「アドナイ・シャローム」平安を与える主

【神の呼び名シリーズ8】

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士師記6章11〜24節

(2012.8.5)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

今回の神さまの呼び名は、24節のアドナイ・シャローム。「主は平安」という意味です。

1.物語の背景

士師記のパターン

士師記には、繰り返し出てくる「おなじみのパターン」があります。
  1. イスラエルの民が聖書の神を忘れ、罪を犯して悔い改めない。
  2. さばきとして、他民族によって侵略される。
  3. 民が悔い改め、神に向かって叫ぶ。
  4. 神が士師(さばきつかさ)と呼ばれるリーダーを立て、他民族を追い払って平和がやってくる。
  5. しばらくして、また民の心が神から離れる。
……この繰り返しです。

ギデオンの時代

ギデオンの時代には、7年間にわたり、ミデヤン人がたびたびイスラエルに侵入して荒らし回っていました。

11節で、ギデオンは酒船の中で小麦を打っていたと書かれています。酒船とはぶどう酒を作るため、ぶどうの実を足で踏んで搾るための器です。そして、小麦を打つときには、風によって籾殻を飛ばすため、通常は広いところで打ちます。なぜ狭い酒船の中で小麦を打っていたのでしょう。それは、ミデヤン人に見つかるとせっかくの収穫物を略奪されてしまうからです。

そういうひどい状況の中で、イスラエル人は神さまに助けを求めて叫びました。その叫びに応えて、神さまはギデオンを5番目の士師として選び、彼によってミデヤン人を追い払おうとなさいました。

今回の箇所は、ギデオンの元に神さまから天使が遣わされてきて、声をかけたところです。

恐れるギデオンと励ます神

天使を通じて、「あなたが立ち上がってミデヤン人と戦い、彼らを打ち破れ」と神さまに言われたギデオンは、恐れ、断ろうとします。自分の一族はマナセ部族の中で一番小さく、しかも私は一族の中でも一番年若い。自分のような若輩者には無理ですよと。

すると神さまは、「わたしがついているから大丈夫だ」とおっしゃいました。

そこで、ギデオンは、語っているのが神さまだというしるしを見せてくださいと頼みます。すると天使が、ギデオンが岩の上に置いた捧げ物の食事に杖で触れると、たちまち捧げ物は炎で包まれます。

ギデオンは「自分は天使を見たから死ぬ」と、恐れました。しかし、神さまは「安心しなさい。恐れるな。あなたは死なない」と励まされました。そこで、ギデオンはそこに祭壇を築き、「ヤハウェ・シャローム」(ヤハウェは平安)と名付けました(24節)。
ヤハウェは神さまのお名前ですが、ユダヤ人はそれを発音せず、アドナイ(我が主)と読み替えましたので、新改訳聖書では「アドナイ・シャロム」と訳しています。詳しくはこちらのメッセージをお読みください。
その後もギデオンはなかなか勇気がわいてこず、さらに神さまにしるしを求めます。まず、土の上に刈り取った羊の毛を置き、翌朝羊の毛の上にだけ露が降りていて、土全体がかわいているようにしてくれと願います。それが実現すると、今度は逆に、羊の毛は乾いていて、回りの土が露で湿っているようにしてくれと願います。これも実現しました。

ついに、神さまが共にいてくださるから大丈夫だと確信したギデオンは、仲間の兵士たちと共に、ミデヤン人の陣地に襲いかかって、これをさんざんに打ち破りました。

こうして、イスラエルに平和(シャローム)がやってきました。

2.神は平和を与えたもう

恐れからの解放

イスラエルをミデヤン人から解放しろと言われたとき、ギデオンはとんでもないと言いました。ギデオンには自信がありませんでした。軍人でも政治家でもない自分が侵略者たちと戦ってやっつけるだなんて、どんなに前向きに考えても、とても達成できそうにもありません。

しかし、神さまが共にいるから大丈夫だと、天使はギデオンを励ましました。

「人にはできないことが、神にはできるのです」(ルカ18:27)と聖書には書かれています。私たちの神さまは、全知全能のお方です。私が限りなくゼロに近くても、「私+神さま=無限大」です。

ギデオンは、神さまが共にいるということを何度も何度も、しつこいくらいに確認し、そしてとうとう信じました。そのとき、臆病だったギデオンの心に勇気がわき上がってきました。

立ち上がったギデオンは、まず、そもそもイスラエルにミデヤン人が攻めてくるようになった根本原因を取り除きます。町にある偶像を切り倒し、異教の祭壇を破壊したのです。当然、町の人々から非難されることは分かっていましたが、神さまが共におられることを信じたギデオンは、恐れないで実行しました。

