神である救い主

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コロサイ人への手紙1章13〜23節

(2013.5.5)

参考資料



聖書からのメッセージ

イントロ

いよいよパウロは、コロサイにあった異端の問題を取り上げ始めます。まずは、キリストに関する誤解を正します。

1.異端の特徴

霊肉二元論

コロサイ教会に影響を与えつつあったギリシャ哲学は、霊は善であり、物質は悪であるという霊肉二元論を基礎として成り立っていました。神は霊ですから、絶対の善です。

この立場に立つ人々は、絶対善である神が、悪である物質を造ったとはとうてい考えられませんでした。そこで、彼らは、神はまず「造物主」(デーミウルゴス)を創造し、この造物主が人間を含む世界を創造したと考えました。この不完全な造物主が、キリストと同一視されたのです。

福音信仰以外の条件

聖書によれば、私たち人間を救う救い主は、全地を造られた神以外にいらっしゃいません。たとえば、イザヤ書45:21-22にはこのように書かれています。

「わたしのほかに神はいない。正義の神、救い主、わたしをおいてほかにはいない。地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない」

キリストが完全な救い主であるためには、キリストは神でなければなりません。

ところが、異端はキリストが神であることを否定します。これが異端かどうかを見分けるポイントの一つです。コロサイ教会に忍び込んでいたギリシャ哲学的な異端でも、キリストは中途半端な造物主扱いでした。

もしキリストが神ではなく、不完全な存在であれば、キリストが十字架の死によって成し遂げられた救いのみわざも、不完全ということになります。

そこで異端は、福音を信じるだけでは不完全で、救われるためには、これこれのことをしなければならないと教えます。特にカルトは、教祖こそ真のキリストだと説いたり、組織への絶対服従を救いの条件にしたりして、信徒を支配しようとします。

コロサイ教会の異端

コロサイ教会に忍び込んだ異端の教えには、たとえば、
  • モーセの律法を守らなければ救われないという教え
  • 神とは直接交われないので、天使を礼拝することで救われたり祝福されたりするという教え
  • 肉体は悪であるから、極端な禁欲生活を送り、肉体を痛めつけることで魂が救われるという教え
  • 哲学を極めることで得られる特別な知恵を持つことで救われるという教え。
などがありました。いずれも、キリストの十字架と復活を信じるだけでは不十分だという思想から出ています。

2.キリストは神であり、完全な救い主である

キリストは神である

15節から19節にかけて、パウロはキリストが神であり、すべてに優っておられる方だということを主張しています。

15節の「見えない神のかたち」とは、目に見えないはずの神が、人となって見える姿を取って来られたのがキリストだということです。「先に生まれた」というのは、創造されたということではありません。すべてのものに先だって存在しておられたという意味です。

16節で、キリストが創造主であることが示されます。目に見えるものだけでなく目に見えないものも、キリストによって、キリストのために造られました。特に、「王座、主権、支配、権威」というのは、当時のユダヤ人が考えていた天使たちの階級のことです(エペソ1:21、6:12参照)。コロサイ教会には、天使礼拝を行なう人がいたので(2:18)、キリストが天使以上のお方であって、この方をこそ礼拝しなければならないということを示しているわけです。

17節は、キリストが万物を支えているということを示しています。

18節は、キリストと教会の関係を示しています。教会はキリストの体であって、キリストが教会のかしらです(第1コリント12:27)。そして、キリストは最初に栄光の体に復活なさったお方です。我々クリスチャンは、キリストにつながっていることにより、キリストと同じように復活するのだという希望をいただいています。キリスト以外の救い主を求めることは、このキリストと教会の特別の関係を否定することになります。

19節は、キリストは人間として来られたけれど、神の本質は少しも失われなかったということを示しています。すなわち、キリストは完全な人であると同時に、完全な神です。

完全な救い主

キリストが完全な神であられるので、私たちを完全に救うことがおできになります。十字架と復活を信じること以外に、何も救いの条件を付け加える必要はありません。イエス・キリストだけが救い主です。

キリストによる救いは、すばらしい結果を引き起こしました。20節から22節にそのことが書かれています。

まず、敵であった私たちが神さまと和解したということ。

次に、「聖く、傷なく、非難されるところのない者」に変えられていくという希望が与えられたということ。

そして、人間だけでなく、地にあるものも天にあるものも、すべての被造物が回復されるということ。

福音にとどまるよう

パウロは、この項目のまとめとして、「ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません」(23節)と勧めています。

私たちクリスチャン生活の土台は、福音、すなわち「イエス・キリストは私たちの罪を赦すために十字架にかかり、死んで葬られ、復活してくださった」ということを信じる信仰です(第1コリント15:1-8)。

それ以外の救いの条件を持ち込んではいけません。

3.救われたから従う

キリストはすべての支配者

パウロは、キリストは神であり、故に私たちを完全に救うことができる救い主であるということを確認しました。私たちが救われるのに必要なのは、救い主であるイエスさまが、私たちを救うために十字架にかかって死に、3日目に復活なさったということを信じることだけです。

キリストが神であるということを受け入れて救われた私たちが、次にしなければならないことは、キリストに従うことです。

イエスさまは神ですから、すべての支配者です。ですから、当然私たちもイエスさまに従わなければなりません。

支配者の変更

13節で、パウロはこう語っています。「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました」

これまで私たちは、自分の欲望、罪の性質、そして悪魔に従って生きてきました。私たちには自由がなくて、どんなに聖く正しく生きようとしても、罪は私たちを支配して離しませんでした。

しかし、私たちには新しい主人が与えられました。日々、人生をささげる決心をしましょう。イエスさまの自由に使ってくださいと申し上げましょう。

すると、イエスさまは、私たちを本当の自由へと導いてくださいます。そして、罪の行ないからも、少しずつ解放してくださいます。

あなたはそれを信じますか?

信仰の大人目指して

自分の祝福のことばかり考えるのは、信仰の幼子です。私たちは、イエスさまに人生のすべてをささげ、神さまの栄光を現すことをもっぱら求める信仰の大人に成長していきましょう。

ただし、間違えないでください。人生をささげて、イエスさまに完全に従うようになったから救われるのではありません。まず無条件に救っていただいたから、感謝と感動の思いを持って、イエスさまに従う決心をするのです。

まとめ

イエスさまは完全な人ですが、同時に完全な神でいらっしゃいます。そこで、私たちを完全に救うことがおできになります。

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