成長し、救いを得るため

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第1ペテロ1章22節〜2章2節

(2013.8.25)

参考資料



聖書からのメッセージ

イントロ

2:2には「それによって成長し、救いを得るためです」と書かれていて、読者の救いをこれからのこととして描いています。しかし、1:9では「これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです」と書かれていて、同じ読者の救いはすでに達成されたことになっています。どういうことでしょうか。

1.プロセスとしての救い

救いの3つの側面

救いはプロセスです。イエス・キリストを信じたとき、救いは私たちのものになりましたが、まだその祝福のすべてを味わい尽くしてはいません。

救いには、過去形の救い(私たちは救われた)、未来形の救い(これから救われる)、現在進行形の救い(救われつつある)があります。そして、イエス・キリストは、この3つすべてを私たちに用意してくださいました。

過去形の救い(義認)

過去形の救いのことを、神学用語で「義認」と呼びます。

義とは、元々は神さまの正しいご性質のことを指します。神さまが正義の基準であって、神さまが最終的に何が正しくて、何が間違っているのかをお決めになります。

そこで、義という言葉は、正義である神さまに受け入れられるために人間が達成しなければならない基準のことも指します。義認、すなわち「義と認められる」とは、神さまに受け入れられ、神さまと良好な関係に入ることです。
信仰による義認
聖書は、人間の行ないによっては、誰も義と認められないと教えています。義と認められるのは、神さまの語られたことを信じること、すなわち信仰によります。

何を信じるのかは時代によって異なります。イエスさまが人として地上に来られ、十字架にかかって死に、復活されてからは、十字架と復活を信じることが義と認められるための条件となりました。

すなわち、イエス・キリストの十字架の死によって、私たちの罪がすべて赦され、罪の故に呪われて滅ぼされることがなくなったということです。そして、復活によって、私たちの身分が変化したということです。神の敵から、神の子どもへの変化です。イエス・キリストの復活によって、罪人としての私たちは死んで、神さまの子どもとして新しく生まれました。
罪の罰からの解放
過去形の救い、義認は、「罪の罰からの解放」と言うことができます。

クリスチャンになってからも、私たちは罪を犯します。失敗します。ときには罪だと分かっていることを考えたり行なったりしてしまいます。しかし、一度イエス・キリストを信じたあなたは、永遠に無罪を宣言されています。これから先、あなたが救いを失って、罪の故に神さまに見捨てられ、滅ぼされることは決してありません。

ペテロが1:9で「あなたたちは救いを得ている」と語っているのは、この過去形の救い、義認のことです。そして、過去形の救いをいただくことが、現在進行形の救いや未来形の救いの保証になっています。あなたはまだ未来形の救いを体験してはいませんが、イエス・キリストを信じているならば、将来100%確実にそれをいただくことができます。

未来形の救い(栄化)

未来形の救いのことを、神学用語で「栄化」といいます。

先ほど申し上げたように、私たちは罪を完全に赦されていますが、救われたとはいえ、内側に罪の性質が残っています。罪の性質は、神さまに逆らう方向に私たちを引きずり下ろそうとします。ですから、罪を犯したくないと思っても、つい失敗したり、良くないことをしてしまったりします。

パウロほどの人格者でさえ、自分の中の罪の性質には困り果て、自分は何と惨めな存在なのだろうかと嘆いています(ローマ7:15-24)。

すでに学んだように、だからといって神さまに見捨てられ、滅ぼされることはありません。私たちに与えられた永遠のいのちは、決して取り上げられることがありません。しかし、この罪の性質とつきあいながら、永遠の時を過ごさなければならないのなら、ちょっと絶望的な気分になってしまいますね。

そうではないというのが、未来形の救いの教えです。聖書によれば、いつか必ずイエス・キリストがもう一度この地上に戻ってこられます。これを再臨と言います。再臨の前(少なくとも7年以上前)、地上に生きているクリスチャンがすべて天に引き上げられます。同時に、すでに死んでいたクリスチャンも復活して、天に引き上げられます。これを「携挙」と呼びます。
罪そのものからの解放
携挙の際、私たちには新しいからだが与えられます。それは、罪のない栄光の体です。罪の性質が取り除かれますから、もはや今のように罪を犯すことがありません。

栄光の体が与えられて、天でしばらく待機していた私たちは、イエスさまの再臨と共に地上に戻ってきます。そして、復活した旧約時代の信者や、携挙後に救われた人たちと共に、千年王国に住みます。さらに、それに続く新天新地に迎え入れられ、そこで永遠の祝福を味わいます。そこにはもはや罪はなく、死も涙も苦しみもありません。

現在進行形の救い(聖化)

