次に来るものの影

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コロサイ人への手紙2章6〜23節

(2013.5.26)

参考資料

既に学んだように、コロサイ教会に入り込み始めていた異端の教えは、ギリシャ哲学の影響を受けていました。そして、哲学的な知恵を極めたり、モーセの律法を守ったり、厳しい禁欲生活を送ったり、天使を礼拝したりと、福音を信じること以外のものを救いの条件にしていました。

聖書からのメッセージ

イントロ

コロサイ教会に忍び込もうとしていた異端については、すでに学びました

天使礼拝をしなければならないとか、特別な哲学的な悟りを開くことによって救われるとか、様々な難行苦行を行なうことによって霊的に解放されるというような教えは、聖書に書かれていません。ですから、異端であると理解しやすいことでしょう。

では、旧約聖書に書かれているモーセの律法についてはどうでしょうか。今の時代の私たちは、これを守らなければならないのでしょうか。もし守らなくていいのだとすれば、モーセの律法についてどのようにとらえたらいいのでしょうか。

1.モーセの律法

歴史的背景

モーセの律法は、イスラエルの民がエジプトを脱出して、約束の地カナンに戻る途中で神さまから与えられました(出エジプト20章〜申命記28:68)。

律法の内容

モーセの律法には、「〜しなさい」という命令が248個、「〜してはならない」という禁止令が365個、合計613の規定があると言われています。具体的に内容を知りたい方は、Wikipediaの「613のミツワー」のページにリストが掲載されているので、ご覧ください。

内容は、ユダヤ人がどのように個人生活や社会生活を送ればいいか、どのように神さまを礼拝したらいいか、トラブルが起こったときにはどのように対処するかなどを定めています。ユダヤ人が守るべき、道徳律、宗教儀式、民法、刑法、商法などがモーセの律法です。

なお、学者によっては律法を、道徳律法、司法律法、.儀式律法に分けますが、聖書もユダヤの伝統もそのような区分をしていません。律法は律法です。

アブラハム契約と律法

時々誤解されることがありますが、今も昔も、ユダヤ人にとってモーセの律法は救いの条件ではありません。

神さまは、全世界を救うために、アブラハムという人物を選び、彼と契約を結ばれました。その契約には様々な約束が含まれていますが、主要な約束は3つです。
  1. 「あなたにはたくさんの子孫が与えられる」という子孫の約束
  2. 「あなたとあなたの子孫にカナンの地を与える」という土地の約束
  3. 「あなたとあなたの子孫は大いに祝福され、またあなたとあなたの子孫を通して他の人々も祝福される」という祝福の約束
アブラハムは、神さまが約束を示されたとき、それを信じました。その時のことを聖書はこう記しています。「彼は【主】を信じた。主はそれを彼の義と認められた」(創世記15:6)。義と認められたというのは、きよい神さまに神さまに受け入れられたということで、別の言い方をすると救われたということです。

アブラハムには最終的に8人の息子が生まれましたが、契約を受け継いで更新したのはイサクでした(創世記17:19、26:2-5)。またイサクには2人の息子が生まれましたが、契約を受け継いだのはヤコブです(創世記35:9-12)。

そして、ヤコブには12人の息子が生まれましたが、神さまはその中の一人だけ選んで契約を受け継がせることはなさいませんでした。この12人全員が、アブラハム・イサク・ヤコブに約束なさった契約上の「子孫」と見なされたのです。この12人から出る子孫たちがイスラエル人、すなわちユダヤ人です。

旧約時代のユダヤ人が救いを受ける条件は、アブラハムが救われたのと同じで、律法を守ることではなく信仰でした。何を信じるのかと言えば、神さまがアブラハム・イサク・ヤコブになさった子孫・土地・祝福の約束です。

すでに救われた者の生きる指針

モーセの時代、ユダヤ人はエジプトで奴隷状態にあり、苦しんでいました。神さまは彼らの祈りに答え、エジプトを脱出させてカナンに地に連れて行くと約束されました。これは、アブラハム契約に基づく行為です。「神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた」(出エジプト2:24)

