人生というマラソン

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ピリピ人への手紙3章10〜16節

(2013.3.3)

参考資料

12節の新改訳「それを得るようにと」は原文にありません。口語訳「そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである」。

13節の新改訳「励んでいます」、口語訳「努めている」は原文にありません。新共同訳「なすべきことはただ一つ」。

14節の栄冠は、競争に勝利したアスリートに与えられる賞のことです。

聖書からのメッセージ

イントロ

パウロは、クリスチャン生活をオリンピックのマラソン競争にたとえて説明してくれています。

1.ゴール

死者からの復活

10-11節で、パウロは自分が求めているゴールについて語っています。それは、「死者からの復活」に到達することです。

ただ、聖書によれば、死んだ人はどんな人であっても必ず復活します。「義人も悪人も必ず復活する」(使徒24:15)。しかし、信者とそうでない人とは、復活のタイミングが異なります。

死んだクリスチャンは、世の終わりの大患難時代の前に復活します。

「しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります」(第1コリント15:23-24)

刑罰を受けるための復活

そして、終わりが来て、キリストがすべての支配、権威、権力を滅ぼした後、信者でない人々が復活します。それは、生きていたときの行ないに応じてさばかれ、刑罰を受けるためです。

「また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。
海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。
それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。
いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた」(黙示録20:12-15)


もちろん、パウロが求めていた復活は、このような刑罰を受けるための復活ではありません。それは……

栄冠を受けるための復活

パウロは、自分はマラソン選手のように、一生懸命努力しながら生きているといいます。そのゴールは、「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得る」(14節)ということです。

もしあなたがイエス・キリストを罪からの救い主だと信じているなら、神さまはあなたを義と認め、あなたは神さまから切り捨てられることはありません。救いは、私たちの行ないによるのではなく、ただ恵みにより、信仰によって与えられます。

言うなれば、あなたがクリスチャンなら、必ず神の国に入れる、火の池に落とされることはないということです。

ただし、同じように神の国に入れるとしても、人によって様々な祝福が用意されています。これが、パウロの言う栄冠(賞)です。神の国に入れてもらえるだけでも大した祝福なのですが、一人一人にボーナスが用意されていて、それはみんな違うということです。

そして、どのような賞、ボーナスが用意されているかは、私たちが生きている間に行った行ないによります。「人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行いに応じて報いをします」(マタイ16:27)。

だから、よりすばらしい祝福をいただくためにも、パウロは神さまが喜ばれるような生き方を目指して、努力を積み重ねていたわけです。

2.すでに達しているところを基準として

人は不完全

パウロは、人間は不完全であって、完璧ではあり得ないということを知っていました。だからこそ、イエスさまの十字架を信じて赦される必要があるのです。

だからといって、どうせ赦されるんだからと、適当な生き方をするつもりもありません。自分のために命を捨ててくださったイエスさまが喜んでくださることを行ないたいという、情熱に満ちていました。そして、どんなにそれが難しくてもあきらめず、失敗しても投げ出さないで、努力し続けたのでした。

今いるところはどこ?

そのためには、「すでに達しているところを基準として進む」という態度が必要です。人によって成長の度合いが違います。得手不得手も違います。誘惑に引っかかりやすい領域や引っかかりにくい領域も違います。

大切なことは、他の人がどうかではなく、今のこの自分に求められている成長の領域が何だろうかと考えること、そして、具体的にどのような行動を求められているのだろうかと考え、それを実行することです。

聖霊さまによる教育は個別指導です。一人一人、与えられている宿題は違います。あなたに与えられている宿題に手をつけましょう。それが一歩一歩あなたを成長させてくれます。

具体的に考えよう

ポイントは、具体的に考えるということです。

私たちは「愛する」ことはできません。できるのは、一杯のお茶をふるまうことだったり、笑顔で「おはよう」と声をかけることだったり、いくらかのお金を差し上げることだったり、荷物を半分持ってあげることだったりします。

今、あなたがするように神さまが期待しておられるのは何ですか? あるいは、やめるように期待されていることは何ですか?

まとめ

私たちも、自分に与えられている人生のマラソンを、一心に走り抜いて、栄冠を勝ち取りましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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