王であるメシヤ

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詩篇2篇1〜12節

(2013.7.7)

参考資料

2節の「主に油を注がれた者」は、ヘブル語でマーシアハ、すなわちメシヤ(ギリシャ語でクリストス、すなわちキリスト)。ユダヤでは、特に王・祭司・預言者を任命する時に油を注ぎました。後に、メシヤという称号は神から遣わされる人類の救い主を指すようになります。

3節は神の敵、6節は神、7節の前半はメシヤ、7節後半から9節(二重括弧の中)は神さまのセリフです。

6節のシオンは、エルサレムの町が建てられた丘の名前です。転じてエルサレムを指す言葉となりました。

この詩篇そのものには作者が明記されていませんが、使徒4:25によるとダビデの作です。

聖書からのメッセージ

イントロ

この詩篇は、救い主(キリスト、メシヤ)について語っています。

1.構造

この詩篇は、3節ずつ4つの内容に分かれています。

神に逆らう人間の姿(1-3節)

この区分には、地上の人々が、世界をお作りになったまことの神ヤハウェと、神さまに「油を注がれた者」とに逆らう姿が描かれています。

参考資料に書かれているとおり、「油注がれた者」とはメシヤ、キリスト、救い主のことです。後に、聖霊によって処女マリヤの胎内に宿り、人間として地上に生まれてくださり、イエスと名付けられます。

3節の言葉は神の敵たちの言葉ですが、要するに、「神から自由になり、自分勝手に生きていこう。自分たちには、従うべき神などいらない」ということです。これこそが罪の本質です。

人類の歴史は、アダムとエバの時代から今に至るまで罪の歴史であり、神さまを否定し、神さまを出し抜き、神さまに逆らう歴史でした。メシヤであるイエスさまが来られても、人類はこの方を王として迎え、従おうとはしませんでした。あげくに、この方を十字架にかけてしまったのです。

神の対応(4-6節)

ご自分に逆らって、自分勝手に生きていこうとする人類に対して、神さまは2つのことをなさっています。

1つは笑っておられます。全宇宙を造り、これを支えておられる方に対して、ちっぽけな惑星の上の、小さな生物である人間が逆らおうというのは、愚かしいことです。

そして、もう1つは怒っておられます。罪は神さまを否定することですから、神さまはそれを容認することができません。罪はさばかれなければなりません。そこで、神さまは「わたしの王」をエルサレムに立てると宣言なさいます。「わたしの王」とは、神さまが遣わす王、神さまの働きをする王という意味です。

これも参考資料に書きましたが、イスラエルでは、特に王、祭司、預言者として任命される際に油を注がれました。救い主であるメシヤは、王であり、祭司であり、預言者です。
預言者としてのメシヤ
イエスさまが地上に生きておられた時、預言者として活動なさいました。イスラエルの民に対して、罪を悔い改めて神さまに赦しを求め、その教えを守るように、またご自分が約束のメシヤであることを信じるようにと諭されました。
大祭司としてのメシヤ
十字架にかかって復活し、天に昇られてからは、イエスさまは大祭司として活動しておられます。ご自分の流された血を天の祭壇に注いで、私たちの罪が赦されるように、そして神さまの祝福が豊かに与えられるように、神さまに取りなしてくださっています。
王としてのメシヤ
そして聖書は、イエスさまがもう一度地上に帰ってこられることを預言しています。いわゆる再臨です。この時イエスさまは王として来られます。王として来られたイエスさまは何をなさるのでしょうか。それが次の区分で語られます。

王であるメシヤの宣言(7-9節)

7節で、メシヤはご自分に与えられている権威が、神さまから来ていることを宣言しておられます。

その権威とは、地上を支配する力です(8節)。王の仕事の一つは、国を正しく治めて、民を幸せに導くことです。メシヤは王として、地上を完全に、そして完璧に治められます。旧約聖書のあちこちに預言されている神の国、新約聖書が世の終わりに実現すると預言している千年王国、また新しい天と新しい地です。

そこは喜びの国であり、平安の国です。災害もなく、悲しみも苦しみも過ぎ去ります。自然と調和し、働くことが楽しく、努力がすべて報われる世界です。そして、人と人とが争うこともありません。

