神の国は近くなった

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マルコによる福音書1章14〜15節

(2012.11.18)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

今回紹介したのは、イエスさまがなさった説教のうち、最初期のものです。ここには、イエスさまが私たちに伝えたいと思われた内容が、凝縮されています。

1.神の国は近くなった

メシヤ王国

福音書に残されたイエスさまの説教のテーマは、「神の国」(マタイの福音書では天の御国)でした。神の国とはどういう国なのか、神の国に入るにはどうしたらいいのか、神の国の国民に約束されている福祉は何なのか、そういったことをイエスさまは語っておられます。

旧約聖書は、人となられた神であるメシヤ(救い主、ギリシャ語でキリスト)がやがて現れて、メシヤによって統治される王国、いわばメシヤ王国が実現することを繰り返し預言しています。これが神の国です。神の民であるイスラエルの人々(ユダヤ人)は、メシヤ王国の実現をずっと待ち望んできました。

たとえば、イザヤ書65:20-25には、メシヤ王国の様子が描かれています。

「そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。
彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。
彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。
彼らはむだに労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは【主】に祝福された者のすえであり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ。
彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。
狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食い、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない」と【主】は仰せられる」。


また、神さまは、アブラハム、イサク、ヤコブに対して、エジプト国境からユーフラテス川に至るまでの広大な土地を与えると約束されました。歴史的には、イスラエル民族がこれらをすべて領有したことはありません(最も領土を大きくしたソロモン王の時代でさえも)。この土地の約束は、メシヤ王国が現れるときに実現します。

実現の時

それでは、神の国、すなわちメシヤ王国はいつ実現するのでしょうか。聖書によれば、世の終わりの時です。

まず、教会の聖徒(すべてのユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャン)が、空中に引き上げられてイエスさまに会います。その時生きているクリスチャンだけでなく、すでに死んだクリスチャンたちもよみがえって、天に挙げられます。これを携挙と言います(第1テサロニケ4:13-17)。

それから間もなく、7年間に渡るイスラエルの大患難時代が訪れます(黙示録4〜19章)。サタンの力を受け、全世界を征服した反キリストと呼ばれる人物によって、イスラエルは苦しめられ、危うく滅ぼされかけます。

しかし、大患難時代の最後に、イスラエルは国家的に悔い改めて、イエスさまこそメシヤだと信じ、イエスさまの再臨を祈り求めるようになります。イエスさまは、その祈りに応えて地上に再臨なさり、イスラエルを敵から救い出して、千年王国と呼ばれるメシヤ王国を実現なさいます(黙示録20:1-10)。そして、イエスさまが王として治める千年王国には、次のような人々が住みます。
  • 患難時代に救われ、生き延びた人々(ユダヤ人だけでなく、異邦人の中にも救われる人たちが出ます)。
  • 携挙されて、イエスさまと共に地上に戻ってきたクリスチャンたち(私たちのことです)。
  • 復活した旧約時代の信者たち。
  • 患難時代に殉教して復活した信者たち。
これが私たちに約束された神の国です。

千年王国の千年間が終わると、白い御座のさばきと呼ばれる最後の審判が行なわれ、今のこの宇宙は全部消え去って、新しい天と新しい地が実現します(創世記20:11〜21:4)。ここにも、ユダヤ人も異邦人も、神さまとメシヤを信じるすべての信仰者が招かれています。新天新地も、神さまが完全に支配なさる神の国です。

世の終わりに起こると預言されている出来事について、詳しくはこちらの記事をどうぞ。

神の国の祝福

神の国は、人となられた神であるメシヤが、力強く支配しておられる国です。そこは、どんな世界でしょうか?

愛の神が支配しておられますから、そこは愛が満ちあふれています。正義の神が支配しておられますから、そこはきよさに満ちあふれています。力ある神が支配しておられますから、驚くべき奇跡に満ちあふれています。

イエスさまの生涯を見ると、神の国がいかに素晴しいかを、言葉で説明し、さらに実際に目に見える形で見せてくださっていることが分かります。

イエスさまは、愛に破れ、傷ついた人を愛し、励ましました。また、弟子たちが互いに愛し合うことを強調なさいました。それにより、神の国は、お互いが深く広く真実に愛し合うところだということをお示しになりました。

イエスさまは、完全にきよい生き方を貫かれました。また、表面的な形だけでなく、心の底から神さまを愛し、神さまのみこころに従って生きることをお求めになりました。それによって、神の国がきよいところだということをお示しになりました。

イエスさまは、病のいやし、悪霊の追い出し、自然現象のコントロールなどの奇跡をたくさん行なわれました。また、弟子たちにも、奇跡を行なう力を授けました。それにより、神の国の支配者である神さまの力が、いかに大きいかということをお示しになりました。

イエスさまは、十字架によって罪の赦しを成し遂げ、どんな人にも神の国に入るチャンスが与えられているということをお示しになりました。

イエスさまは、復活によって、神の国が、死をも克服する世界だということをお示しになりました。

その神の国の実現がすぐそばに近づいたと、イエスさまは宣言なさいました。聞いたユダヤ人たちは、きっと興奮したことでしょう。

そして、同時に、「本当だろうか。こういう大それた事を宣言するこの人は、いったい何者なのだろうか。メシヤその人なんだろうか」という疑問も持ったことでしょうね。そのため、この後いろいろとイエスさまがメシヤかどうか試そうとします(この話はまたいずれ)。

神の国の始まり

神の国は、世の終わりの千年王国の時代に実現しますが、イエスさまは、このようにもおっしゃいました。

「さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。『神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。「そら、ここにある」とか、「あそこにある」とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです』」(ルカ17:20-21)

