キリストに似た者となる

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ヨハネの手紙第一3章2〜3節

(2012.9.16)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

クリスチャンの存在目的の3つ目は、成長です。教会は、メンバー一人一人が成長できるように様々な教育・訓練の場を提供します。

1.成長の目的と目標

目的

私たちは何のために成長するのでしょうか。「あなたは立派な人ですね」と周りの人にほめられて、悦に入るためではありません。それは、私たちがきよめられるため(3節)、すなわち、私たちの人格的な性質がしっかりしたものになっていくということです。

ハワイのウェイン・コデイロ牧師が、お子さんたちへの手紙の中で、こんな話を書いておられます。それはお店で4カラット、2万ドルはするだろうと思われる大きなダイヤの指輪を見つけて、それをお母さんに買ってあげようと思ったけれど、お母さんの手の美しさを隠してしまうのでやめたという話です。

コデイロ牧師は、その2万ドルのダイヤを支えているのは、小さな5、6本の爪のついたはめ込み台であり、この目立たないはめ込み台こそがこの指輪の価値を守っているんだと言います。そして、聖霊なる神さまは、私たちに神の約束という宝石をはめ込む前に、しっかりとしたはめ込み台を築き上げようとなさるのだと。その大切なはめ込み台とは、人格のことです。

人生の指輪の宝石とは何でしょうか。結婚かもしれないし、影響力のある地位かもしれないし、ミニストリー(神の働き)かもしれません。しかし、その宝石が何であれ、成熟した円満な人格に裏付けられていなければ、必ず台無しになってしまいます。

私が神学生時代、世界的に影響を与えていたアメリカのテレビ伝道者が、妻以外の女性と不倫関係にあったということが発覚して、大問題になりました。その人がテレビ伝道の働きを続けられなくなったのはもちろん、まじめにがんばっている多くの伝道者の働きまで停滞し、人々がキリスト教に対して懐疑的になって、全米の教会が動揺しました。

どんなに熱烈に恋愛して結婚したとしても、夫と妻それぞれが人格的に成熟していなければ、すぐに関係が破綻することになるでしょう。どんなに大きな権力を握ったとしても、それが懐疑的で自己中心的な人だったとしたら、その会社や国はひどいことになります。

目標

では、私たちはどんな人格を目指せば良いのでしょうか。私たちクリスチャンの成長目標は、イエス・キリストに似た者になる、イエスさまのような人になるということです(2節)。

人として来られたイエスさまは、どんなお方だったでしょうか?
  • イエスさまは、どんな人にも愛情深く接しました。しかし、それは甘やかしとは違いました。
  • イエスさまは、自信に満ちあふれていました。しかし、それは傲慢さとは異なりました。
  • イエスさまは、よく祈るお方でした。しかし、祈るだけで行動しないということはありませんでした。
  • イエスさまは、厳しい状況の中でも喜び笑うことができました。しかし、それは軽薄さとはほど遠いものでした。
  • イエスさまは罪を犯しませんでした。しかし、決して他人を見下すことなく、罪人たちを愛し、彼らと心を割って付き合うことができました。
イエスさまは、人としての完成形であり、理想型です。そして、私たちクリスチャンは、イエスさまのようになることが人生の目標です。

聖書は、私たちはやがてイエスさまに似た者になると言われています。それは、イエスさまと顔と顔とを合わせて会う時、すなわち、天国に召された時です。それはまだ先のことであり、今の状態は未完成、不完全です。しかし、一歩でも二歩でも、目標であるイエスさまに近づくこと。それを天の父である神さまは望んでおられます。

イエスさまのようにならせてくださいと、日々祈りましょう。そして、イエスさまに似ていない考え方や行動をしてしまった時には、悔い改めましょう。そして、改めてイエスさまのような生き方を目指しましょう。

2.成長の方法

日本の赤ちゃんが、どうやって日本語をしゃべるようになるかを考えてみましょう。まず、赤ちゃんは回りの大人のことをつぶさに観察します。親が日本語で話をしたり、赤ちゃんに話しかけたりするのを聞きます。こうして、どんなふうにしたらいいかを知ります。

次に、赤ちゃんは、自分が聞いた言葉を真似をしてやってみようとします。すると、回りの大人が喜んで、ほめてくれたり、抱きしめてくれたりします。こうして、赤ちゃんはだんだんと日本語がしゃべれるようになります。

クリスチャンの成長も、知ること、やってみること、励まされることを通して達成されていきます。

知ること

聖書の中には、私たちのモデルであるイエスさまが、具体的にどんな生き方をなさったのかが書かれています。また、神さまがどんな生き方を喜ばれ、どんな生き方を悲しまれるのかも書かれています。そして、神さまに忠実に仕えている人たちが、具体的にどんな言動をしたのかも書かれています。

聖書を読みましょう。教会では、聖書の学びの時間を設けますが、集会の時だけでなく、個人的にも聖書を開き、聖書に親しむ時間を持ちましょう。

聖書は、少なくとも1350年ほどの期間をかけて、40人くらいの人が執筆に携わってできた本ですが、その成立の過程で、聖霊なる神さまが働いて、間違いなく神さまの意図されたとおりの内容になるように守り導いてくださいました。ですから、聖書の本当の著者は聖霊なる神さまです。そこで、聖書の意味を教えてくださるようにと、聖霊さまにお願いしてから読むといいです。

