それでも喜べる

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ピリピ人への手紙1章12〜20節

(2013.1.20)

参考資料

ローマ(またはカイザリヤ)で獄中生活をしている間に、パウロはエペソ書・コロサイ書・ピレモン書、そしてピリピ書を書きました。よって、これらの手紙を、獄中書簡と呼びます。ピリピ書は、釈放直前に書かれたものと思われます。

伝説では、釈放されたパウロはアジアを巡った後、かねてからの希望通り(ローマ15:23と28)、スペインに伝道に向かいました。そして、紀元67年に皇帝ネロの迫害によって殉教します。

聖書からのメッセージ

イントロ

パウロはいろいろな問題に巻き込まれていました。当然、悲しんだり、ふてくされたりしていてもおかしくないような状況でした。それなのに、彼は喜びに満ちていました。

ここから、その理由を探ってみましょう。

1.パウロの抱えていた問題

投獄されていたこと

この時、パウロが投獄されていた場所については、ピリピ書にははっきりとは書かれていません。ローマだという説が有力ですが、カイザリヤという説もあります。本稿ではローマ説を元に解説しますが、どちらにしても、パウロが捕らえられた事情についてはは、使徒21章以降に書かれています。
誤解による騒動と命の危険
紀元58年頃、パウロは第三回伝道旅行を終え、小アジアやギリシャの諸教会からの募金を携えてエルサレム教会を訪問しました。そして、教会のリーダーたちにあいさつした後、神殿に行きました。ところが、パウロが異邦人を連れて神殿に入ったと誤解した人たちがいて、町中が大騒動になり、パウロは危うく殺されそうになります。全くの誤解から、彼は命を狙われることになったわけです。

その場は、ローマ軍がパウロを保護することで収まりましたが、パウロを暗殺する計画が持ち上がっていることを知ったローマ軍の千人隊長は、パウロをカイザリヤの総督府に護送しました。
ペリクスによる扱い
このころ、ローマ帝国の属州だったユダヤ地方を治めていた総督は、ペリクスという人物でした。ユダヤの大祭司たちもやってきてパウロの罪を言い立てましたが、パウロは無罪を主張します。罪の証拠がないのですから、普通だったらすぐにパウロの無罪が確定するところです。ところが、ペリクスはすぐに判決を下さないで、裁判を延期し続けます。それは、パウロからお金をもらいたいという下心からでした。

こうして、2年の時が流れます。その間、パウロは、友人たちとの面会は認められましたが、ずっとカイザリヤ総督府の牢に入れられたままです(ピリピ書がカイザリヤで書かれたとしたら、この時です)。
フェストによる扱い
2年後、次の総督としてフェストが赴任してくると、ユダヤ人たちは裁判の再開を期待して、改めてパウロの罪を訴えました。そして、ぜひエルサレムで裁判を開いてくれと求めました。それは、途中でパウロを暗殺するためでした。

フェストは、パウロを尋問します。そして、罪の証拠がないというパウロの主張を聞いたにも関わらず、ユダヤ人たちの歓心を買おうとして、エルサレムで裁判を受けるかと尋ねました。ペリクスの場合も、フェストの場合も、パウロにしてみればまったく公正ではない扱いを受けたことになりますね。

とにかく、このままではエルサレムに送られてしまい、おそらく途中で暗殺されてしまうと考えたパウロは、皇帝に上訴し、ローマで裁判を受ける道を選びました。
ローマでの扱い
パウロがローマ入りしたのは、紀元61年頃です。そこではいわゆる牢屋ではなく、自費で借りた家に住むことができました。ただし、勝手に出かけることはできません。いわゆる軟禁状態であって、不自由な生活には変わりありません。

ただ、カイザリヤと同様、客が訪問することはできたので、パウロは精力的に伝道活動を行ないました。「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、 大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」(使徒28:30-31)。

ローマ到着の2年後、皇帝による裁判の結果、パウロの無罪が認められて釈放されます。しかし、ピリピ書が書かれた時点では裁判の行方は分かりません。皇帝の考え一つで、死刑になる可能性もありました。そういう不安な状況、不自由な状況が、いつ終わるかも分からないで2年も続いたのです。非常に理不尽です。