これは、目に見える神の国など実現しないという意味ではありません。イエスさまがおっしゃっているのは、「神の国の本格的な実現は世の終わりの時だけれど、神の国の愛、平安、喜び、力、きよさは、すでに今ここで、あなたの内側から実現し始め、それがあふれ出ていく」ということです。

神の国の祝宴の、メインディッシュは世の終わりに与えられますが、オードブルはすでに、私たちの心の中に提供されているということですね。
私たちへの約束
聖書は、平穏無事な生活は保障していませんが、どんな苦難にも耐える力と平安を約束しています。

何でも思い通りに行くとは保証していませんが、キリストに従うとき、どんな祈りも聞かれること、またすべてのことが益になることを約束しています。

二度と誘惑されないとは保証していませんが、誘惑に打ち勝つ力が与えられると約束しています。

自動的に聖人君子のようになれるとは約束していませんが、苦難、時、何より聖霊さまのお働きによって、あなたはキリストに似た者に成長できると約束しています。

金持ちになるとは言われていませんが、必要はすべて満たされると約束されています。

このほか、悪霊を追い出し、いやしを行ない、言葉や行ないによって周りの人たちに良い影響を与え、愛と喜びに満ちあふれると約束しています。

あなたは今、神の国の食卓のオードブルをどのように味わっていますか?

では、どうすれば、私たちが神の国の一員となり、世の終わりに現れる千年王国に入れていただける資格を得るだけでなく、私たちの内側に神の国が実現し始めるのでしょうか?

2.悔い改めて福音を信じなさい

悔い改め

まず、自分の罪を悔い改めます。

罪とは、神さまが自分の王、支配者であることを喜ばず、自分勝手な生き方を選んでいるということです。愛の神が自分を支配することを嫌がっているのに、人生に愛が満ちあふれることを期待するというのは、矛盾ですよね?

ですから、まず自分が神さまの目から見れば罪人なのだということを認めて、神さまに従う生き方へと方向転換する必要があるのです。これが悔い改めです。

福音

悔い改めることと、福音を信じることとが平行して語られています。これらは実は同時に起ります。福音とは、よい知らせという意味です。

イエスさまがこの言葉を語られた時代の福音の内容は、「旧約聖書が登場を約束していた神の国の王、メシヤがいよいよ登場した。それは、ナザレのイエスである」というものです。

今の私たちに与えられている福音の内容は、これとは異なります。それは、第1コリント15:1-8に書かれていることです。

「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。
また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。
私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、
また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。
その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。
そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました」


すなわち、

(1) イエスさまが、私たちの罪のために死なれたこと
(2) 葬られたこと
(3) 三日目によみがえられたこと

です。

「私たちの罪のために死なれた」というのは、イエスさまは私たちの身代わりとなって死に、そのおかげで私たちの罪がすべて、完全に赦されたということです。

イエスさまのおかげで、私たちは罪を赦されました。ですから、自分の力では罪を完全に離れ、完全にきよい生き方をすることができない私たちが、そのままの姿で神さまに受け入れら、神の国の市民として認められるということです。

そして、イエスさまは葬られ、復活なさいました。イエスさまは今も生きておられ、私たちを救い、私たちを祝福することができます。そして、やがて再び地上に戻ってこられ、メシヤ王国を打ち立て、さらには新しい天と新しい地をお造りになって支配なさいます。私たちは、イエスさまのおかげで、そこに入ることができます。

これが福音です。そして、それを信じることが、神の国に入るための唯一の条件です。

あなたは、福音を信じていますか? もし答えが"Yes"なら、あなたはすでに神の国の市民として登録されています。

3.時が満ちた

時が満ちたとは?

イエスさまは、「神の国が近づいたから、悔い改めて福音を信じなさい」とおっしゃる前に、「時は満ちた」と宣言なさいました。

時が満ちたとは、どういうことでしょうか? それは、神さまが定めた準備期間が終わったということです。

旧約の時代から、多くの預言者が預言し、ユダヤの人々が待ちわびていたメシヤ王国実現の時が、もう目の前に来ていると、イエスさまは宣言なさったのです。

イエスさまの時代のユダヤ人は、イエスさまこそメシヤであると信じたごく一部の人たちを除いて、国家的には公式に「イエスはメシヤではない」と判断しました。そのため、せっかく実現しそうになっていたメシヤ王国の実現が、先送りになってしまいました。

しかし、それで神さまの約束が反故になったわけではありません。神さまは、必ず私たちを天のパラダイスに引き上げ、地上に千年王国を実現し、さらには新しい天と新しい地に私たちを招いてくださいます。

そして、私たちの心の中に実現する神の国は、もうすでに始まっています。

待っていないか?

しかし、私たちは未だに待っていないでしょうか? 時はすでに来ています。なのに、「もう少し生活がましになったら」とか、「もう少し聖書のことが分かるようになったら」とか、「ここがこうなったら」とか、あなたは祝福を受け取るのを先延ばしにしてはいませんか?

心の中に実現する神の国の祝福は、今、あなたの目の前にあります。いや、もうすでに始まっています。それを信じますか? それとも、まだ始まっていないと信じますか?

「すでに神の国の祝福は、この私の内側に始まっている」と信じるとき、確かに神の国の祝福のオードブルが、あなたの人生に満ちあふれます。

まとめ

あなたはすでに神の子どもであり、神の国の大切な国民です。神の国の一員に与えられる祝福を信じて、この地上で生きていきましょう。

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