荒野で叫ぶ者の声

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マルコによる福音書1章1〜8節

(2012.11.4)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

今回の話の主人公は、バプテスマのヨハネという人物です。彼の言葉と行動が、私たちに教えているのは何でしょうか。

1.バプテスマのヨハネ

ヨハネはどのような格好をしていましたか?

らくだの毛で織った物を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていました。当時のユダヤの人たちから見ても、非常に変わった格好でした。

旧約聖書に「ナジル人」についての規定がありました(民数記6:1-21)。ナジル人とは、民族名ではなく、ユダヤ人の中で、「【主】のものとして身を聖別するため特別な誓いを」立てた人のことです。彼らは、その誓願の期間中、酒を断ち(聖書は適度な飲酒を禁じていませんが、ナジル人の場合には完全禁酒です)、ぶどうの汁も実も皮も飲み食いせず、髪の毛を切らず、たとえ家族が亡くなったとしても死体に近づくことを避けました。

士師記のサムソンや、サムエル記のサムエルのように、一生涯ナジル人として生きる人もいましたし、パウロのように一時的にナジル人の誓願をする人もいました(使徒18:18)。

ヨハネは、明確には書かれていませんが、おそらくナジル人として生きた人なのでしょう。彼は、自分が神さまのために重要な働きをするよう召し出されているという、強烈な自覚を持っていたということです。

ヨハネはどこで活動していましたか?

ヨルダン川のそばの荒野です。

ヨハネはどういう活動をしていましたか?

人々にバプテスマ(洗礼)を授けていました。バプテスマとは、体を水に沈めたり、頭に水をかけたりする儀式で、ユダヤの宗教的グループ(エッセネ派など)が入信の儀式として行なっていましたから、それ自体は珍しいものではありません。

ヨハネのバプテスマがユニークなのは、バプテスマが意味することです。それは「悔い改め」でした。ヨハネは人々に悔い改めを迫りました。そして、悔い改めたしるしとしてバプテスマを施しました。

ヨハネは自分のことをどういう存在だと言っていますか?

7節では、ヨハネ自身が「私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります。私には、かがんでその方のくつのひもを解く値うちもありません」と語っています。その方に比べれば自分は取るに足りない者だということです。これは、ことさらに自分を卑下しているのではなく、それくらい「あとからおいでになる方」が素晴しいと言いたいわけです。

落語に例えるなら、自分は前座であって、これからもっと素晴しい噺を聞かせてくれる真打ちが登場するんだということです。

「私よりもさらに力のある方」とは誰のことですか?

今回の箇所だけでは分かりませんが、続きを読んでいくと、それがイエスさまのことだと分かります。

ヨハネは、その力ある方は、あなた方に何をすると言いましたか?

聖霊のバプテスマを与えてくださいます。

2.聖霊のバプテスマ

聖霊のバプテスマとはどういうものでしょうか?

聖霊のバプテスマ(あるいは、聖霊によるバプテスマ)は、水のバプテスマのイメージと似ています。バプテスマとは、ギリシャ語のバプティゾー(浸す)という動詞から派生した言葉です。水にどっぷりとつかるのが水のバプテスマなら、聖霊のバプテスマは聖霊なる神さまにどっぷりとつかるというイメージですね。

ある人が、「ぬか漬けみたい」と表現しました。キュウリがぬか床にどっぷりと漬け込まれ、ぬかの影響を受けて発酵し、味と臭いが変わります。それと同じように、聖霊なる神さまにどっぷりとつかった人は、聖霊の影響を受けて人生が変えられます。

誰が聖霊のバプテスマを体験できるのでしょうか?

