ピリピ教会のための祈り

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ピリピ人への手紙1章1〜11節

(2013.1.13)

参考資料

この手紙は、起源61年頃、パウロがローマの獄中で書きました。

7節。ピリピ教会がパウロにしたことは、4:15-18と2:25-30に詳しく書かれています。ピリピ教会の人たちは、パウロの伝道活動を支えるために、しばしば贈り物をしました。また、パウロがとらえられてローマに送られたときには、獄中生活をする彼に仕えさせるために、エパフロデトを派遣しました。

8節の「愛の心」は[ギ]スプランクナの訳で、元は「内臓」という意味。そこから派生した動詞スプランクニゾマイは、イエスや良いサマリヤ人や放蕩息子の父が「かわいそうに思う」(マタ9:36、ルカ7:13、10:33、15:20)、「深くあわれむ」(マタ14:14、マコ1:41)ときに用いられています。

9-11節の祈りを文法的に分析すると、3つの願いとそれぞれの目的が挙げられています。
 @あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになるように。
  それは、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けるために。
 Aあなたがたが純真で非難されるところがないようになるように。
  それは、キリストの日のために。
 Bイエス・キリストによって与えられる義の実に満たされるように。
  それは、神の御栄えと誉れが現されるために。

聖書からのメッセージ

イントロ

今日は、ここから私たちクリスチャンの成長目標について教えていただきます。

1.ピリピ教会の現状

模範的な教会

ピリピ教会の人たちは、福音を広めることに心を砕き、その一環として、伝道者であるパウロを熱心に援助しました(上述)。そして、パウロは、彼らのその働きは神さまが始めてくださったものであり、世の終わりの時までに神さまによって完成される、すなわち満足すべき十分な実を結ぶと保証しています。

「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです」(6節)

新約聖書に出てくる諸教会の中で、ピリピ教会は特に模範的な教会と言えましょう。

成長は無限

しかし、9-11節のパウロの祈りを読むと、ピリピ教会の人々がさらに質的に成長することを彼が(そして神さまが)願っていたということが分かります。

私のような、まだまだ信仰の高度が低いところを飛んでいる者にとっては、ピリピ教会のどこが問題なんだと思います。しかし、かなり高いところを飛んでいるパウロには、ピリピ教会の成長の可能性がよく見えたのでしょう。

今の私たちの信仰のレベルがどうであっても、私たちは成長の余地があるし、成長することができます。信仰の成長は無限です。

2.パウロの祈り

キリストの日が来たときの姿

パウロは祈りの中で、キリストの日、すなわちイエスさまが再臨なさる世の終わりの時に、ピリピ教会の人たちがどのようになっていてほしいかということを語っています。それは、「純真で非難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者」になることです。

この未来の姿の一つの側面は、非難されない、罰を受けない、ということ。もう一つは、ただ罰を受けない、罪がないというだけでなく、義の実、すなわち様々な良い性質と、それに伴う結果を十分に出しているということです。

そうなるために必要なもの

そのような未来の姿に到達するために必要なこととして、パウロは「あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように」と祈っています。

今のピリピ教会の愛は、必要十分なものでした。しかし、それでも成長は無限であり、よりすばらしい愛の人、愛の教会へと成長していくことができるのです。

そして、そのようなより成長した愛に必要なのは、真にすぐれたものを見分ける力だとパウロは語っています。そして、それを支えるのが真の知識とあらゆる識別力だというわけです。

真にすぐれたものを見分ける力と愛

一般的に、おなかが痛いときには温めるといいと言われます。しかし、もしそれが盲腸炎の場合、下手に温めると腹膜炎を起こしてしまい、かえって危険です。

事故に遭って激しく転倒した人を助け起こすと、背骨や首の骨が折れている場合、かえって脊髄を損傷させて障害を引き起こしてしまいます。

あるお母さんは、数日おきに息子さんの部屋の掃除をしながら、「まったくうちの子は自立していない。自分で掃除もできないんだから」と嘆いていました。息子さんにしてみれば、お母さんが掃除をしてくれるわけですから、自分で掃除する必要を感じませんよね?

相手を助けたいという思いは尊いものですが、正しい知識と的確な判断がないと、場合によってはかえって相手を傷つけてしまったり、かえって自立の邪魔をしたりすることがあるのです。

相手を本当に生かす愛は、真にすぐれたものを見分ける力に支えられる必要があります。パウロは、そういう力がピリピの人たちにますます与えられるようにと祈りました。

そして、神さまは私たちにも、それを願っておられます。

まとめ

私たちは、ピリピ教会の良いところを学び、真似をしていきましょう。

そして、愛に知識と識別力を加えて、本当に役に立つ援助ができるように心を配っていきましょう。

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