張り合う人たちがいた

さらに、クリスチャンたちの中に、パウロの働きに嫉妬を覚え、彼を勝手にライバル視して、何かにつけて張り合おうとする人たちがいました。

彼らにしてみれば、パウロが捕らえられたというのはラッキーなことです。この隙に自分たちの勢力を拡大しようと考えました。そして、一生懸命に伝道して、彼らの弟子たちを増やし始めました。

私たちも、クリスチャンではない人から受ける精神的ダメージよりも、クリスチャンから受けるダメージの方がはるかに大きいことがありますね。あるいは、家族から受けるダメージの方が、他人から受けるダメージよりも大きいものです。それは、相手に対する期待が大きければ大きいほど、裏切られたときのダメージも大きいものだからです。

本来ならば深い同情と具体的な助けを与えてくれるはずのクリスチャンの中に、自分のことを嫌い、投獄されたことをむしろ喜ぶ人がいるという事実は、パウロを精神的にさらに苦しめました。

パウロにしてみれば、この5年間に味わった状況というのは、頭に来たり、悲しんだり、絶望的になったりしてもおかしくないものでした。しかし、それでもパウロは、今のこの状況を喜ぶと言いました。なぜでしょう。その理由を2つ挙げます。

2.伝道が進んでいること

兄弟たちが奮い立ったこと

意味もなくずるずると投獄され続けることや、党派心を抱く人がいるということそのものは、とても喜べるようなものではありません。しかし、パウロは、今の状況がかえって伝道を推し進めているということを喜びました。

まず、パウロの逮捕によって、クリスチャンたちが恐れて伝道しなくなるどころか、かえって精神的に奮い立ち、積極的に伝道するようになりました。それは喜ばしいことです。

動機がどうでも伝道が進んでいること

また、党派心を持つ人がいるということについても、動機自体は不純であったとしても、とにかく伝道が進んで救われる人が増えています。そのこと自体は喜ばしいことです。

光の部分に目をとめよう

問題のまっただ中にいると、だめなところばかりが目について、ますます落ち込んだり、いらいらしたりしてしまうものです。しかし、パウロにはちゃんと良い部分、積極的な部分、望ましい部分が見えていました。

先日、映画監督の大島渚さんが亡くなりました。晩年は脳内出血で半身不随になり、妻の小山明子さんは介護疲れからうつ病を発症して、自殺しようとしたこともありました。しかし、家族や周りの人たちの支えによってうつ病がいやされると、ご主人への見方ががらっと変わったそうです。今までは、八つ当たりされると悲しくて、切なくてたまりませんでしたが、自分が死の衝動からいやされた後は、「ああ、今日もこの人は生きている。ありがたいことだ」と思えるようになり、介護が苦痛でなくなったとか。

私たちが人見るとき、あるいは置かれている状況を見るとき、マイナス面にばかり目を向けてこなかったでしょうか。少女パレアナのように、どんなひどい状況の中にも、愛である神さまが必ずプラスの要素を忍び込ませておられると信じて、それを意識して探しましょう。

3.生きる目的に合っていた

パウロの目的

そして、パウロが喜んだのは、今のこの状況が、パウロの生きる目的にはぴったり合っているということを発見したからでした。パウロの生きる目的は、「生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです」(20節)。

つらい目になど遭わないに越したことはありません。しかし、たとえつらい目に遭ったとしても、結果的にイエスさまのすばらしさを自分が知り、またそれが他の人にも明らかになって、イエスさまがあがめられたならば、それはパウロの生きる目的に合っているということです。故にパウロは喜びました。

ここが、世の成功哲学が教える積極思考と、パウロの喜びの違うところです。

私たちの目的を見直してみよう

もしも私たちが、自分自身の得や安寧や自己実現のみを目的として生きていたら、問題がやってくるとがっかりするし、腹が立つし、耐えられない思いになります。いくら前向きに考え、プラス要素を見つけようとしても、その努力には限界があります。

私たちクリスチャンの生きる目的は、パウロのように、私たちのこの存在や言動によって、父なる神さま・イエスさま・聖霊さま、すなわち三位一体の神さまの栄光がますます明らかになって、神さまが「すばらしい!」とあがめられることです。

私たちは何のために生きているでしょうか。目的を見直してみましょう。それが、喜びに満ちた人生の秘訣です。

まとめ

クリスチャンは、どんな状況の中にあっても、喜びを失わず、喜びに満ちあふれて生きていくことができます。

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