それから、近隣の町々に使者を送り、3万2千人の軍勢と共にミデヤン人の陣地を目指しました。ところが、神さまはこれでは多すぎるとおっしゃいました。そして、削って削って、最終的に300人に減らされてしまいます。対するミデヤン人の兵士は13万5千人です。常識的にはとても太刀打ちできませんが、それでも神さまが共にいることを信じたギデオンは、逃げ出したりしませんでした。そうして、敵の大軍を打ち破ることができたのです。

臆病だったギデオンに、勇気が与えられました。これが神さまの与える平安、シャロームです。

シャローム≠平穏無事

聖書が教えるシャローム、平和は、退屈な生活とは違います。

フランス最後の王、ルイ16世(マリー・アントワネットの夫)が王になった後、こんなことを言ったそうです。「王になる前は、王になったら何でもできると思っていた。しかし、実際王になり、何でもできるようになってみると、恐ろしいほど退屈だ」。そうして彼は、ほとんど政治に関心を示さず、工房に引きこもって、錠前作りをして日を過ごしたと言われています。

私たちは、問題が無くなって、何でも思い通りに行くようになることが幸せだと、どこかで思っているかもしれません。しかし、どうやらそうではないようですね。問題が無くなったら無くなったで、今度は「退屈」という問題がやってきます。人間、この世に生きている間、問題からは解放されないようです。

ヘブル語のシャロームというのは、日本語の平穏無事とは少しニュアンスが異なります。マイナスがないこと、すなわち、単に不安や怒りなどが無いということではなくて、むしろプラスの精神状態、喜びや感動、希望、そして勇気、やる気、根気、元気で満たされていることです。問題があってもなくても、物事が順調に進んでいてもそうでなくても、どんな状況でも幸せを感じることができる。これが聖書の教えるシャロームです。

そして、アドナイ・シャローム、平和の主である神さまは、私たちにシャロームを与えてくださいます。

今、あなたは恐れとか、不安とか、イライラとか、孤独感とか、退屈とか、嫌な感情にとらわれていませんでしたか? やる気や根気がなくて、良いことが続けられずに困っていませんでしたか? アドナイ・シャロームである神さまは、そんなあなたにシャロームを与えてくださいます。

臨在を求めよう

そのシャロームは、神さまが共にいるという確信から生まれます。全知全能で、不可能の何一つない奇跡の神さま、この私の罪を赦して受け入れ、子どもとしてくださり、圧倒的に祝福してくださる愛と恵みの神さま。その神さまが私と共にいてくださり、守り、導いてくださる。その確信がシャロームの源です。

以前、カウンセリングのセミナーで、受講生の方がおっしゃいました。「たくさんの人がいて、圧迫感を感じます。来るのがとてもつらいのです」。この方は、生育歴のせいで、人目をひどく気にして、人に合わせて無理をする癖があった方です。ですから、人がたくさんいると、それだけ気を遣わなければならない相手が増えて疲れるわけです。

そこで申し上げました。「にもかかわらず、こうして休まないで今日も来てくださいましたよね。すごいことだと思います。逃げてしまえば、ストレスを感じずにすむのに。こうしてストレスを感じるということは、あなたが逃げないでチャレンジしているということだし、その分だけ人目を気にしないでいられるようになってきた、ストレスに耐える力がついてきたということですよね。その力はどこから来るのでしょうか?」

すると、その方は気づかれました。「イエスさまのおかげです」。

神さまが共にいてくださるという感覚のことを臨在感と言います。私たちが臨在感を持っていても持っていなくても、すなわち神さまが共にいてくださると感じていてもいなくても、神さまは共にいてくださいます。まず、それを信じましょう。すべては信仰から始まります。

しかし、臨在感が豊かに与えられれば与えられるほど、私たちの心にはシャローム、すなわち平安とか、喜びとか、感動とか、希望とか、やる気とか、勇気とか、元気とかがわき上がってきます。

ギデオンは、神さまが共にいてくださることを確信したいと思いました。そして、そのしるしを見せてくださるように求めました。神さまはその願いに応えてくださり、ギデオンはついに神さまの臨在を実感しました。

ですから、私たちも祈りましょう。今この瞬間、神さまが一緒にいてくださることを信じますと。信仰の祈りです。その上で、さらに臨在感も求めましょう。もっともっと、神さまが共にいてくださるという感覚が豊かに与えられますようにと。神さまが共にいてくださり、私を守り、導き、素晴しいことをしてくださることを、この私に分かるように教えてくださいと。

3.鍵は謙遜

弱いから用いられる

ギデオンは、自信がありませんでした。自分なんかにはこの偉大な使命を果たすのは無理だと思い、なんとか逃れようとしました。天使はギデオンに「勇者よ」と呼びかけましたが、とてもそんな器ではなかったのです。

聖書を読んでみると、神さまは「いかにもこの人は神さまの働きをするのにふさわしい」と思われる人も選んでいらっしゃいますが、むしろ、「どうしてこんな人が?」と思われるような人たちが、神さまの働きに加えられ、驚くような奇跡の器となっています。

