「ヤハウェ・ツェバーオース」万軍の主

【神の呼び名シリーズ10】

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イザヤ書37章21〜32節

(2012.8.19)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

今回取り上げる神さまの呼び名は、ヤハウェ・ツェバーオース、「万軍の主」です。

1.事件の背景

アッシリヤによるエルサレム包囲

紀元前701年、アッシリヤ帝国の王セナケリブの軍隊が、エルサレムに迫ってきました。この時、南ユダの王ヒゼキヤは降伏し、貢ぎを納めることになりました(第2列王18:14-16)。

それから、12年ほどの年月が経過しました。アッシリヤがバビロンなどとの戦いに手こずっているのを知ったヒゼキヤは、エジプトを中心とした反アッシリヤ同盟に加わって、アッシリヤに反逆しました。そこで、セナケリブは、将軍ラブ・シャケを派遣して、エルサレムを包囲させました。

ラブ・シャケは、城壁の外から心理戦を仕掛けます。これまで、多くの国がアッシリヤに逆らったけれども、彼らの神々はアッシリヤの王の前にまったく無力であった。そして、南ユダの同胞北イスラエルも、紀元前721年にアッシリヤによって滅ぼされてしまった。同様に、ヒゼキヤ王やユダの国民がどんなにユダヤ人の神ヤハウェにより頼もうとも、無事で済むはずがない。だから、早く降伏するのが身のためである、と。

祈るヒゼキヤとイザヤの預言

ヒゼキヤ王は、衣を引き裂き、荒布を身にまとって神殿に入り、神さまに祈りを捧げました。そして、預言者イザヤに使いを送り、神さまのみこころを求めます。これに対し、イザヤは「恐れるな」と答えました。

すると、エジプト軍が北上して、アッシリヤ軍に迫っているという報告がセナケリブの元に届けられました。焦ったセナケリブは、急いでエルサレムを陥落させようとして、再び使者を使わして降伏勧告を行ないます。

再びヒゼキヤ王は神さまに祈りました。神さまは、預言者イザヤを通して、ヒゼキヤとユダの民を励まされました。それが今回の箇所です。

神さまは、アッシリヤの王セナケリブに向かって宣告されます。確かにあなたたちは強く、中東の国々を滅ぼしてきた。しかし、万軍の主がエルサレムを守るから、決してエルサレムを落としてそこに入ることはできない。必ず自分の国に退却することになる、と。

30節の預言は、「最初の2年は、アッシリヤの攻撃の影響で収穫が減るだろうが、3年目には通常の収穫が得られるほど、国が復興する」という意味です。

神さまは、イザヤの預言の中で、こう宣言なさいます。「万軍の【主】の熱心がこれをする」。

結果

ユダヤ人がなかなか降伏しない上、強敵であるエジプト軍が北上して来たことによって、アッシリヤ軍は即時のエルサレム攻略をあきらめました。そして、エジプト軍を迎え撃つために、エジプトの国境近くまで進軍します。神さまは、そこに一人の天使を遣わし、一晩のうちにアッシリヤ兵13万5千人が死んでしまいました(古代ギリシャの歴史家ヘロドトスも、この時のことを記録しています)。

その後、紀元前681年、イザヤが7節で預言した通り、セナケリブは自分の国で暗殺されてしまいました。こうして、エルサレムは救われました。

2.向かうところ敵のない方

ツァーバー

万軍の主と訳されている言葉は、ヘブル語で「ヤハウェ・ツェバーオース」です。ヤハウェは神さまのお名前です。そして、ツェバーオースはツァーバーという言葉から来ていて、「出かける」「現れる」という意味があります。戦争に出かけるとか、星が現れるとか、天使が現れるとかいうような場合に用いられる言葉です。

転じて、万軍、すなわち、天地にあるすべてのものを創造し、支配しておられる全能の神さまが、神の民のために立ち上がり、進んでくださることを表す表現となりました。

あらゆるものを支配なさる力強い神さま、万軍の主である神さまが、神の民の先頭に立って進んでくださいます。万軍の主である神さまが進まれるのを、押しとどめることができるものは誰もいません。たとえ立ちふさがる者がいたとしても、今回のアッシリヤのように、神さまは蹴散らして進んで行かれます。そして、神さまの栄光が全地に輝き渡ります。

万軍の主が戦ってくださるという信仰

「万軍の主」という表現は、旧約聖書の中でも、特に預言者の書に頻繁に出てきます。その中でも、「万軍の主は仰せられる」とか「万軍の主のみつげ」とかいうような使い方がよくなされています。

すなわち、様々な困難や悩みの中で、意気消沈しているイスラエルの民に対して、「神さまがついているから大丈夫だ」という約束の言葉に添えて、用いられていることが多いのです。

自分には力も知恵もないけれど、すべてを作り、支配しておられる方が味方についていてくださるという信仰は、私たち神の民を勇気づけ、平安ややる気を引き出します。

まだ少年だったダビデは、イスラエルの勇者たちも戦うことを躊躇した巨人ゴリアテに立ち向かいました。その時こう言い放ちます。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の【主】の御名によって、おまえに立ち向かうのだ」(第1サムエル17:45)。そして、見事勝利を手にしました。

万軍の主があなたについている

私たちクリスチャンは、神の民であるユダヤ人と同じ神さまを信じています。そして、イエス・キリストの十字架を信じた時、ユダヤ人ではない私たち外国人(異邦人)も、神の家族に加えていただきました。

万軍の主は、ユダヤ人だけでなく、私たちの前をも進んでくださり、敵を蹴散らしてくださいます。そのことを信じましょう。私たちの心の内に、深い平安と希望がわき上がってきます。

