを通して、この地上ですばらしい神さまのみわざが実現して、他の人も神さまによってすばらしい人生を手に入れることができると信じますか?

祈りの力

そして、全知全能、不可能のない神さまと、私たちをつなぐチャンネルが祈りです。今回のこの箇所は、祈りの大切さを私たちに教えています。

モーセが疲れて手を挙げられなくなると、すなわち祈りが続かなくなるとイスラエル軍が負け始め、手を挙げて祈りを再開すると優勢になったというのは、モーセの祈りに応えて神さまが働き、イスラエル軍を助けてくださったということを表しています。

どんなに疲れても、手を挙げて祈り続けないと神さまは助けてくれない、というわけではありません。手を挙げて祈ったら、自動的に直ちに奇跡が起こるということでもありません。

ただ、今回のアマレクとの戦いの場面では、見えないところで神さまが働いてくださり、助けてくださるということを、ヨシュアやイスラエルの人たちに分かりやすく教えるため、あえてモーセの腕の高さと戦いの様子をシンクロさせてくださったのでしょう。
アルメニアの商人への守り
こんな話を聞きました。昔、アルメニアの一商人が、商隊を組んでトルコを旅していました。ところが、この商隊を強盗団が尾行しており、野営したところを襲撃しようと狙っていたのです。

やがて夜となり、強盗団は計画通り商隊を襲撃しようとしました。ところが、昼間には何もなかった所に高い塀が張り巡らされており、どうしても侵入することができませんでした。

次の夜、再び彼らはキャンプ地を襲いましたが、これまた高い塀に阻まれて侵入できませんでした。

3日目、やはり同じようにキャンプは塀で守られていました。ところが、その夜に限って、塀の一部に小さな破れ目があったのです。強盗たちは一人一人そこから中に侵入していきました。

しかし、不思議な出来事に恐れを感じた親分は、商人を揺り起こしました。そして、この3日間の出来事について、彼に尋ねました。「いったい、この不思議な出来事の意味は何なのだ。それを教えてくれたら、お前たちの荷物には手を出さないでおいてやる」。

商人は言いました。「私は塀など作りませんでした。ただ、私はイエス・キリストを信じる者であり、毎晩聖書の神に旅の安全をお祈りしています。私は、神がすべての悪から私を守ってくださることを確信し、この身を委ねています。しかし、今夜はとても疲れて眠かったので、口先だけの祈りをして寝てしまいました。あなた方が破れ目から侵入できたのは、そのためでしょう」。

この話から教えているのは、口先だけの祈りじゃダメだということではありません。不十分な祈りにも関わらず、なおも商人を守ってくださり、さらにまた、強盗たちがこれ以上罪を重ねることがないようにしてくださった、神さまの愛の大きさです。

ただ、口先だけの祈りをして眠ってしまった商人を神さまが守ってくださったのは、それまで神さまの守りを信じ、その信仰に従って熱心に祈ってきたからです。祈りは大切です。そして、祈りは強力です。
祈りましょう
祈りましょう。あなたが祈るとき、あなたは天国と地上をつなぐパイプとなり、そのパイプを通して、神さまの愛と奇跡の力が圧倒的に地上に注ぎ込まれます。それを信じましょう。そして、祈りましょう。

たとえ一日の中でまとまった時間が取れなくても、だからといってまったく祈らないのはもったいない。何回かに分けてでいいですから、とにかく神さまに心を向けて、神さまが自分を愛し、祝福しておられることを感謝し、具体的に助けてくださるように祈りましょう。

3.サポートの祈りをしよう

助け手が必要

今回の話でおもしろいのは、モーセが疲れて手を挙げていられなくなったとき、アロンとフルが両側からモーセの腕を支え、サポートしたところです。私は、このときのアロンとフルの格好を想像してみたのですが、結構肩や腰に響く、つらい体勢だったと思います。二人ともよく頑張りましたね。