第1コリント12:12-13には、このように書かれています。

「ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです」。

この箇所で「からだ」に例えられているのは、教会です。そして、私たちが、例え人種や身分が違ったとしても、一つの教会に属し、体の各部分のように有機的につながり合うために、聖霊によってバプテスマを受けたのだと言われています。

ここから分かることは、聖霊のバプテスマの体験は、イエス・キリストを信じて救われたすべての人に与えられます。

そもそも、私たちがイエスさまを救い主だと認めて信じられたのは、聖霊のお働きによります。「ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、『イエスはのろわれよ』と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません」(第1コリント12:3)。

本当にすべてのクリスチャンに?

では、本当にすべてのクリスチャンが、聖霊の力や導きを、「いつも」体験できているでしょうか?

これについて、イギリス国教会のニッキー・ガンベル牧師は、昔のガス給湯器を使って説明しています。給湯器のスイッチを入れると、最初に種火がつきます。これではお湯を沸かすことはできません。しかし、さらにダイヤルを回すと、ゴーッと炎が大きくなり、熱いお湯が蛇口から出てきます。

すべてのクリスチャンの内側に聖霊は住んでくださっています。しかし、あるクリスチャンは炎がゴーッと燃え上がっているけれど、別のクリスチャンの炎はほとんど消えかかっているような状態です。同じように聖霊さまをいただいていても、この違いがあるんだということです。

私たちは「聖霊のバプテスマ」と「聖霊の満たし」を区別して考える必要があります。救われたとき、聖霊が私たちの中に住んでくださり、罪をきよめ、神の子として救ってくださったこと。これが聖霊のバプテスマです。一方、その聖霊さまが、私たちの内側でありとあらゆる領域において自由自在に働いてくださり、私たちの努力や知恵では説明できないような不思議で力強い変化がもたらされること。これが聖霊の満たしです。

聖書は、クリスチャンに対して、聖霊のバプテスマを求めるようにとは命じていません。なぜなら、すでに救われていて、聖霊さまをいただいているからです。一方、「御霊に満たされなさい」とは命じられていますし(エペソ5:18)、すでにクリスチャンとして信仰生活を送っている人が、あらためて聖霊に満たされたという例が、いくつも聖書の中に紹介されています。

では、どうしたら、もっともっと聖霊さまの影響を受けて、人生が造り変えられていくという奇跡を体験できるのでしょうか?

3.聖霊を体験するために

ヨハネの活動から、聖霊のバプテスマの前提は何だと言えそうですか?

それは悔い改めです。すなわち、自分が神さまの喜ばれる生き方をしていない、神さまの悲しまれるようなことを考えたり行なったりしているということを認めて、これからは神さまのみこころにかなう生き方をしていくと決意することです。

イエスさまが与えてくださる救いとは、罪からの救いです。ですから、救われるためには、どうしても自分が罪人だということを認めることが必要なのです。

クリスチャンになってから罪を犯したらどうしますか?

では、イエスさまを信じてクリスチャンになったら、すなわち聖霊のバプテスマを体験したら、もう二度と罪を犯さなくなるかというと、そうではありませんね。やっぱり神さまが自分の人生に口出しするのを喜ばず、自分勝手に生きていきたいという思いがよみがえってきて、実際に神さまを無視した生き方をしてしまうことがあります。ここでも大切なのが悔い改めです。

聖霊さまは紳士ですから、私たちが同意しなければ、それを無視してまで私たちの人生を造り変えようとはなさいません。罪を犯すということは、聖霊さまの活動を制限するということです。そして、悔い改めるということは、再び聖霊さまが自由に自分の人生を造り変えることに同意するということです。

悔い改めは、聖霊のバプテスマの前提であると共に、日々の聖霊の満たしの前提でもあります。もし、罪が示されたなら、日曜日にまとめて悔い改めようなんてせず、すぐにその場で神さまに告白し、赦しを願い、神さまに従うことを宣言しましょう。

そのとき、聖霊さまがあなたを満たし、喜びと平安と奇跡に満ちた人生が始まります。

まとめ

罪を示されたら悔い改めましょう。そして、聖霊さまの満たしを願いましょう。

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