やってみること

成熟の度合いは、聖書をどれだけ知っているかではなくて、知っていることをどれだけ実践できるかによって決まります。

「あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行ないを、良い行ないによって示しなさい」(ヤコブ3:13)

聖書から学んだこと、あるいは他のクリスチャンから学んだことを、自分自身も行動に移してみましょう。

あるいは失敗するかも知れません。しかし、赤ちゃんが立って歩く時のように、子どもが自転車に乗れるようになる時のように、何度でもチャレンジしていけば、きっとできるようになります。

岸義紘先生は、聖書を通して、たくさんの人たちが救われて、神さまを愛し、神さまの愛を受け取るようになることが、神さまの望みだということを知りました。そして、20才の時に個人伝道を始めました。その結果、連続失敗記録200回以上という輝かしい(!)記録を打ち立てました。

これは輝かしい記録だとは思いませんか? なぜなら、第一に、とにもかくにも伝道したということ。アメリカのクリスチャンで、救われて一度も個人伝道したことがないという人が、何と96%いるんだそうです。日本でも、もう少しパーセンテージは低くなるでしょうが、似たようなものかもしれません。先生は使命感に燃えていたのでしょうね。

そして第二に、失敗を通して、ついに自分のスタイルを確立したということ。今や岸先生は、日本でも指折りの、しかもユニークな伝道者として知られています。

励まされること

どんなにがんばって努力しても、それを誰からも認められず、励まされないとしたら、なかなかやる気を維持し続けるのは大変です。

赤ちゃんが立ち上がり、わずかコンマ5秒で座り込んだとしても、「今、立った、立った!」と親は喜び、赤ちゃんをほめます。だから、赤ちゃんは何度もトライして、やがて本当に立てるようになります。

私たちクリスチャンが成長する時も、それがどんなに小さな一歩であったとしても、それを決して軽く扱わないようにしましょう。他の人の場合はもちろん、自分自身についてもです。

私を教会に導いてくれた友だちが、きよめについてのたとえ話をしてくれました。ある人に変な癖がありました。向こうから杖をついて歩いてくる老人を見ると、その杖を蹴飛ばして、老人を転ばせるという癖です。この人がクリスチャンになりました。すると、10回のうち1回我慢できるようになりました。1年たつと、10回のうち2回我慢できるようになりました。10年後には4回になりました。そして、いつしかこの人は亡くなって天に召されましたが、亡くなる直前には、10回のうち7回は我慢できるようになっていました。

「一生かけても蹴飛ばす癖がなくならなかったんだから、この人はきよめられてない」などと言ってはいけません。確かにこの人は、イエスさまに近づいたのです。

教会で、互いの成長を確認し合い、励まし合いましょう。他の人と比べてはいけません。一人一人、成長の度合いも到達場所も違いますから、比較すると落ち込みや軽蔑の原因になります。比べるなら、1ヶ月前の自分、半年前の自分、1年前の自分、あるいはクリスチャンになる前の自分です。

あなたは、この1年間で、あるいはクリスチャンになる前と比べて、どんなふうに変わりましたか? 誰も気づいてくれなかったとしても、誰もほめてくれなかったとしても、神さまは、あなたの変化を喜んでくださいます。

3.成長の動機

馬の気持ち

西洋には、「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」ということわざがあるそうです。どんなに回りでやいのやいの言ったとしても、実際に水を飲むかどうかは、水を飲みたいと思うか思わないか、馬自身の気持ち次第だということです。

神さまや教会がどんなに成長のための機会を提供したとしても、私たち自身が、成長したい、きよめられたい、イエスさまのようになりたいと思わなければ、学ぼうとしませんね。

では、どうしたら、私たちの行動、生き方を変えよう、成長しようという意欲がわいてくるのでしょうか。

3つのレベル

やる気を引き出す原動力には、3つのレベルがあります。
  1. 約束と警告、祝福と呪い、褒美と罰などを示すことで、損と徳とを計算させてやる気が生まれるレベル。恐れや欲に訴える方法です。
  2. 行動の意味を見いだして、そこからやる気が生まれるレベル。
  3. 内側からわき上がってくる、「そうしないではいられない」という思いに突き動かされて行動するレベル。その思いは、自分が誰かから愛された時、あるいは誰かが誰かを愛している姿を見た時、その愛に感動して引き起こされます。
以前、母教会のサマーキャンプに、富山県で活躍なさっている横山幹雄という牧師先生をお呼びしたことがありました。感動した家内が質問しました。「どうすれば、もっともっとイエスさまのことを愛せますか?」

すると、先生は言下にこうお答えになりました。「どれだけ自分はイエスさまのことを愛せるかと問うよりも、どれだけイエスさまが自分を愛されたかを考えなさい」と。

人生の目的の3番目、すなわち、礼拝と交わりの次に成長を取り上げたのには理由があります。まず、私たちは礼拝を通して、神さまとさらに深く出会い、神さまに新たな感動と感謝を覚え、神さまをますます喜び、愛するようになります。それが、もっと神さまに喜んでいただきたい、きよめられたい、成長したいという思いになります。

また、教会のクリスチャンたちが、互いに深く愛し合い、助け合っている姿を見たり、自分がその愛を受けたりすることによって、感動し、自分もこんなふうに人に喜んでいただけるような存在になりたい、愛の人になりたいと思うようになります。

私たちの教会が、成長したいという熱い思いに満たされるような集まりになりますように。

まとめ

私たちはイエスさまのようになることが求められています。そして、少しずつイエスさまに近づいていくことができます。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。


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