そして、エジプトから脱出したユダヤ人に与えられたのがモーセの律法です。今まさに律法の内容が語られようとする直前、神さまはこう宣言なさいました。「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、【主】である」(出エジプト20:2)

すなわち、律法は、これを守れば救われるという救いの基準ではなく、すでに救われて神さまの祝福の中に生きているユダヤ人が、救ってくださった神さまの恵みに応答して、どのように生きていったらいいかを示すために与えられたものです。

ちなみに、旧約聖書の時代、ユダヤ人以外の異邦人が救われるのも、やはり信仰によってでした。イスラエルの神こそ本当の神さまであり、人間の行ないによってではなく、神さまの恵みによって救っていただくのだということを信じる信仰です。

ただし、異邦人が聖書の神さまとの関係を回復して、霊的な祝福をいただくためには、ユダヤ人と同じように割礼を受け、モーセの律法に従って生活することを誓う必要がありました。すなわち、ユダヤ人のようにならないと、異邦人は神さまと交わることができなかったのです。

2.現代の我々と律法

律法の目的

モーセの律法にはいくつかの目的、あるいは役割が与えられていました。最も大切な役割は、人を救い主であるキリストに導くということです。

律法のたった一つの命令に違反するだけで、律法全体に違反したと見なされます。「律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。」(ヤコブ2:10)。しかも、ただ表面的な行動だけでなく、心の中まで問題にされます(マタイ5:21-28)。

ですから、律法を完全に行なうことは不可能です。律法を守ろうとすればするほど、人は行ないによっては救われないのだということを実感させられます。人間に残されている希望は、神さまが一方的に人間をあわれみ、恵み、愛し、赦してくださることです。

そして、まさに神さまは恵みの神、赦しの神です。父なる神さまは、救い主であるキリスト(メシヤ)を、人類の罪を赦すために地上に遣わされます。そういうお方としてキリストを待ち望み、実際に来られたときには歓迎して信頼するようになるために、神さまはモーセの律法をお与えになりました。

このことについて聖書は、「こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです」(ガラテヤ3:24)と表現しています。

モーセの律法は終わった

そして、イエス・キリストが十字架にかかって死んだとき、私たちの罪の赦しが完成しました。そのとき、モーセの律法の、キリストに導く養育係としての役割は終わりました。信じるべき対象が、実際に現れたからです。「キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです」(ローマ10:4)

もはや私たちは、ユダヤ人であっても異邦人であっても、モーセの律法に従って生きる必要はありません。そこで、今回の箇所でパウロは、このように語っています。

「あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました」(13-14節)

「こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです」(16-17節)

今私たちが、偶像礼拝をせず、親を大切にし、殺さず、盗まず、姦淫せず、偽証しないのは、モーセの律法を守るためではなく、代わりに与えられた新しい指針である使徒たちの教え(いわゆるキリストの律法。新約聖書に書かれています)に従っているためです。

江戸時代に殺人は罪でした。明治維新で法体系ががらっと変わりましたが、明治の法体系の中でも殺人は罪です。ですから、明治以降の日本人も殺人を犯さないように努め、犯すと罰を受けました。それは、江戸時代の法律を守っているからではなく、たまたま江戸時代の定めと、明治時代にできた定めの内容が似ていたということです。モーセの律法と、今の私たちの生き方の関係も、それと似ています。

勝手な律法

聖書になじみの薄い日本では、私たちはあまりモーセの律法を守らなければなどと意識していないかもしれません。

ただ、自分で勝手に律法を作り上げて、こうでなければ救われない、こうでなければ神さまに愛されないと思い込んで、自分の生き方を不自由にしてはいないでしょうか。

私たちはすでに救われています。神さまに愛され、祝福されています。だから、神さまに喜ばれる生き方をするわけですが、その指針は新約聖書の使徒たちの教えの中にあります。勝手に律法を作り上げないようにしましょう。

まとめ

救いは「福音のみ」「信仰のみ」「恵みのみ」「キリストのみ」。そこから外れないようにしましょう。これからも喜びと感謝にあふれて、神さまに仕え、世の人々に愛の奉仕をすることができますように。

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