祭司のつとめ

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第1ペテロ2章3〜12節

(2013.9.1)

参考資料

6節はイザヤ28:16、7節は詩篇118:22、8節はイザヤ8:14の引用です。いずれも、やがて現れる救い主のことを預言しています。

10節は、ホセア2章が背景にあります。霊的姦淫である偶像礼拝の罪を犯したイスラエルは、神さまに「愛されない子(ロ・ルハマ)」「私の民ではない(ロ・アミ)」と呼ばれ、捨てられたように見えますが、必ず「愛する子」「私の民」と呼ばれるようになると約束されています。また、パウロはこの約束を、ユダヤ人だけでなく異邦人にも適用しています(ローマ9:24-26)。

聖書からのメッセージ

イントロ

今回の中心聖句は、5節「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい」です。これはどういう意味でしょうか。

1.生ける石として、霊の家に築き上げられなさい

霊の家

これは教会のことです。

どんなに立派な石があっても、それ一つだけでは家を建てることができません。様々な大きさや形の石が集まって、立派な家ができあがります。

世界で最も頑丈な建造物の一つは、日本のお城の石垣だと聞いたことがあります。石垣には、大きさも形も異なる様々な石が使われています。中には、ちっぽけに見えるような石もあります。しかし、どの石も必要不可欠であって、すべてがうまく組み合わされる時、地震や大砲をものともしない強い石垣ができあがります。

私たち一人一人は、教会を構成する生ける石です。どれ一つとして不要なものはありません。誰もが大切な教会の家族です。

どんなに立派なクリスチャンでも、一人では信仰生活を送ることはできません。こうして共に集い、共に祈り、賛美し、礼拝し、支え合い、教え合い、励まし合って、初めて信仰生活を全うすることができます。今後も、このように共に集い、励まし合いましょう。

キリストという生ける石

さて、5節には「あなたがたも」と書かれています。「も」です。ということは、別の生ける石があるということですね。ペテロは、イエス・キリストが生ける石だと語っています。しかも、それは礎の石、土台の石です。

教会は、イエス・キリストを土台として建てられています。あるとき、イエスさまが弟子たちに「あなた方は私を誰だと言いますか?」と質問なさいました。ペテロは、弟子たちを代表して、「あなたは、生ける神の御子キリストです」と告白しました。イエスさまは喜ばれ、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」とおっしゃいました(マタイ16:15)。

その上に教会を建てるとおっしゃった「この岩」とは、ペテロがしたような、「イエスこそ、神が送ってくださった救い主である」と信じる信仰のことです。

家を建てる者たちが捨てた石

しかし、聖書は「家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった」と語っています。イスラエルには、壮麗な神の家、すなわちエルサレム神殿がありました。その神殿を中心として、祭司たちが様々なつとめを果たしていました。

そこにイエスさまが現れます。真っ先にイスラエルの霊的指導者たちが、「この方こそ聖書が約束されていた救い主だ」と気づき、イエスさまを神殿の主としてお招きして礼拝しなければならないはずでした。

ところが、指導者たちは、イエスさまは自分たちの宗教にとって役に立たない、それどころか有害だと判断しました。そして、十字架につけるために、イエスさまをローマ人に渡してしまいました。イエスさまは、ご自分の民に捨てられたのです。

しかし、ユダヤ人の中にも、ペテロたちのように、この方こそ救い主だと信じる少数の人たちがいました。この人たちの上に聖霊がくだった時、教会が誕生しました。教会には、やがて異邦人も加わるようになり、瞬く間に世界中に広がっていきました。そして、私やあなたも、生ける石として教会の一員となりました。

教会には、様々な個性を持った人たちが集まりますが、一致できるのは、イエスさまが救い主であるという、同じ信仰を持っているからです。

私たちの人生の土台は何か

私たちの人生の土台は何でしょうか。私たちの幸せの根拠、平安の理由、やる気の源はどこにあるでしょうか。お金とか友情とか健康とか、そういう人間的なものも大切ですが、最も確かな土台はイエス・キリストにあることを、私たちは決して忘れてはなりません。

ペテロは、「あなた方は、主イエスが愛情に満ちた方だということを既に味わった。だから、主のもとに来なさい」と勧めます。イエスさまは愛情深いお方です。本来、罪の故に「愛されない子」「私の民ではない」と宣言されて、捨てられ、滅ぼされても仕方がなかった私たちを、完全に赦し、「愛する子」「私の民」と呼んでくださったお方です。

ですから、イエスさまは必ずあなたを幸せへと導いてくださいます。あなたを通して、価値あることを行なってくださいます。あらためて、ペテロのように、「あなたこそ、生ける神の御子キリストです」と宣言しましょう。

2.聖なる祭司として、霊のいけにえをささげなさい

祭司のつとめ

さて、イエス・キリストを人生の土台とし、喜びと平安をいただいた私たち、生ける石として教会の一員となった私たちには、大切なつとめが与えられています。それは、祭司としてのつとめです。

祭司の役割は、神さまと人間をつなぐ仲介者です。罪ある人間は、本来神さまとの交わりを許されていません。そこで、祭司が間に立ち、罪人のために犠牲を捧げます。それによって、罪人の罪は赦されます。そして、祭司は、神さまがこの人を祝福してくださるようにと、赦された罪人のために祈ります。

モーセの律法の中に、祭司がイスラエルのために祈るべき祈りが記されています。「【主】があなたを祝福し、あなたを守られますように。【主】が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。【主】が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように」。そうしたら、神さまはイスラエルを祝福しよう、と約束なさいました(民数6:24-27)。祭司は、何と重要な役割を担っていることでしょうか。

犠牲はすでにささげられた

しかし、教会のクリスチャンに与えられた祭司のつとめは、神殿の祭司とは若干異なります。神殿の祭司は動物を殺して犠牲にささげていましたが、私たちはそれをしません。なぜなら、イエス・キリストが、ただ一度、完全な犠牲となって、尊い血を流してくださったからです。

ですから、まだイエス・キリストによる救いを信じていない人たちに、すでに犠牲は払われたということ、だからそのままの姿で神さまの祝福を受け取りなさいと勧めることが、私たちの祭司としてのつとめです。

「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです」(9節)。

また、神さまに向かって、まだ信じていない人たちのために取りなしの祈りをするのも、私たちの祭司としてのつとめです。その人たちが、一刻も早くイエスさまを信じ、イエスさまを人生の土台とすることで、平安や喜びや目的を手に入れることができますように、と。

これが、ペテロの言う「霊のいけにえをささげる」ということです。

行ないによるあかし

また、「霊のいけにえをささげる」というのは、言葉で伝道し、取りなしの祈りをささげることだけではありません。

私たちクリスチャンがささげるいけにえについて、ローマ12:1にはこう書かれています。「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です」

私たちの人生が私たちのものなら、どんなふうに生きようが私たちの勝手です。しかし、私たちのこの人生は、もはや私一人のものではなく、神さまのものです。だから、神さまの栄光を表すために使おうと決意すること。そこから、私たちの祭司のつとめが始まります。

イエスさまの教えをよく学び、罪を離れて、神さまのみこころを実践することに努めましょう。ペテロは、それによって神さまを信じない人たちの心が動かされ、信じるようになると励ましています。これもまた、祭司としての大切なつとめです。

まとめ

私たちには、祭司のつとめが与えられています。それを忠実に全うさせていただきましょう。今のあなたがささげるべき「霊のささげもの」とは何ですか? あなたが今成すべきことは何ですか?

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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