今の私たちは、過去形の救いと未来形の救いの間にいます。この間に味わう救いが現在進行形の救いであり、神学用語で「聖化」と呼ばれています。あるいは「きよめ」とも言います。

将来救いが完成するまでの間、私たちは、罪を犯しては赦しを確認するということを繰り返すだけなのでしょうか。そうではありません。罪そのものから解放されるのは将来のことですが、今この時も、少しずつ罪の力から解放され続けています。これを2:2は「成長」と呼んでいます。

イエス・キリストを救い主として信じたとき、私たちの内側に、目には見えませんが聖霊なる神さまが住んでくださるようになりました。そして、内側から私たちをリフォームしてくださっています。

目標は、人として来られたイエスさまです。この地上では、完全にイエスさまのようになることはできませんが、一歩一歩確実に近づいていくことができます。

そのためには、私たちは聖霊のリフォームを承認しなければなりません。「私の望むような人生ではなく、聖霊さまが望むようなリフォームをしてください」と祈りましょう。時々、心の中に聖霊さまのかすかな促しを感じるかもしれません。「これをしてくれないか?」「これを諦めて手放してくれないか?」 そんなときには、「分かりました」と従いましょう。

その小さな積み重ねによって、私たちはだんだんと神さまのみこころにかなう姿へと造り変えられていきます。

クリスチャンになってから、以前よりも自分が邪悪になったと感じることもあります。それもまた聖霊さまのお働きです。光を当てると、今まで薄暗がりの中では見えなかったシミやヒビが明らかになるようなものです。

まとめると

3つの救いを簡単にまとめると、こういうことです。
  • 過去形の救い(義認)……私たちは、罪の罰から解放された
  • 未来形の救い(栄化)……私たちは、罪そのものから解放される
  • 現在進行形の救い(聖化)……私たちは、罪の力から解放されつつある

2.みことばによって

信仰の土台、救いの土台

さて、今回の箇所は、私たちの救いの土台が聖書のみことばであるということを教えています。

イエス・キリストによって、私たちの罪が完全に赦されたということを、どうして私たちは知ったのでしょうか。聖霊によって日々きよめられ、さらには将来栄光の体が与えられて、永遠の祝福をいただくことができるということを、どうして知ったのでしょうか。それは聖書を通してです。聖書は神さまから人類へのメッセージです。

今、世界はものすごい勢いで変化しています。ちょっと前まで真実だと思われていたことが、今は間違いだと言われたりします。まさに「草はしおれ、花は散る」です。しかし、主のことばである聖書の教えは、永遠に変わりません。

18世紀フランスの啓蒙思想家であるボルテールは言いました。「これからは科学の時代である。あと100年もすれば、聖書は博物館でしか見かけない、忘れられた本になるだろう」。100年後、ボルテールの家は、ジュネーブ聖書協会の建物になっていました。

あなたの信仰の土台は?

私たちは自分の信仰の土台をどこに置いているでしょうか。世の中の人が何を言っているか、常識がどうか、自分が何を感じているか、そのようなものを信仰の土台にしていると、私たちの信仰生活は嵐の中の小舟のように翻弄されてしまいます。

信仰とは、何でもかんでも信じればいいということではなく、神さまのことばに信頼するということです。

悲しいとき、不安なとき、イライラしたとき、迷ったとき、私たちは聖書に帰りましょう。聖書は何と語っていますか? そして、あなたの感情と聖書の教えが対立したときには、「聖書の教えの方を選びます」と宣言するのです。それによって、あなたはどんな問題がやってきても揺るがされない信仰を育てることができます。

「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです」(2:2)

3つの祈り

以前、クリスチャンが成長するための3つの祈りを紹介しました。それは、「ごめんなさい」「ありがとう」「お願いします」です。この3つの祈りは、今回学んだ、聖書に基づく3種類の救いと関連しています。

聖書に親しむことで、そして祈りを通して神さまと交わることで、私たちはますます神さまのみこころを学ぶことができます。すると、自分が神さまのみこころにかなっていない部分を示されることがあります。

そんなときは、ごまかさないで「ごめんなさい」と素直に神さまに過ちを認めましょう。

そして、聖書に書かれている通り、イエス・キリストの十字架によって罪が完全に赦されていて、将来約束されている栄光の祝福が奪い去られることが決してないことを思い起こして、「ありがとうございます」と感謝しましょう。

そして、聖書に書かれている通り、聖霊さまによってきよめられるという約束を思い起こして、神さまに「お願いします」と祈りましょう。

まとめ

イエス・キリストを信じたあなたはすでに救われており、これからも救われ続け、やがて救いが完成します。それを聖書によって確信させていただきましょう。

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