神のみこころに関する真の知識

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コロサイ人への手紙1章8〜12節

(2013.4.28)

参考資料

コロサイ教会に忍び込んだ異端の教えには、たとえば、
  • モーセの律法を守らなければ救われないという教え
  • 神とは直接交われないので、天使を礼拝することで救われたり祝福されたりするという教え
  • 肉体は悪であるから、極端な禁欲生活を送り、肉体を痛めつけることで魂が救われるという教え
  • 哲学を極めることで得られる特別な知恵を持つことで救われるという教え。
などがありました。

聖書からのメッセージ

イントロ

コロサイ教会には、異端の教えの影響を受ける危険がありました。それに対抗するには、「真の知識」(9節)が必要です。パウロは、この真の知識について祈りの中で語っています。

1.霊的な知恵と理解力により

人間の知恵ではなく

コロサイ教会に影響を与えつつあった異端は、ギリシャ哲学の影響を持っていました。それは、人間の頭の中で作り上げた教えでした。

パウロは、コロサイ教会の人たちが、「あらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように」(9節)と祈っています。

霊的な

霊的なというのは、聖霊さまのお働きによってということです。私たちは、神さまのみこころを正しく理解して受け取ることができるよう、いつも聖霊さまの助けを求めなければなりません。

また、聖霊さまは、私たちが神さまのみこころを知ることができるように、聖書を与えてくださいました。異端は、聖書よりも権威のある新しい経典を作り出します。あるいは、聖書を不自然に解釈して新しい教理を生み出そうとします。私たちは、いつも聖書によって信仰に関する知識を得なければなりません。

2.主にかなった歩み

主を恐れること

パウロは、主にかなった歩みをすることによっても、神さまを知る知識が増し加えられると語っています(10節)。

第1のポイントで、パウロは霊的な知恵と理解力について語っていますが、詩篇111:10には知恵と理解力(明察)についてこのように書かれています。「【主】を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ」

主を恐れるというのは、「いつゲンコツが降ってくるだろうか」とビクビクしながら、神さまの顔色をうかがって生きるということではありません。神さまの素晴らしさに感動し、その権威を認めて従う決心をし、実際に神さまの喜ばれる生き方ができるように、自発的に努力することです。

善行のうちに実を結び

神さまの喜ばれる生き方をしていくと、神さまも自分と共に働いてくださっていることが分かるようになります。そして、実、すなわちすばらしい結果を見ることができるようになります。

それらの結果は、私たちが願ったとおりのものではないかもしれません。しかし、私たちの計画や能力を超えて神さまが働いてくださったとしか思えないような、すばらしい結果です。

すると、私たちはますます、神さまの知恵の深さや力の大きさを、そして神さまが本当に何を願っておられるのかというようなことを知ることになります。

みこころを実行しよう

神さまの存在や、その知恵や力や愛を実感したいなら、神さまのみこころを学び、学んだことを実践してみることです。神さまは今、あなたに何を実践してもらいたいと願っておられるでしょうか。

3.忍耐と寛容により

忍耐

聖書を学び、学んだみこころを実践するには、忍耐や寛容が必要です(11節)。

聖書の内容は膨大で、奥深いので、さっと読んでさっと理解することはできません。また、みこころを実践しようとすると、私たちの外側から妨害が入ったり、内側から強力なブレーキがかかったりします。みこころを実践し続けるのには忍耐力が必要です。

寛容

ただ、クリスチャンは一人で忍耐する必要はありません。互いに励まし合うことができるように、教会に集います。

しかし、クリスチャンが角を突き合わせていては、励まし合うことができませんから、他の人に対する寛容さが必要です。

また、何度も同じ失敗をしてしまう自分自身を赦し、「もう一度チャレンジしてみよう」と励ますのにも、寛容さが必要です。

神からの力によって

ただし、クリスチャンの信仰生活は、難行苦行のようなものではありません。

私たちに求められている忍耐力や寛容さは、私たちが自分の内側から絞り出すだけのものではありません。パウロは、コロサイ教会の人たちが神さまからの力によって強められるようにと祈っています。

私たちも、聖書を学び、みこころを実践するのに必要な力を祈り求めましょう。

4.喜びと感謝により

希望による喜びと感謝

そして、クリスチャン信仰生活は、喜びと感謝に満ちたものです(12節)。それは、神さまは今も私たちを祝福してくださっていますが、やがて天国に行ったときには、考えられないような祝福を用意してくださっていると信じるからです。

故に、私たちは、神さまについてもっと知りたいと願います。神さまにもっと従いたいと願います。たとえこの地上では報われそうになくても、神さまの喜ばれる生き方を選び続けます。

私たちは、自分に与えられている祝福の特権を喜んでいるでしょうか?

まとめ

神さまに関する真の知識を、これからも意識して増し加えましょう。

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