救いの達成に努めなさい

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ピリピ人への手紙2章12〜18節

(2013.2.10)

参考資料

16節の「キリストの日」とは、キリストが再臨なさるときのことです。そのとき、信者が地上でなした善行について、キリストが報いを与えてくださいます。

17節の「注ぎの供え物」とは、元々はユダヤ人がいけにえを捧げるとき、聖別のしるしとして祭壇に注いだぶどう酒などを指します(出エジ29:40など)。ぶどう酒は血の色をしているので、パウロは殉教の死のたとえとして、この言葉を用いています。

聖書からのメッセージ

イントロ

パウロは、「自分の救いの達成に努めなさい」と勧めています。このパウロの言い方は、まるで私たちがまだ救われていないかのようですね。今回は、この点について考えてみましょう。

1.信仰と努力

ペテロの手紙

ペテロの手紙にも、パウロと同様の言い回しがあります。第1ペテロ1:8-9では、「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです」と言われていて、読者がすでに救われていると語っています。

一方、同じ手紙の2:1-2では「ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです」と、まるで読者の救いがまだであるかのように語っています。

いったい、私たちはすでに救われているのでしょうか、それともまだ救われていないのでしょうか。

実は、救いには様々な側面があって、ある祝福はすでに私たちのものになっています。その意味では、私たちはもうすでに救われています。しかし、まだ完全には与えられていない祝福もあって、その意味ではまだ私たちは救われていません。パウロやペテロが2つの言い方をしているのは、そのためです。

義認・聖化・栄化

義認
私たちがイエス・キリストの福音を信じたとき、私たちの罪はすべて赦され、私たちと神さまとの関係が回復し、私たちは神さまの子どもにまでしていただきました。これを「義認」と言います。
栄化
ところが、罪は赦されただけで、神さまに逆らおうとする自己中心的な性質、罪の性質はまだ私たちの中にあります。そして、神さま中心ではなく、自己中心的な行動へと私たちを引っ張っていこうとします。

しかし、私たちには、罪そのものから解放されるという約束が与えられています。イエスさまが再臨なさるとき、死んでいた信者は復活し、生きている信者と共に空中に引き上げられてイエスさまと出会います。そのとき、栄光の体が与えられます。それは、罪の性質そのものが取り除かれた新しい体です。これを「栄化」と言います。
聖化
すなわち、今生きているクリスチャンは、義認と栄化の間を生きているということです。

その間、私たちはただ罪を犯しては赦され、失敗しては赦され……の繰り返しをするだけなのでしょうか。そうではありません。私たちは、少しずつですが、罪の影響力から解放されていくことができます。

この成長のプロセスのことを「聖化」と言います。「自分の救いの達成に努めなさい」とパウロが言うのは、聖化のプロセスを進んで行きなさいということです。

2.聖化

聖霊のわざ

聖化は、私たちの修行や努力によって達成されるのではなく、あくまでも聖霊なる神さまのお働きによって実現します。

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」(第2コリント3:18)

私たちの努力

では、私たちは何もしないでぼーっとしていれば聖められていくのかというと、そういうわけではありません。私たちは、聖霊さまが自由に働いてくださるような環境を整える責任があります。
決意
まず、罪を離れよう、悪を捨て去ろうと決意すること。ペテロも、「すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて」と語っています。
聖書
それから、神さまの喜ばれる生き方を知るために、あるいは神さまが私たちに約束していることを知るために、聖書を読むこと。ペテロは、「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい」と表現しています。赤ちゃんが、必死になっておっぱいに吸い付くように、神さまの語りかけを慕い求めましょう。
祈り
そして、祈りの中で「神さまのためにこれを使用」「神さまのためにこれをしなきゃ」という思いが与えられ、その思いに対して深い平安が与えられるのを待つこと。13節「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです」
実践
聖書や祈りを通して神さまの喜ばれる生き方を知ったなら、実際にやってみること。最初は慣れていないのでうまくいかないかもしれませんが、私たちが罪や失敗の故に神さまに見捨てられることはありません。ですから、あきらめないで再チャレンジし、やり続けること。14節「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい」

そうすると、聖霊さまの助けにより、それが私たちの性質の一部となります。やがては周りの人たちも、「あの人は変わったね」と気づくようになります。パウロが言うように、世の光として輝くようになるのです。

エーコちゃんの新生活

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まとめ

私たちは、神さまが喜ばれるような性質を、少しずつ身につけていくことができるという約束をいただいています。ですから、それを獲得する努力を続けていきましょう。

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