震災前、福島第一バプテスト教会(佐藤彰牧師)にお邪魔したとき、ある年輩の紳士のお話をうかがいました。この方は、かつてはひどいアルコール依存症で、すでに天にいらっしゃる奥さまは、大変なご苦労をなさったようです。奥さまは体が弱く、特に心臓に病を抱えていらっしゃいました。そのような中、奥さまは教会に導かれます。

ある時、奥さまはなけなしのお金でご主人のワイシャツを買ってこられました。すると、ご主人は烈火のごとく怒り出し、「こんな金どこにあった。金があるなら酒を買ってこい!」と怒鳴って、そのワイシャツをびりびりに破ってしまったのです。

すると、奥さまはその破片を黙々と拾い集め、一言「ごめんなさい」とおっしゃいました。しかし、おどおどした気持ちではなく、心の奥底に「わたしがついているから大丈夫だ」という神さまの約束が響き渡り、恐れや哀しみを平安が覆い尽くしていたのでした。その時、ご主人は奥さまの内側に強さを感じ、「俺の負けだ。からだの弱い妻が、どうしてこうも強いのか」と思われたそうです。

ある日奥さまは、「私、洗礼を受けてもいいでしょうか」とご主人におっしゃいました。きっと雷が落ちると覚悟していたのに、「俺も洗礼を受ける」というご主人の声。こうして、このご家庭は生まれ変わりました。

万軍の主は、あなたの前も進んでくださり、勇気を与えて、問題を祝福に変えてくださいます。信じましょう。

3.すべてを挙げて愛する方

万軍の主の熱心

イザヤの預言では、「万軍の主の熱心がこれをする」と言われています。神さまは、頼まれたからいやいや神の民を助けるのではなく、熱心に関わってくださいます。

それは、神の民のことを大切に思っておられるからです。私たちも、大切な人から頼まれたら、いや頼まれなくても、その人に対して良いことをしたいと願うものですね。神さまは、あなたのことを大切に思い、何としてでも幸せにしたいと熱心に考え、行動なさいます。

しかも、その熱心さは、命がけです。

クリスマスの預言

「万軍の主の熱心」という表現は、今回の箇所以外に2箇所出てきます。一つは第2列王記19:31ですが、実はここは今回の箇所とまったく同じ、アッシリヤによるエルサレム包囲の事件を取り扱ったところです。

そして、もう一つは、イザヤ9:6-7です。

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる」。


すなわち、イエスさまが地上に来られるという預言、クリスマスの預言の箇所ですね。

イエスさまは、どうして地上に来られたのでしょうか。それは、私たちの罪を完全に赦し、私たちが今あるがままの姿で神さまの子どもにされるためです。そのために、イエスさまは十字架にかかり、死なれました。イエスさまは、何と、私たちの身代わりに罪の罰を受け、呪われて死ぬために来られたのです。

あなたや私が赦されて、神さまの子どもにされるなら、たとえ命を捨てても惜しくないとイエスさまは思われました。だから、神としてのあり方を捨てて、人として地上に来られました。それほどまでに、イエスさまは熱心でした。「万軍の主の熱心がこれを成し遂げ」たのです。

なめてはいけない、主の熱心

私たちは、私たちの救いに対する神さまの熱心さ、本気度を、かなり値引いては来なかったでしょうか。

他の人のことはさておき、この自分のことは、神さまはそれほど大切に思っていないのではないかなんて思ってきませんでしたか? そして、自分は大して祝福なんかされない、絶対に奇跡なんか体験させてもらえない、人生もそんなに造り変えられたりしないと、どこかで勝手に決めつけては来ませんでしたか?

もしそうなら、私たちは悔い改めなければなりません。それは、イエスさまが文字通り命を投げ出してまで示してくださった「万軍の主の熱心」を否定することであり、神さまに対する大変な失礼ですから。

Aさんは20代の男性ですが、7年もの間、ずっと引きこもり状態でした。出口の見えない苦しさに、親に当たり散らしていたそうです。しかし、ふとしたことから教会と接点が生まれました。そして、その教会を通してイエスさまとの出会いを果たします。

イエスさまの十字架のメッセージを聴いたAさんは、神さまが「あなたは、わたしにとって、そのままで大切な存在なんだよ」と語っておられることを知りました。そして、Aさんはぐんぐんと回復していきました。

Aさんは、それまで「今の自分ではダメだ」という思い込みに縛られていました。自分でも自分を受け入れられないのに、学校や社会の人たちが自分を受け入れてくれるはずがない……だから社会に出て行けなかったのでした。

しかし、何度も何度も神さまが語ってくださる「あなたは大切だ」というメッセージを反芻し、また教会の人たちからも大切に扱われていくうちに、だんだんと間違った思い込みから解放され、健全な自信を取り戻し始めました。

そのうちに、Aさんは、教会に来ている引きこもりや不登校の若者や、その親たちと話しをするようになりました。そして、自分が聴いてきた「あなたは大切な存在です」というメッセージを、繰り返し彼らに語っていきました。すると、彼らが、かつてのAさんのように、ぐんぐんと回復していったのです。

今、Aさんは、全国の不登校や引きこもりの子どもを持つ親たちのために、「あなたは大切」というメッセージを吹き込んだCDを配布しています。こうして、さらに多くの人たちを助けています。

あなたにもイエスさまは語っておられます。「あなたは大切だ」。そのメッセージをこころで受け止めてみてください。あなたも、Aさんのように、人生の重荷から解放されていきます。それどころか、他の人たちの解放のお手伝いをすることができるようになります。そんな未来が、見えますか? 万軍の主の熱心が、それをします。

まとめ

万軍の主、すべてを支配しておられる全能の神さまが、あなたの幸せを願い、行動してくださいます。だから、大丈夫です。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。


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