すべて主イエスの名によってなし

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コロサイ人への手紙3章16節〜4章1節

(2013.6.16)

参考資料

3:21は、しつけてはいけないという意味ではありません。情け容赦のなさ、荒々しさ、不公平、一貫性のなさ、理不尽な権威の行使、言行不一致、子どもに教えていることと自分がやっていることの矛盾、過干渉、からかい、馬鹿にすること、人格否定などによって、子どもの否定的な感情を育ててはいけないことを示しています(エペソ6:4「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい」)。

聖書からのメッセージ

イントロ

前回は、人間関係の中で生じる怒りや不満への対処法について学びました。今回のテーマも、私たちクリスチャンの人間関係の持ち方です。人とのつきあい方に関する、基本的な心構えは何でしょうか。

1.すべて主イエスの名によってなし

大原則

17節で、「あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい」と勧められています。これが人間関係においても大原則となります。

「主イエスの名によってなす」とは、自分はイエス・キリストの代理人だという意識で行動するということです。代理人ですから、その言葉や行動によって、イエス・キリストの栄光、名誉が輝くか、地に落ちるかが決まります。それを意識しながら語り、行動するということです。

また、代理人である以上、本人の意図に反するようなことをするわけにはいきません。イエスさまが私に何を語り、どのように行動して欲しいと思っておられるのか、それを意識しながら語り、行動することが、主イエスの名によってなすということです。

イエス・キリストの名を帯びて

「私はイエス・キリストを信じています」とでかでかと書かれたシャツを着て一日を過ごすことを想像してみてください。あなたはどんなふうに家族や友だち、職場の人たち、地域の人たちと語り、どんなふうに行動しますか?

イクスースと呼ばれる魚の形のシンボルがあります。


ギリシャ語で「イエス・キリストは神の子、救い主です」(イエスース・クリストス・セウー・ヒュイオス・ソーテール)の各単語の頭文字をくっつけると、イクスース、すなわち魚という単語なります。そこで、魚は昔からクリスチャンを表すシンボルとして用いられました。このシールを車につけたところ、安全運転をするようになったという人がいます。

具体的な人間関係

18節以降、パウロは具体的な人間関係について勧めをしています。妻として夫にどう接するか、夫として妻にどう接するか、子が親に、親が子に、働く人が雇用主に、雇用主が働いてくれている人たちにどう接するかです。

鍵は、主に対してするようにしなさい、あるいは主がしておられることを見習って行ないなさいということです。

わざわざ「私はイエス・キリストを信じています」と書かれたシャツを着る必要はありませんが、いつもイエスさまを意識し、イエスさまが喜ばれること、イエスさまのすばらしさが輝くようなことを語り、行なうよう意識しましょう。それが、対人関係も良いものにします。

さて、次のポイントでは、私たちがイエス・キリストの名によって語り、行動できるようになるために必要なことを見ていきましょう。

2.キリストのことば

キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ

16節では、「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ」と書かれています。イエスさまを意識し、イエスさまが私に何を望んでおられるかを知るためには、聖書に書かれていることをしっかりと学ぶ必要がありますね。

知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め

そして、私たちは互いに教え合い、戒め合うことが勧められています。

私たちクリスチャンは、一人で信仰生活を送るのではなく、教会に属し、定期的に集まることが求められています(ヘブル10:24-25など)。それは、一人で信仰を保つのは非常に難しいからです。聖書の学びに関しても、一人では勝手な解釈に陥ってしまうかもしれません。そして、ただ学びっぱなしではなく、それを実践するためにも、クリスチャン同士が互いに励まし合い、注意し合い、祈り合う必要があります。

詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい

それから勧められているのは、神さまへの賛美、礼拝です。17節にも「主によって父なる神に感謝しなさい」と書かれています。

「詩と賛美と霊の歌」がそれぞれ何を意味するのかは、注解書によって微妙に異なりますが、「詩」というのが旧約聖書の詩篇を指すというのはほぼ一致しています(ユダヤの会堂では、礼拝の時にメロディー付きの詩篇が歌われました)。「賛美」は教会時代に入ってから新しく作られた賛美歌、「霊の歌」は即興的にその場で歌われた賛美歌だろうと説明する人もいます。

いずれにしても、神さまのすばらしさをほめたたえたり、自分の信仰を告白したり、神さまの祝福を祈り求めたりするような、神さまへの礼拝の歌です。

私たちが人間関係においても、そのほかの領域においても、いつもイエスさまを意識し、イエスさまのみこころを実行したいと願い、イエスさまの栄光が輝くようなことを語り、行動しようとするのはなぜでしょう。そうしないと罰を受けるから、恐ろしくて、でしょうか。そうではありません。

神さまがまず私たちを愛し、罪を赦して関係を回復し、祝福したいと願ってくださいました。てくださいました。そして、ただ願っただけでなく、御子イエス・キリストをこの地上に送り、私たちの罪の赦しをもたらす犠牲としてくださいました。さらに聖霊を私たちのうちに住まわせ、日々慰め、強め、イエスさまに似たものへと造り変えてくださっています。

そのことに対する感動、感謝故に、私たちはイエスさまに従いたいと願い、実践しようとします。

礼拝は、私たちが神さまにいかに愛されているかを思い起こし、私たちを愛してくださっているお方が、いかにすばらしいお方なのかということをますます知るための機会です。礼拝を通して、ますます感動・感謝し、神さまに従っていきたいという思いを強めていきましょう。

それによって、人間関係が豊かなものになっていきます。

まとめ

イエスさまの名によって人に向かって語り、イエスさまの名によって人に接していきましょう。そして、それを可能にするために、個人の聖書の学びや祈り、そして公の礼拝を大切にしましょう。

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