朝明けの祈り

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詩篇5篇1〜12節

(2013.7.14)

参考資料

3節の「備えをする」は「いけにえをささげる」という意味ですが、ここでは祈りをささげること。また、「見張る」は祈りの答えをひたすら待つ様子を表します(ハバクク2:1)。

9節の「開いた墓」は、破壊や滅びをもたらすものという慣用句です(エレミヤ5:16)。

聖書からのメッセージ

イントロ

詩篇には、苦しみの中で神さまに助けを求める詩が数多く収められています。この5篇もそうです。私たちが苦しい状況に陥った時、このダビデの詩が参考になることでしょう。

1.ダビデの苦しみ

敵がいた

ダビデは、この詩の中で、敵対者について書き、彼らへのさばきを神さまに求めています。

5節「誇り高ぶる者たち」「不法を行なうすべての者」。6節「偽りを言う者」「血を流す者と欺く者」。8節「私を待ち伏せている者」。9節「彼らの口には真実がなく、その心には破滅があるのです。彼らののどは、開いた墓で、彼らはその舌でへつらいを言うのです」。

この人たちがどういう立場の人たちなのか(外国人なのか、王宮の中の人たちなのか、反逆者たちなのか)、またダビデが彼らから具体的にどういう目に遭わされていたのかは分かりません。しかし、ダビデは、うめき、叫ぶほど、これらの人たちから苦しめられていました(1-2節)。

人間関係の痛み

私たちの経験する悩みの多くは、人間関係が絡んでいると言われます。たとえ健康で、物質的に満たされていたとしても、人間関係にトラブルを抱えていれば、私たちは幸せを感じることができません。

逆に、肉体的、あるいは経済的な問題に直面していたとしても、温かく支えてくれる人たちがいる時、その痛みは軽くなっていくものです。「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる」(箴言17:1)。

あなたは今、人間関係で苦しんでいませんか?

2.神への祈り

神への訴え

1-2節で、ダビデは神さまに「私の言うことに耳を傾けてください」と願っています。ダビデは、自分の心の中にある苦しい思いを、自分一人の中にため込むのではなく、毎朝神さまの前にはき出すことを選びました。

詩篇39:1-3に、ダビデのこのような言葉があります。

「私は言った。私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。私の口に口輪をはめておこう。悪者が私の前にいる間は。私はひたすら沈黙を守った。よいことにさえ、黙っていた。それで私の痛みは激しくなった。私の心は私のうちで熱くなり、私がうめく間に、火は燃え上がった。そこで私は自分の舌で、こう言った」

苦しみを自分一人の心の内に留めておくことは、ますます苦しみを強くしてしまいます。そこで、ダビデは神さまに「聞いてください」と窮状を訴えて、助けを祈り求め始めます。

人は、私たちの苦しみを理解してくれないときがあります。「それはあなたのせいだ」と、かえって批判的な対応をしてくるときさえあります。かといって、一人で抱えているのはつらい。そんなとき、私たちは神さまに聞いていただくことができます。

私の王

さて、ダビデは神さまに向かって「私の王」と呼びかけています(2節)。この詩を書いたダビデは、イスラエルの王さまです。しかし、彼は自分自身が偉いから王さまをやっているのではなく、この王権が神さまによって与えられたものであるということを自覚していました。

王の仕事には大変な責任が伴います。自分の決断一つで、多くの国民が幸せにもなれば、不幸にもなり、場合によっては国が滅びてしまうことさえあります。しかし、ダビデは「私よりもはるかに偉大で、力強く、賢いお方が、私の王として私を守り、支え、導いてくださる」と信じていました。ですから、敵によって苦しめられた時、王である神さまに助けを求めました。

しかも「私の」という言葉がいいですね。私の王、私の神。ダビデと神さまの近い関係を表す言葉です。神さまは偉大なお方ですが、私たちから遠く離れたお方ではなく、私たちのすぐそばにいて、私たちに個人的な関心を向けておられます。

だから、こんな小さな悩みで神さまを煩わせるのは申し訳ない、などと思う必要はありません。神さまはあなたの天のお父さまであり、あなたを愛し、あなたの力になりたいと願っておられるのですから。

朝の祈り

ダビデは、朝早くに祈りをささげました。そして、祈りの答えを待ちました。

ダビデは、悪者へのさばきを求めています。実は、そうすることによって、神さまがこの問題に介入してくださるということ、そして自分を必ず守り、救い出してくださるという確信へと導かれていったのです。

祈りの中で、ダビデは神がどういうお方なのかを思い起こし、それによって、慰め、励まし、希望を受け取りました。私たちも祈りの中で、神さまがどういうお方なのかに意識を向けましょう。

こうして、最後には、自分のことしか祈れないという精神的余裕のなさから解放され、王さまとして、国民の幸せを祈ることができるまでになっています。最後の節は、ダビデの心に平安が戻ってきたことを示していますね。

そのようにしてダビデは一日を始めました。

もちろん、いつ祈りをささげてもかまいません。3篇と4篇には夜の祈りについて書かれています。しかし、朝に祈りをささげることで、神さまが自分と共にいてくださり、自分を守り、支え、導いてくださることを確認して、信仰を整えてから一日の活動に入ることはすばらしいことです。

短くても、一日の始めに、イエスさまを意識してから活動を始めましょう。

まとめ

苦しいとき、特に人間関係で悩んだとき、一人であたふたする前に、神さまに祈りをささげましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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