モーセは、ヨシュアや兵士たちを祈りでサポートしました。モーセは偉大な神の働き人でした。モーセを通して、たくさんの奇跡が起こりました。しかし、そんなモーセでさえも疲れてしまうし、他の人の助けを必要としていました。その必要に応えたのがアロンとフルです。

今回の戦いの記事の直後に、こんなエピソードが載っています。モーセの奥さんであるチッポラの父親、すなわちモーセの義理の父であるイテロが、チッポラやモーセの子どもたちをつれてモーセに会いに来たという記事です。再会の翌日、イテロはモーセの様子を見てあきれてしまいます。モーセが裁判の席について、一日中イスラエルの民の訴えに耳を傾けて、あれこれ決済したり指導したりしていたからです。

イテロはアドバイスしました。こんなことをしていたら、あなたも疲れるし、民もなかなか訴えを受け付けてもらえずに疲れ果ててしまう。だから、神を恐れる誠実な人の中から、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長を選び出して、普段は彼らが裁判をしたり指導をしたりするようにしなさい、と。

どんなに敬虔で有能な人でも、一人で神さまの働きを遂行することはできません。助け手が必要です。アダムには助け手としてエバが備えられました。イエスさまが弟子たちを伝道旅行に遣わすとき、二人一組で送り出されました。パウロにも、バルナバ、シラス、テトス、テモテなどという仲間がいました。

取りなしの祈り

私たちクリスチャンは、自分の人生が祝福されるようにと祈らなければなりません。しかし、それだけでなく、モーセがヨシュアのために祈ったように、またアロンとフルがそのモーセを支えたように、他の人のために祈る、「取りなしの祈り」にも心と時間を割きたいと思います。

特に今回私たちが学びたいのは、神さまのために働いていらっしゃる方をサポートするための取りなしの祈りです。

マザー・テレサの本を読んでいたら、彼女にも、彼女のためにいつも祈ってくれる祈りのサポーターがいたことが分かります。ジャクリーヌさんというその方は、修道女としてマザーと共に働きたかったのに、病弱のためかないませんでした。マザーは、気落ちしたジャクリーヌさんに手紙を書き、背後の祈りの奉仕を願ったのです。マザーは、自分の代わりに痛みに耐え、祈ってくれるジャクリーヌさんを「第二の自分」と呼び、ノーベル平和賞の受賞の時には、一緒に表彰式のステージに上がりました。

あなたも、あなたの教会や教団の牧師や伝道師、宣教師、神学生はもちろん、神さまと人とのために良いことを行なっている人のために、特に教会のお互いのために、時間を取って祈りましょう。

神さまのために何か価値あることをしようとすると、とたんにサタンが妨害を始めます。この世が妨害し始めます。心の中にある罪の性質が騒ぎ出します。どんなに敬虔なクリスチャンでもそうです。

ですから、その方々を妨害しようとするサタンを縛る祈りをしましょう。「サタンよ。イエスの名によって命じる。ただちに○○さんから手を引け!」と、イエスさまの威光を借りて命じる祈りです。

また、その方々があらゆる病気や事故から守られるように祈りましょう。罪に引き込もうとする誘惑から守られるように祈りましょう。精神的に落ち込まないように、かえって元気や勇気に満ちあふれるように祈りましょう。人間関係が祝福されるように、経済的にも祝福されるように、ありとあらゆる必要が備えられるように祈りましょう。

ぜひ、私のためにも祈ってください。私は弱く、不敬虔な人間です。皆さんのサポートのおかげで、今日まで牧師の働きを続けてこられました。今後ともよしなに。

すでに取りなしの祈りをなさっておられる方は、これからも続けてください。神さまはそのサポートの祈りを覚えてくださって、天国に行ったときに大いに報いを受け取ることができます。そして、毎日取りなしの祈りをするのが大変だという方でも、たとえば水曜日は取りなしの日などと決めて祈るのもいいですね。

まとめ

神さまには不可能はありません。それを信じて祈りましょう。お互い、祈りによって、考えられないようなことを引き起こすクリスチャンになれますように。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。


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