そして、王のもう一つの仕事は、国と民を守るため、敵と戦い、これを打ち破ることです。6節の、王としてのメシヤ到来の宣言は、神さまの怒りの中で語られたことだということに注目してください。

王である再臨のイエスさまは、信じる者たちにとっては頼もしく、ありがたい存在ですが、敵対する者たちにとっては滅びを招く恐ろしい存在です。「あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする」(9節)。

神に逆らう者への勧め(10-12節)

そこで、10-12節では、神さまとメシヤに逆らう人たちに対して、神さまを信じ、メシヤに従うようにと勧められます。

2.恵みの中でさばきを語る

神は愛に満ちておられる

聖書がなぜ恐ろしいさばきについて語るのか。それは、救いの道が用意されているからです。神さまは恐ろしい方ですが、同時にあわれみ深く、忍耐強く、愛に満ちあふれたお方です。

神のジレンマ

神さまは正義ですから、罪を「そんなの別にどうでもいいよ」と放置するわけにはいきません。罪は必ずさばかれなければなりません。

しかし、どういうわけか神さまは人間を深く愛しておられます。罪をさばいて滅ぼしたくないのです。

ですから、人間が罪を犯さず、神さまのみこころに従って生きられれば問題ないのですが、これも不可能です。人間は不完全ですから、自分の力では聖い存在になることができません。それは、あなたも私もよくよく身にしみて分かっていますね?

たとえ今から完璧に神さまのみこころ通りに生きられたとしても、過去の過ちはもうどうすることもできません。私が殺人を犯したとして、その後、多少善行を積んだからといって、刑罰を免れることがないのと同じです。さばきなど受けたくはありませんが、このままではどうしようもありません。

人間的な言い方をすれば、神さまは正義と愛のジレンマに陥ってしまいました。さあ、困った。

メシヤの身代わり

メシヤであるイエスさまは、神さまの正義と愛のジレンマを解消させるために、ご自分が私たちの身代わりとなって罰を引き受けてくださいました。今も、復活して天に昇り、私たちのために取りなしをしてくださっています。

そして、イエスさまのおかげで罪が赦されたと信じるとき、神さまの赦しは私たちのものになります。そればかりか、この地上で神さまに導かれながら生きることができ、世の終わりの時にも恐ろしいさばきから逃れることができ、メシヤであるイエスさまが治めてくださる王国で永遠に幸せに暮らすことができます。

聖書の中のさばきの場面を読むのは恐ろしいことですが、それは神さまを信じないで自分勝手な生き方を追い求めるこの世に対して、救いの道を伝えなければならないという、動機付けになります。詩篇の記者は、神さまに敵対する人たちに向かって、「おまえたちは必ず滅ぼされる。ざまあみろ」とあざけるのではなく、「ヤハウェを信じよ、御子に口づけせよ」と訴えかけています。

そして、私たちイエス・キリストを信じた者にとっては、このような恐ろしい運命から救い出されたという、感謝の種でもあります。「幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は」(12節)。

3.恵みの福音を伝えよう

使徒4:25-30

詩篇2編は、新約聖書にも何回か引用されています。その1つが使徒4:25-30です。ここは、使徒ペテロとヨハネがユダヤ人の指導者たちに捕らえられた後、釈放された時の教会の祈りです。

「あなたは、聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの父であるダビデの口を通して、こう言われました。『なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。地の王たちは立ち上がり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。』

事実、ヘロデとポンテオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民といっしょに、あなたが油をそそがれた、あなたの聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり、あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行いました。

主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせてください」

みことばを大胆に語らせてください

初代教会のクリスチャンたちは、激しい反対と迫害の中で、それでもイエスさまこそメシヤであって、この方を信じることによって救われるのだということを宣べ伝え続けることを宣言しました。

イエスさまは私を救ってくださり、あなたを救ってくださいました。そして、考えられないような祝福に満ちた人生が与えられることを約束してくださっています。

私たちが信じることができたのは、信仰の先輩たちが、恵みの福音のことばを、忠実に熱心に語ってくれたからです。私たちも、この世に対して、勇気を持って大胆に、イエスさまに希望があることを伝えていきましょう。

まとめ

イエスさまこそ約束のメシヤであり、私たちの希望です。

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