たとえば、ギデオンのあとに登場した士師エフタは、継母に虐待されて世をすねてしまい、やくざの親分になった人でした。最後の士師サムソンは、好色な上に乱暴者でした。

新約時代でも、ペテロは熱しやすいけれども冷めやすい無責任な気分屋でしたし、ヨハネやヤコブは短気だし、シモンは過激派、マタイは拝金主義者、パウロはどうしようもない頑固者、マルコは無責任で臆病者だったのです。

また、神さまは、人間的な努力や希望が潰えてしまったときに、力強く働いてくださっています。信仰の父と呼ばれるアブラハムとその妻サラが、息子のイサクを与えられたのは、二人が年を取って、普通に考えたら妊娠するのは不可能だという年齢になってからでした。今回のギデオンのケースでも、3万2千人いた兵士たちを、わざわざ300人にまで減らされ、それから奇跡的な大勝利をお与えになっています。

神さまは、どこにでもいる普通の人たちや、むしろ周りの人たちが「こんな人が」というような人たちをお用いになるのがお好きなようです。それは、神さまが働いたとしか思えないような状況で働かれるためです。

そもそも、私たちが神さまに救われたのも、神さまからの一方的なお恵みでした。私たちは、自分の良い行ないを認められ、ご褒美として救われたのではありません。イエス・キリストの身代わりの死によって、罪を一方的に赦していただき、神さまの子どもにしていただいたのです。

「兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。
すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです」(第1コリント1:26-29)。

神に栄光があるように

神さまの目的の一つは、神さまのすばらしさを明らかにすることです。そうすることが、人間のシャロームにつながるからです。だって、いくら神さまが共にいてくださるとしても、その神さまが弱かったり、お馬鹿だったり、不誠実だったりすれば、平安も喜びも勇気もわいてきませんものね。

神さまの偉大な働きを体験したければ、「自分がほめられるために」という思いを捨て去りましょう。代わりに、「ただただ、この働きを通して、神さまのすばらしさがほめたたえられますように」という思いに切り替えましょう。

ギデオンは謙遜でした。自分の力では無理だと思いました。だからこそ、神さまが共にいてくださり、助けてくださることに希望を見いだしました。信仰生活の成功の秘訣は謙遜です。

しかも、聖書的な謙遜とは、ただ自分を卑下することではありません。「人にはできないが、神にはできる」「私一人ではできないが、神さまが共にいてくださるから大丈夫」という確信から生まれてくるものです。

逆に、失敗の秘訣は傲慢です。神さまのおかげで大勝利を得たギデオンでしたが、後に彼は傲慢になり、神さまにより頼む生き方ではなく、自分が自分がという生き方になっていきます。その結果、再び国に偶像礼拝が蔓延するようになりました。そして、彼の死後、息子の一人が他の兄弟たちを殺して独裁者になり、欲しいままに人々を支配して、またもイスラエルは混乱することになりました。

謙遜とは本当に難しいですね。謙遜だと思った瞬間、もう傲慢になっているということですから。だからこそ、いつも神さまに栄光が帰されること、神さまのすばらしさが明らかになることを第一に考えていなければなりません。

愛なんかないのだから

神さまのすばらしさに目をとめ、神さまに期待し、私たちは神さまの導きの中でできることを精一杯やらせていただこうと決意して行動することが、私たちの人生にシャロームをもたらします。

Aさんのお姑さんは、寝たきりになってしまいました。Aさんは、一生懸命に介護をなさいました。Aさんがたまらなかったのは、肉体的な苦労ではなく、お姑さんから、一度たりとも「ありがとう」を言われたことがないということでした。それどころか、お姑さんは、Aさんの苦労もまるで当たり前だと言わんばかりに、横柄に振る舞うのです。

精も根も尽き果てたAさんは、牧師の所に相談に来ました。親身になって話を聞いていた牧師は、最後にこう言いました。「Aさん。人間には本来、愛なんかないのですよ。本当の愛は、イエスさまだけがお持ちなのです」。

Aさんはそれを聞いて思いました。「そうか。お義母さんには愛がないんだから、お義母さんに愛されようとして、躍起にならなくてもいいんだ。私にも愛がないんだから、まるで私の内側に愛があふれていることを認めてもらおうとして、がんばる必要はないんだ。しなければならないことを、私なりに精一杯させていただけば、それでいいんだ。イエスさまがお義母さんや私を愛してくださっているんだから」。そうしたら、ふっと気が楽になりました。

何日かして、Aさんは再び牧師の元を訪れました。「肩の力を抜いて、神さまに祈りながら義母に接するようになったら、この前初めて義母が『いつもありがとう』と言ってくれたのです。イエスさまのおかげですね」。

まとめ

神さまは、あなたにシャロームを与えてくださいます。素晴しい神さまが共にいてくださるのだから大丈夫だという確信が、ますます豊かに与えられますように。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。


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