上にあるものを求めなさい

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コロサイ人への手紙3章1〜6節

(2013.6.2)

参考資料



聖書からのメッセージ

イントロ

黙示録3:1-6に、サルデスという町の教会に対して語られた、イエスさまのメッセージが紹介されています。サルデスという名前には、正しいという意味があります。彼らは教理的な正しさを保ち、異端の教えから守られていました。

しかし、サルデス教会の人たちは、正しい聖書の教えを実生活の中で生かしていませんでした。ですから、イエスさまは彼らに向かって、「あなたがたは生きているとされているが、実は死んでいる」と宣言なさっています。そして、悔い改めて、教えを実践するように迫っておられます。

パウロも、この手紙を通して、コロサイ教会に忍び込んでいた異端の教えについて警告し、彼らを正しい教えに引き戻しました。そして、それだけにとどまらず、今回の箇所から、正しい教えを実際の生活の中に生かすように勧め始めます。今回の箇所は、その最初の部分であって、クリスチャン生活の根本原理について語っています。

1.上にあるものを求めなさい(1-2節)

上にあるもの

パウロは、イエス・キリストを信じて救われた私たちが、この地上でどのように生きていくかという心構えを、次の一言で表現しました。それは、1節の「上にあるものを求めなさい」です。2節の「地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい」も同じ意味です。

イエス・キリストを意識しよう

「上にあるもの」「天にあるもの」とは何でしょう。天では、イエス・キリストが父なる神さまの右の座に座っておられます(1節)。ですから、上にあるものを求め、天にあるものを思うとは、第一に「いつもイエスさまのことを意識しながら生きていこう」ということです。

イエスさまは、あなたを救い、あなたを神さまの子どもにして、大いに祝福される者に変えるために、十字架にかかり、考えられないような苦しみに耐えてくださいました。それだけ、あなたのことを思い、愛しておられるのです。

そのイエスさまのことを意識するとき、私たちは積極的に神さまに逆らうような思いからは解放されます。むしろ、神さまのみこころをもっと知り、それを行ないたいという思いになります。

そして、いつもイエスさまのことを意識していると、その思いは無意識にも影響を与え、無意識の行動もきよいもの、神さまのみこころかなうものになっていくことでしょう。

2.永遠に価値あるものを求めなさい(3-4節)

永遠の世界に生きる者

地上のものではなく、天にあるものを求めなさいと勧めた後、パウロは、古い私たちは既に死んでいて、新しいいのちに復活し、やがて肉体も栄光のからだに造り変えられて永遠に生きるのだということを読者に思い起こさせます(3-4節)。

1節にも「もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら」と述べられています。

朽ちるものではなく朽ちないものに目をとめよう

この世のものは、どんなに価値あるもののように見えても、やがては朽ち果ててしまいます。しかし、「上にあるもの」「天にあるもの」は、永遠に続きます。

神さまは、私たちが地上で行なったことを全部見ていてくださいます。たとえ誰にも認められず、ほめられなかったとしても、それが神さまのみこころにかなう行ないであるならば、必ず天国で報いがあります。

ですから、永遠の世界に一歩を踏み出した私たちクリスチャンは、地上のものではなく、天にあるもののことを考え、それを求めなければならないとパウロは勧めるのです。

それは永遠に続くものか

今、あなたは何を求めておられますか? それは、永遠の世界で価値のあることですか? それとも、刹那的な快楽を与えるだけのものですか?

3.地上のからだの諸部分を殺してしまいなさい(5-6節)

上にあるものの対比

パウロは、上にあるものを求めるようにと勧め、さらに「地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい」(5節)と勧めています。

地上のからだの諸部分を殺すとは、私たちの肉体そのものを痛めつけろとか、自殺しろとかいうことではありません。既に学んだように、体を痛めつけることで魂が解放されるという禁欲主義は異端の教えです。

地上のからだの諸部分というのは、「上にあるもの」「天にあるもの」に対比された表現です。

むさぼり

パウロは、地上のからだの諸部分として、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを挙げています。これらのものから悪い行ない、罪深い行動が生まれます。

特にパウロは、むさぼりイコール偶像礼拝だと述べています。むさぼりとは、本来自分に権利のないものを欲しがることです。
  • サタンは、本来自分のものではない神の御座を求めて堕落しました。
  • アダムは、本来自分のものではない「神のようになれるという善悪の知識の木の実」を求めて罪を犯しました。
  • ダビデは、本来はウリヤの妻であったバテ・シェバを求めた結果、姦淫と殺人の罪を犯しました。
  • ユダは、自分のものではないお金に目がくらんで、イエスさまをユダヤの指導者たちに売り渡しました。
なぜ、本来自分のものではないものにまで手を伸ばそうとするのでしょう。それがあれば幸せになれると、どこかで思っているからです。

もちろん、向上心や食べ物や愛情やお金それ自体は悪いものではありません。しかし、神さま以上に信頼し、それがあれば神さまなしでも幸せでいられると思うようになれば、それは偶像礼拝です。

自分の中に生じるむさぼりの心を捨て去ることが、罪から離れるのに必要です。

どうやってむさぼりを殺すのか

パウロは、ローマ7:7-8でこんなことを語っています。「律法が、『むさぼってはならない』と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。しかし、罪はこの戒めによって機会を捕らえ、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました」

人間のうちにある罪の性質は、神さまが「これをしないで欲しい」とおっしゃると、ますますそれをしたくなるし、「これをして欲しい」とおっしゃれば、ますますそれをしたくなくなる、ということです。

私たち一人の力では、内側に生じるむさぼりの心を殺すことはできません。

さて、今回の箇所で、パウロは「むさぼりイコール偶像礼拝だ」と語っています。偶像礼拝の罪を悔い改めるということは、聖書の神さまこそ真の神さまであるということを認めることです。

結局のところ、上にあるもの、天にあるものを求めること、すなわち、いつもイエスさまのことを意識し、永遠に価値あることを求め続けることが、罪から私たちを引き離すのです。

まとめ

いつもイエスさまのことを意識し、また永遠に価値あることを求め続けましょう。

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