キリストの苦しみの欠けたところ

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コロサイ人への手紙1章24節〜2章5節

(2013.5.12)

参考資料

新約聖書が言う「奥義」(新共同訳「秘められた計画」)とは、旧約聖書の預言の中では明らかに語られていなかったけれど、新約時代になって神さまが明らかにしてくださった真理のことです(1:26、エペソ3:5)。奥義の例としては、
  • ユダヤ人が福音に対してかたくななのは、救われる異邦人の数が満ちるときまでだということ。
  • 異邦人も、キリストを信じることでユダヤ人と共同の相続人となり、共にキリストの体である教会につながるということ。
  • 復活の時、栄光の体が与えられるということ。
  • 結婚は、キリストと教会の関係を象徴しているということ。
などです。コロサイ1:27は、キリストが私たちの内に住んでくださっていることが奥義として語られています。

聖書からのメッセージ

イントロ

パウロは、自分が教会のために、特に福音宣教の働きのために喜んで苦しみを味わっていると語っています。前回学んだように、パウロは異端に対する警告を語ろうとしていましたが、どうしてここでその話題に触れたのでしょう。

1.キリストの苦しみの欠けたところ

何でないか

パウロは、自分が教会のために味わっている苦しみを、「キリストの苦しみの欠けたところを満たしている」と表現しています。

ただしこれは、キリストの十字架の苦しみが不十分であって、救いが完成されていないから、人間であるパウロたちが救いを補うために何かをしなければならない、という意味ではありません。

イエスさまは、十字架の上で「完了した」と宣言なさいました(ヨハネ19:30)。私たちの救いは、十字架の死によって完成しています。

イエスさまが私たちの罪を赦すために十字架にかかり、死んで葬られ、3日目に復活なさったということを信じるだけで、私たちは救われます(第1コリント15:1-8)。それ以上の条件を付け加える必要はありませんし、してはなりません。

何であるか

十字架による救いはイエス・キリストのなさったことです。しかし、イエスさまは、十字架による救いをこの世の人々に伝える使命、すなわち福音を宣べ伝える働きは、教会に属する私たちクリスチャンにゆだね、天に戻られました。

そして、福音を伝える働きには、しばしば苦しみが伴います。これが、「キリストの苦しみの欠けたところを満たしている」という意味です。

要するに、たとえ苦しいことがあったとしても、自分は福音を宣べ伝えるという働きを喜んで行なっていると、パウロは語っているわけです。

福音を宣べ伝える際の苦しみ

一口に福音を伝えるといっても、その方法は様々あります。最も初歩的な伝道は、自分がクリスチャンだということを表明することです。しかし、それでさえも、何かの苦しみを味わう危険があります。

キリスト教がはやらないのは、自分の願いを叶えてもらうだけの単なる御利益信仰ではなく、私たちの全人生を捧げて神さまに従うことを求められるからです。自分の思い通りに生きていきたいと考える人々は、キリストに真剣に従おうとするクリスチャンを馬鹿にするかもしれません。

あるいは、日本の伝統的な習俗に合わない生き方をする場合があるため、「日本人のくせに」と非難されるかもしれません。

場合によっては、肉体的な痛みを負わされたり、国によっては殺されたりすることもあります。

2.福音にはそれだけの価値がある

苦闘しているのを知って欲しい

パウロは、自分が福音を宣べ伝える際に多くの苦しみを味わっていることを、ぜひコロサイ教会やラオデキヤ教会の人たちに知って欲しいと願っています(2:1)。

これは、自分の苦しみを知ってもらい、祈ってもらうことで、パウロ自身が慰めを得たいという思いよりは、コロサイ教会や、ラオデキヤなど周辺の諸教会に属するクリスチャンたちの励ましや成長のためでした(2:1-2)。

苦しんで伝えるだけの価値

パウロが自分の苦闘について知ることが、教会の人々の励ましや成長につながると考えたのはなぜでしょうか。

異端は、福音、すなわち十字架と復活を信じるだけで救われるという良い知らせを軽く考えています。福音を信じるだけでは救いの条件としては不十分だから、人間の側が行ないによって補わなければならないと教えるのです。それだけに、分かりやすく、人間の感覚にぴったりと合います。

それに対してパウロは、福音は、たとえ苦しんだとしても、場合によっては命をかけることになったとしても、それでも世の人々に伝えるだけの価値あるものだということを示しています。それを知るならば、コロサイ教会の人々は、福音を信じた自分たちに与えられている祝福や特権のすばらしさを知り、励ましを受け、成長していくとパウロは語っているわけです。

福音のすばらしさを知り、宣べ伝えよう

私たちは、パウロのように、福音の価値、救われていることのすばらしさ、イエスさまを内にいただいていることのものすごさを体験しているでしょうか。

私たちは、救われていることの喜びをもっともっと教えてくださいと祈りましょう。

それによって、たとえ苦しんだとしても、自分なりの方法で救いの福音を人々に伝えていくことができるように祈りましょう。そして、実践しましょう。

一人一人、福音を伝えようとするときに味わう苦しみは違います。しかし、それぞれに神さまからの助けがありますように。

まとめ

福音には、命をかけて宣べ伝えるだけの価値があります。

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