キリスト・イエスのうちにも見られるもの

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ピリピ人への手紙2章1〜10節

(2013.2.3)

参考資料

6-11節は美しい韻律を持つ文章で、当時のキリスト教会で用いられていたキリスト賛歌を引用したものだと言われています。

6節は、キリストが神であることを示しています。私たちの信じる神さまは三位一体です。「神はその本質的存在においてただ一つであるが、この唯一の存在の中に、父と子と聖霊なる三位格が存在する」(新聖書辞典)。

7-8節は、神であるキリストが人となられたことを示しています。人の姿を真似たとか、人のふりをしたとかいうことではなく、本当に人間になられました。ただし、それは神であることをやめたという意味ではなく、人間としての限界を持つようになったということです(たとえば肉体的な苦しみや疲労を味わったり、食事や水を必要としたり、同時に一つの場所でしか活動できなかったり)。

聖書からのメッセージ

イントロ

1:27-30には、福音の信仰を守る戦いをするために、教会が一致して励まし合い、支え合う必要があることが説かれています。今回の箇所はその続きで、一致のために必要な心構えが教えられています。

1.謙遜のススメ

自己中心を避ける

自己中心とは、何が自分にとって得だろうかということばかり考える態度です。

こういう態度で人に接するということは、他人を自分の幸せのための道具や踏み台として扱うことになります。そんな扱いを受ければ、人は私たちのことを信頼しないし、かえって心が離れていってしまいます。

ですから、パウロは4節で「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい」と勧めています。

虚栄を避ける

虚栄とは、自分が偉く見られることばかり考えるということです。

こういう態度で人に接すると、他人は自分が見下げられたと思うかもしれません。そんな扱いを受ければ、人は私たちのことを信頼しないし、かえって心が離れていってしまいます。

相手が自分よりもすぐれた人であれば、何かをしてもらいたいときは、命令したり嫌みを言ったりはしませんね。丁寧に説明して、お願いをするはずです。

また、相手が自分よりもすぐれた人であれば、望ましいことしてくれたとき、上から目線で「偉いね」などとほめたりはしません。「ありがとうございます」と感謝しますね。

説明とお願い、そして感謝。これを心がけてみましょう。教会の中だけでなく、家庭や職場でも。もちろん、相手が子どもや部下や後輩であっても。

2.キリストの模範

私たちは何様だろう

それでも、謙遜になるということは難しいものです。ついつい相手を見下してしまったり、相手を利用しようとしてしまったりします。そうして、人とぶつかってしまったり、感情的にこじれてしまったりするのです。

そんなときは、イエスさまのことを考えてみようとパウロは勧めます。イエス・キリストは神さまです。どんなに私が自分のことを偉いと思っていたとしても、神さま以上に偉いお方はいらっしゃいません。

私たちは、いったい何様のつもりなのでしょうね。心の中に傲慢が頭をもたげてきたら、そのことを考えてみましょう。

神が人となられた

しかも、その最も偉いお方が、神としての栄光を手放して人となられました。さらに驚くべきことに、神さまに反抗していた敵である人間(私やあなたのことです)を救うために、ひどい苦しみに耐え、最後には十字架にかかって死んでくださいました。この私の罪を赦し、あなたを神さまの子どもにするために、イエスさまはそうしてくださいました。

人に対してカチンと来たり、イライラしたりしたときは、自分自身がイエスさまにどのように扱われてきたのかを思い起こしましょう。

まとめ

イエスさまが示してくださった謙遜こそが、良い人間関係のための基本です。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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